「人生を振り返るならば、やってきたことの8割は後悔することになるのではないだろうか。だが、人生はすべての失敗から成り立っているものなんだ」
シルヴェスター・スタローンさんは、米国の俳優、映画監督、映画プロデューサー、脚本家で、「ロッキー(1976年)」「ランボー(1982年)」など1970年代から2010年代のアクション映画を代表するスターです。
スタローンさんは1946年ニューヨーク生まれ。生まれたときの医療ミスで障がいを負い、子どものころ、いじめられていましたが、逆にイジメっ子たちに仕返しをするくらいになり、いつの間にか、不良少年になってしまいました。小学校から高等学校修了までに14の学校から放校処分を受け、お母さんの経営するボクシングジムで体を鍛えながらも荒れた生活を続けていました。
その後、美容学校へ進学しますが中退し、それでもお母さんの協力により奨学金でスイスへ留学。当初は遊び暮らしていますが、演劇の授業で演技の楽しさを知り、俳優を目指すためマイアミ大演劇学部で演技に打ち込みますが、一向に芽が出ないまま中退してしまいます。
しかし、それでも俳優を諦めずニューヨークへ向かいますが、オーディションには落ちまくり、料理人、用心棒、ダフ屋、ライオンの飼育係などのアルバイトを続けながら俳優を目指します。そして、「ブルックリンの青春(1974年)」での演技が評論家の目にとまり、スタローンさんは妻と愛犬と一緒にハリウッドへ移り、1975年には「デス・レース2000年」に準主役として出演します。
1975年3月15日、29歳のとき、ボクシングの世界ヘビー級タイトルマッチ「モハメド・アリ vs. チャック・ウェプナー」の試合を観戦。チャンピオンに君臨するアリさんと、有名ではなかったウェプナーさんの対戦は、アリさんの勝利は確実でしたが、ウェプナーさん15ラウンドを戦い抜き、さらにアリさんからダウンを奪いました。試合結果はアリさんのTKO勝利でしたが、観客はアリさんよりもウェプナーさんに大きな拍手を送ったことに感動し、それをヒントに3日で書き上げた脚本をもって映画会社に売り込みます。
この脚本が「ロッキー」です。しかし、予算がつかなかったためB級扱いとなり、当初は上映する映画館は少なかったものの、評判を呼び、世界的規模で大ヒット。まるで映画そのものの「アメリカン・ドリーム」を実現したことから、さらに大きな話題を呼び、アカデミー賞では「作品賞」「監督賞」を獲得しました。
このロッキーのシーンの真似をした方も多いと思いますが、私もいろいろと真似したものでした。生たまごをジョッキに入れて飲んで(もどして)みたり、階段を駆け上がって(こけて)みたり・・・と。
その後、「ロッキー2(1979年)」や「ランボー(1982年)」などのヒットによって、アクションスターとして地位を確立させていきます。
ただ、必ずしも成功ばかりではなく、多くの失敗作もあります。それでも、挑戦し続けて、2006年にはロッキー」シリーズの新作「ロッキー・ザ・ファイナル」を製作し、その後もロッキー・シリーズのスピンオフ作品を製作していたりしています。
「人生を振り返るならば、やってきたことの8割は後悔することになるのではないだろうか。だが、人生はすべての失敗から成り立っているものなんだ」
私たちも失敗と成功を繰り返し、どんなときも挑戦し、失敗しても諦めずに立ち上っていくことですね。
ちなみに、私個人的には「オーバー・ザ・トップ(1987年)」が好きです。
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今日がみなさんにとって、穏やかで優しい一日になりますように。そして、今日みなさんが、ふと笑顔になる瞬間、笑顔で過ごせるときがありますように。
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