郡内少年野球選手権大会の日どりは、さしせまっていた。だから、星野たちのチームは、自分の地区からの出場権をかくとくした試合のあくる日も、練習を休まなかった。選手たちは、定められた午後一時に、町のグラウンドに集まって、やけつくような太陽の下で、かたならしのキャッチボールをはじめた。
そこへ、監督の別府さんがすがたをあらわした。選手たちは、別府さんのまわりに集まって、めいめい、ぼうしをぬいで、あいさつをした。
キャプテンの喜多は、いつものとおりに、打撃の練習をはきめるものと思って、バットを取りにいった。別府さんは、喜多からバットを受け取ると、
「みんな、きょうは、少し話があるんだ。こっちへきてくれないか。」
といって、大きなカシの木かげにいって、あぐらをかいた。
選手たちは、別府さんのほうを向き、半円をえがいて、あぐらをかいた。
「みんな、きのうは、よくやってくれたね。おかげで、Rクラブは待望の選手権大会に出場できることになった。おたがいに喜んでいいと思う。ところで、きのうのみんなの善戦にたいして、心からの祝辞をのべたいのだが、どうも、それができないのだ。」
補欠も入れて十五人の選手たちの目は、じっと別府さんの顔を見つめている。別府さんの、おもおもしい口調のそこに、何かよういならないものがあることを、だれもがはっきり感じたからである。
別府さんは、ひざの上に横たえたバットを、両手でゆっくりまわしていたが、それをとめて、静かにことばを続けた。
「ぼくが、監督に就任するとくに、きみたちに話したことばを、みんなはおぼえてくれているだろうな。ぼくは、きみたちがぼくを監督としてむかえることに賛成なら、就任してもいい。町長からたのまれたというだけのことでは、いやだ。そうだったろう、喜多くん。」
喜多は別府さんの顔をみて、強くうなずいた。
「そのとき、きみたちは、喜んで、ぼくをむかえてくれるといった。そこで、ぼくは、きみたちとそうだんして、チームの規則をきめたのだ。いったん、きめたいじょうは、それを守るのが当然だと思う。また、試合のときなどに、チームの作戦としてきめたことには、ぜったいに服従してもらわなければならない、という話もした。きみたちは、これにもこころよく賛成してくれた。それで、ぼくも気持ちよくきみたちと練習を続けてきたのだ。おかげで、ぼくらのチームも、かなり力がついてきたと思っている。だが、きのう、ぼくはおもしろくない経験をしたのだ。」
ここまで聞いたとき、「これは自分のことかな。」と、星野はかるい疑問をいだいた。けれども、自分が、しかられるわけはないと、思いかえさないではいられなかった。
-----なるほど、ぼくは、きのう、バントを命じられたのに、かってに、打撃に出た。それはチームの統制をやぶったことになるかもしれない。しかし、その結果、ぼくらのチームが勝利を得たのではないか・・・・・・。
そのとき、別府さんは、ひざの上のバットをコツンと地面においた。そして、ななめ右まえにすわっている星野の顔を、正面から見た。
「まわりくどいいい方はよそう。ぼくは、きのう星野くんの二塁打が気にいらないのだ。バントで岩田くんを二塁へ送る。これがあのとき、チームできめた作戦だった。星野くんは不服らしかったが、とにかく、それをしょうちしたのだ。いったん、しょうちしておきながら、かってに打撃に出た。小さくいえば、ぼくとのやくそくをやぶり、大きくいえば、チームの統制をみだしたことになる。」
「だけど、二塁打を打って、Rクラブをすくったんですから。」
と、岩田がたすけぶねを出した。
「いや、いくら結果がよかったといって、統制をやぶったことに変わりはないのだ。
・・・・・・いいか、野球は、ただ、勝てばいいのじゃないんだよ。健康なからだをつくると同時に、団体競技として、協同の精神をやしなうためのものなのだ。ぎせいの精神のわからない人間は、社会へ出たって、社会を益することはできない。」
別府さんの口調が熱してきて、そのほおが赤くなるにつれて、星野仁一の顔からは、血の気がひいていった。選手たちは、みんな、顔を深くたれてしまった。
「星野くんはいい投手だ。おしいと思う。しかし、だからといって、ぼくはチームの統制をみだした者を、そのままにしておくわけにはいかない。」
そこまで聞くと、思わず一同は顔をあげて、別府さんを見た。星野だけが、じっとうつむいたまま、石のように動かなかった。
「ぼくは、こんどの大会に星野くんの出場を禁じたいと思う。とうぶん、きんしんしてもらいたいのだ。そのために、ぼくらは大会で負けるかもしれない。しかし、それはやむをえないことと、あきらめてもらうよりはしかたがない。」
星野は、じっと、なみだをこらえていた。
----別府さんのことばは、ひとつひとつ、もっともだ。自分は、いままでいい気になっていたのだ。
かれは、しみじみと、そう思わないではいられなかった。
「星野くん、異存があったら、いってくれたまえ。」
別府さんのことばに、星野は、なみだで光った目をあげて、はっきりと答えた。
「異存ありません。」
別府さんを中心とした少年選手たちの半円は、しばらく、そのまま、動かなかった。
ぎらぎらする太陽の光線が、人かげのないグラウンドに、白くはねかえっていた。
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これが、教科書に収録された「星野君の二塁打」です。
最終的に監督のサインを守らなかった星野君は、郡内少年野球選手権大会出場を決めた試合のヒーローではなく、まるで敗戦の責任を一人で背負わされたかのような扱いになっています。
この教材を取り上げたある教科書には、「チームの一員として」というサブタイトルが付いていて、さらに「よりよい学校生活、集団生活の充実」という表記があるそうです。これは、学習指導要領に掲げられた小学校高学年用の項目名で、その指導内容である「先生や学校の人々を敬愛し、みんなで協力し合ってよりよい学級や学校をつくるとともに、様々な集団の中での自分の役割を自覚して集団生活の充実に努めること」と書かれています。
教材の良し悪しを言い出したら、キリはありません。でも、この話を読んでみて思い出される事件がありました。無理やり話をつなげるわけではありませんが、日大アメフト部の一件に似ていると思います。たとえ監督の指示が明らかに間違っていると思ったときでも、指示を守らなければいけないということを教えていように思えます。そして、指示に反した行動を取ったとしたら、それによってペナルティを与えられてしまう。
この「星野君の二塁打」は、教育の現場では子どもたちがどのような議論をしているのか気になるところです。おそらく、「星野君は間違ってしまった。悪いことをしてしまった」とか、「監督の指示は絶対守らなければならない。それを守らなかった星野君が悪い」というような話になってしまうのでは、ないのかなと。
「チームの和を乱さないことは個人の考えより重要」。確かにそうしなければならない場面だってあるでしょうが、そこは先生の教え方もあるでしょうけど、考え方として、「チームの中での自分の役割を考える」という方向で考えるようにして欲しいと思います。