19世紀ドイツ哲学者のアルトゥル・ショーペンハウアーさんは、ベルリン大学でヨハン・ゴットリープ・フィヒテさん(ドイツの哲学者)の講義をきいて失望。その後、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテさん(ドイツの詩人、劇作家)と交流。1820年にベルリン大学講師となったものの聴講者がなかったため翌年辞任し、以降は組織に属さずに活動。
アルトゥル・ショーペンハウアーさんの哲学は、イマヌエル・カントさん(ドイツの哲学者)の認識論に出発し、プラトンさん(古代ギリシアの哲学者)およびインドのヴェーダ哲学の影響を受け、「観念論(がいねんろん:中世における普遍をめぐる実念論と唯名論の論争を調停する立場。 普遍は個物を貫いている共通の本質が心に思い浮かべられて形成された概念)」「汎神論(はんしんろん:現実は神性と同一である、あるいは、すべてのものはすべてを包含する内在的な神を構成しているという信条。 神を擬人化した人格神を認めず、一切すべてを神と同一視する立場)」「厭世観(えんせいかん:世界は悪と苦痛とが優勢を占めているとして、人生は生きるに値しないものだという絶望的な考え方)」を総合した「生の哲学」として、「この苦痛から解脱する道は、個別的意志を超える芸術活動か、意志を否定し去る境地に達するしかない」と説きました。
その思想は19世紀末の厭世思想、特にフリードリヒ・ニーチェさん(ドイツの思想家)に大きな影響をおよぼしたと言われています・・・が、私には難しい哲学はまったくわかりません。
「誰かがウソをついていると疑うなら、信じたふりをするとよい。そうすると彼は大胆になり、もっとひどいウソをついて正体を暴露する」
さて、世の中には「許されるウソ」と「許されないウソ」があります。ものごとの善悪はウソの中身と理由で決まると言ってもいいかも知れませんが。
■2023年6月
埼玉県さいたま市に住む70代の女性から現金をだまし取ろうとしたとして、埼玉県警浦和西署は6月14日、詐欺未遂容疑で東京都世田谷区の自称アルバイトの男性を現行犯逮捕。
逮捕容疑は氏名不詳の者と共謀し、女性に会社員の三男を装って、「携帯電話を落とした。お金を用意しなければならない」などと電話し、現金をだまし取ろうとした疑い。
電話の声を不審に思った女性が三男に確認して詐欺と見抜いて110番。そのあとも警察に協力して「だまされたふり」を続け、14日午後に同市内で三男の会社の部下を装って現れた男性を警戒中の警察官が職務質問し、逮捕。
同署の調べに対し容疑者は、「おばあちゃんから荷物を受け取った。詐欺かもしれないとも思ったが確信はなかった」となどと容疑を一部否認しているそうです。
まさしく、「誰かがウソをついていると疑うなら、信じたふりをするとよい」ですね。
ちなみに、各警察などでは、「振り込め詐欺撲滅のため、皆様からの通報・相談等を活用しています。犯人が使用する携帯電話や預金口座等を聞き出す『だまされた振り作戦』にもご協力をお願いします」と広報しています。
「だまされた振り作戦」とは、振り込め詐欺の犯人からかかってきた電話にだまされた振りをしていただき、犯人が使用している携帯電話番号や預金口座番号等を聞き出して、その口座番号等を使用停止にするほか、犯人をおびき出して逮捕することです。
ところが、「誰かがウソをついていると疑うなら、信じたふりをするとよい。そうすると彼は大胆になり、もっとひどいウソをついて正体を暴露する」ということにエスカレートしています。
それが、「偽の『だまされたふり作戦』」で、実際にあったそうです。
■2022年12月
神奈川県横浜市に住む80代の女性の自宅に息子を名乗る男性から、「トイレに財布を忘れた。お金を貸してほしい」などと電話がありました。その直後、今度は警察官を名乗る男性から電話があり、「息子を名乗る電話は詐欺です。逮捕するため『だまされたふり作戦』をします」と言われました。
そして、警察官を名乗る男性は、「だまされたふりをして犯人に現金を渡してください。お金を渡した直後に犯人を逮捕します」などと言い、話を信じた女性が、自宅を訪ねてきた男性に現金100万円を手渡すと、男性はその場から立ち去ってしまい、だまし取られてしまいました。
詐欺グループは「だまされたふり作戦」という実在する警察の捜査手法をかたって、だまし取ろうとしてきます。
警察では、「だまされたふり作戦」で捜査に協力してもらう場合は、「複数の捜査員で自宅を訪れて警察手帳で身分を証明し、手順などを丁寧に説明している」とのことですが、ここまで来ますと「偽の『だまされたふり作戦』に『だまされたふり作戦』」というものがでてくるかもしれません。
まずは、不審な電話を受けた場合はいったん切って、地元の警察署や警察の相談窓口に連絡することですね。
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アルトゥル・ショーペンハウアーさんの哲学は、イマヌエル・カントさん(ドイツの哲学者)の認識論に出発し、プラトンさん(古代ギリシアの哲学者)およびインドのヴェーダ哲学の影響を受け、「観念論(がいねんろん:中世における普遍をめぐる実念論と唯名論の論争を調停する立場。 普遍は個物を貫いている共通の本質が心に思い浮かべられて形成された概念)」「汎神論(はんしんろん:現実は神性と同一である、あるいは、すべてのものはすべてを包含する内在的な神を構成しているという信条。 神を擬人化した人格神を認めず、一切すべてを神と同一視する立場)」「厭世観(えんせいかん:世界は悪と苦痛とが優勢を占めているとして、人生は生きるに値しないものだという絶望的な考え方)」を総合した「生の哲学」として、「この苦痛から解脱する道は、個別的意志を超える芸術活動か、意志を否定し去る境地に達するしかない」と説きました。
その思想は19世紀末の厭世思想、特にフリードリヒ・ニーチェさん(ドイツの思想家)に大きな影響をおよぼしたと言われています・・・が、私には難しい哲学はまったくわかりません。
「誰かがウソをついていると疑うなら、信じたふりをするとよい。そうすると彼は大胆になり、もっとひどいウソをついて正体を暴露する」
さて、世の中には「許されるウソ」と「許されないウソ」があります。ものごとの善悪はウソの中身と理由で決まると言ってもいいかも知れませんが。
■2023年6月
埼玉県さいたま市に住む70代の女性から現金をだまし取ろうとしたとして、埼玉県警浦和西署は6月14日、詐欺未遂容疑で東京都世田谷区の自称アルバイトの男性を現行犯逮捕。
逮捕容疑は氏名不詳の者と共謀し、女性に会社員の三男を装って、「携帯電話を落とした。お金を用意しなければならない」などと電話し、現金をだまし取ろうとした疑い。
電話の声を不審に思った女性が三男に確認して詐欺と見抜いて110番。そのあとも警察に協力して「だまされたふり」を続け、14日午後に同市内で三男の会社の部下を装って現れた男性を警戒中の警察官が職務質問し、逮捕。
同署の調べに対し容疑者は、「おばあちゃんから荷物を受け取った。詐欺かもしれないとも思ったが確信はなかった」となどと容疑を一部否認しているそうです。
まさしく、「誰かがウソをついていると疑うなら、信じたふりをするとよい」ですね。
ちなみに、各警察などでは、「振り込め詐欺撲滅のため、皆様からの通報・相談等を活用しています。犯人が使用する携帯電話や預金口座等を聞き出す『だまされた振り作戦』にもご協力をお願いします」と広報しています。
「だまされた振り作戦」とは、振り込め詐欺の犯人からかかってきた電話にだまされた振りをしていただき、犯人が使用している携帯電話番号や預金口座番号等を聞き出して、その口座番号等を使用停止にするほか、犯人をおびき出して逮捕することです。
ところが、「誰かがウソをついていると疑うなら、信じたふりをするとよい。そうすると彼は大胆になり、もっとひどいウソをついて正体を暴露する」ということにエスカレートしています。
それが、「偽の『だまされたふり作戦』」で、実際にあったそうです。
■2022年12月
神奈川県横浜市に住む80代の女性の自宅に息子を名乗る男性から、「トイレに財布を忘れた。お金を貸してほしい」などと電話がありました。その直後、今度は警察官を名乗る男性から電話があり、「息子を名乗る電話は詐欺です。逮捕するため『だまされたふり作戦』をします」と言われました。
そして、警察官を名乗る男性は、「だまされたふりをして犯人に現金を渡してください。お金を渡した直後に犯人を逮捕します」などと言い、話を信じた女性が、自宅を訪ねてきた男性に現金100万円を手渡すと、男性はその場から立ち去ってしまい、だまし取られてしまいました。
詐欺グループは「だまされたふり作戦」という実在する警察の捜査手法をかたって、だまし取ろうとしてきます。
警察では、「だまされたふり作戦」で捜査に協力してもらう場合は、「複数の捜査員で自宅を訪れて警察手帳で身分を証明し、手順などを丁寧に説明している」とのことですが、ここまで来ますと「偽の『だまされたふり作戦』に『だまされたふり作戦』」というものがでてくるかもしれません。
まずは、不審な電話を受けた場合はいったん切って、地元の警察署や警察の相談窓口に連絡することですね。
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本日も、拙文最後までお読みいただきありがとうございます。
皆さまにとって、今日という日が昨日よりも特別ないい日でありますようにお祈りいたしております。
また、明日、ここで、お会いしましょう。それではごめんください。
皆さまにとって、今日という日が昨日よりも特別ないい日でありますようにお祈りいたしております。
また、明日、ここで、お会いしましょう。それではごめんください。