ここ最近、高校野球で元プロ野球選手の監督が増えて来ています。2013年に日本学生野球憲章の全面改定により、2013年から学生野球資格回復制度を実施していることにより、引退した選手らが「NPBプロ研修会」と「学生野球研修会」を修了し、学生野球協会の審査を経て資格を回復しています。長野県でも、長野俊英高校硬式野球部に桃井進監督(元ロッテオリオンズ)がこの春から就任しています。
愛知・名古屋経済大学高蔵高校硬式野球部の酒井弘樹監督
1994年にドラフト一位(逆指名)で国学院大から近鉄バファローズ(現; オリックスバファローズに吸収)に入団。1998年にセットアッパーとして60試合に登板し、防御率1.97の好成績を残し、2001年に交換トレードで阪神タイガースへ移籍。その後、台湾・金剛でプレーし2002年で引退。NPB通算は154試合21勝26敗1セーブ、防御率3.68。
プロでは故障によって、充分な力が発揮できませんでした。引退後は企業勤めもしましたが、一度味わってしまった金銭感覚から脱却できず、ギャンブルや高級飲食店等で豪遊したり、仕事のストレスから他人に八つ当たりし、生活は荒れ、人生の坂道を転がりかけていたそうです。そんなある日、夫人の勧めもあり一念発起し、教員免許を取得するために国学院大に再入学し、高校教員免許を取得しました。しかし、就職先はありませんでした。
そんなとき、大学から名経大高蔵高校を紹介され、2007年4月に採用され、千葉県に家族を残し単身赴任で国語教師を務めている。名経大高蔵高校は2002年から共学化したものの元々は女子校だったため、野球部はありませんでしたが、2009年に野球同好会が発足し、正式に野球部になることに伴い監督に就任しました。
この当時のプロアマ規定では「プロ経験がある者は2年間、アマチュアでの指導は出来ない」という規定があり、この期間をクリアしたことによります。
そして、監督である以前に教員であり、週に13コマ国語の授業を受け持ち、クラス担任でもあります。夕方5時半までは補習授業をし、そこから生徒指導。その後に野球部指導です。
名経大高蔵高野球部の専用グラウンドは数年前に完成していますが、学校から25kmと遠いため使うのは日曜日だけ。それ以外は敷地内にあるテニスコート1面分を専用グラウンドとして使用しています。学校が住宅地と隣接しており、練習時間は午後7時まで。酒井監督の考えで、打撃マシンはなく、ピッチャーはブルペンでは投げず、打撃練習で投げる実戦練習です。また、学校が認めてくれている特待生枠も、使っていないそうです。
「僕にとって選手を取るのは、その子の一生を左右するということなんです。つまり進学まで面倒を見るということ。ウチの環境で『おたくのお子さんを預けてください』とは言えません」
酒井監督は特待生として関東第一高に進学し、寮で暮らし、専用グラウンドで野球に打ち込んだそうです。それが酒井監督の言う特待生ということです。また、専任監督でないため、有望中学生を見る時間もないからだそうです。
それでも、「負けてもいい。野球を楽しめれば」とは考えていないそうで、「僕が一番悔しい、勝ちたいって思ってるんじゃないでしょうか」とのことです。
2009年に部員9人で始まった野球同好会は公式戦デビューから5戦連続コールド負けでした。それが9イニングを戦い、点差が縮まり、ついには勝てるようになり、現在は部員70人を超えるそうです。
「プロで培った経験や技術は、還元されるべき。だからいい制度だと思います。ただ、専任監督だと学校の中での部員をなかなか見られないですよね?それが野球指導に生きることってあるんですよ。だからこれから目指す人には、教員資格はある方がいいよと言ってあげたいですね」
福岡・九州国際大付高校硬式野球部 楠城徹監督
1974年にドラフト2位で太平洋クラブライオンズ(現; 埼玉西武ライオンズ)に入団。1980年に引退。プロ通算366試合、打率2割3分、ホームラン9本。引退後はスカウト、一軍ヘッドコーチ、編成部長などを歴任し、2005年から東北楽天ゴールデンイーグルスで編成部長、スカウト部長を務め、2012年に退団。
2013年に改訂された資格回復で3年間で約900人以上の元プロが学生野球資格を回復しています。2012年にイーグルスを退団した楠城監督は、社会人野球のパナソニック(大阪)のアドバイザーを経て、2014年に学生野球資格を回復し、8月から九州国際大付高の監督に就任しました。
そして、資格回復した中で甲子園で初勝利したのが、九州国際大付高の楠城監督です。
プロとアマの間にあった、長くて高い壁を楠城監督はスカウトととして壁を見て来ました。それが、新制度となり、プロで仕事として世界中の野球を勉強してきた成果を高校生に話せる道が開け、こんなチャンスはないと考えたそうです。部員に伝えたことは「野球は根性ではなく技術。私は技術の指導者、野球界の先輩として接していきます」とのことです。さらに
「高校野球は素晴らしいが、あくまで通過点。その先で選手が花開くような指導をしていきたい。きちんとした言葉遣いやマナーは学校生活にも必要。そういうことをやっていきたい」
という信念も持ているそうです。つまり、教員でなくても野球を通じて教育は出来ると考えているそうです。ただし、専任監督として学校側が求めるのは「甲子園出場」という結果です。また、それとともに、元プロ野球選手、指導者として後進の「元プロ」への責任も背負っています。
「門戸を開いてもらった以上、プロ経験者として失敗は許されない。指導者同士で練習試合のたびに意見を交換する。こちらも技術、練習法などはすべてオープンです」
教員としての酒井監督と専任監督としての楠城監督。どちらが正解と言うものではないと考えます。
きっと、甲子園で優勝してもそれは判らないと思います。
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