「小学生の時、監督やコーチから殴られない日はなかった。
連帯責任が当たり前で、チームメートがミスをしても『キャプテン、来い』と呼ばれ平手打ちされたり、お尻をバットでたたかれた。
殴られて愛情を感じたことは一度もない。
『なぜだろう』『おかしい』と思ってきた。
体罰が嫌でグラウンドに行きたくなかった。
体罰で力のある選手が野球嫌いになり、やめるのを見てきた。
子どもは仕返しをしない、絶対服従だと思っているから体罰をする。
一番ひきょうなやり方で、スポーツをする資格はないと思う。
体罰をする指導者はたくさんいる。
気持ちも分かる。
今、中学のクラブチームで教えているが、子どもがふざけて練習を一生懸命しない時などは『殴ったろかな』と思うときもある。
でも殴って何が解決するのか。
体罰を受けた子どもは『殴られないためにどうしたらよいか』と、その場しのぎのことを考えるだけだ。
これではうまくならない。
自立心もなくなってしまう。」
これは、少し前のスポーツ紙に掲載されていた、元;読売ジャイアンツの桑田真澄さんのコメントです。
至極当然のことだと考えます。
私も「これは氷山の一角」としましたが、残念なことにその後の報道でも連日のように新しい話が出てきます。
先日もオリンピックという最高のスポーツの場でもあったというニュースがありました。
これを告発する選手の側は覚悟と勇気を持ってのことだと思います。選手としては刃向かったりすれば、自分が目指していたオリンピックという代表権を奪われてしまうという思いもあったかと思います。
でも、これからの柔道界を良くしたいためだっとと言う。
しかし、残念なことに私は彼女たちの心からの思いは完全には理解されていないのではないかと思えます。
かの、大阪市教育委員会もそうでしたし、この全日本柔道連盟も同じく、ことの重大さが判っていないのではないでしょうか。
大阪市教育委員会は高校へ問題解決になるようなアクションがあるようには見えませんし、全日本柔道連盟においても当事者らを擁護するような発言に終始しています。
記者会見でも当事者は”事の重大さ”は判っていないようであり、言い訳どころではないように感じました。
思えば、今のある年代から上の方にとっては昔はこんなようなことは日常茶飯事でもあり、その中で育ってきたこともあって、それが当たり前のことのように振る舞えるのでしょうね。
そして、ある一定の成功を手に入れられたことで、この指導方法は良かった信じ込んでいるのでしょう。
こういう事件が今後なくなるかとどうかは判りません。おそらく、なくなることはないかも知れません。
結局は強い上下関係、勝利至上という体質であるからでしょうね。
さらに学生スポーツにおいては、その仕組み自体が変わらない限りは、その隠ぺい体質は強化なものとなるかも知れません。
プロだったら良いとは言いませんが(少し前にプロ野球でも問題になったことがありました)、アマチュアは何よりも育成が優先でなければならないと考えます。
今の世の中はいろいろな情報、科学的分析、理論などで指導方法なども進歩してきています。でも、未だに根性でなんとかしようという昔ながらの進歩しない指導法が一部でまかり通っているのも事実です。
これでは、いくら世の中が進歩してもその指導者が時代に合った指導方法に変わらなければいけないでしょう。
個人競技でもチーム競技でもまずは自分との戦いを乗り越えなければなりません。
強制されながらやっても、真に上手くなるのではなく、ましてや自分自身が強くなるものではないでしょう。