大相撲11月場所は9月場所で全勝優勝した大関・豪栄道関の綱取りで土俵上が盛り上がっています。
その大相撲の世界と言えば、十両以上になってから初めて陽の当たる世界へ踏み出すことが出来、幕内入幕してからようやく一人前として扱われるものです。その格付けは横綱から始まって、大関-関脇-小結-平幕-十両-幕下-三段目-序二段-序ノ口と日本におけるカースト制度となっています。
その一番下に位するのが序ノ口(じょのくち)という階級です。番付表には小さい文字で書かれるため、「虫眼鏡」とも呼ばれます。でも、間違いなく、あの小さい文字で書かれるのですからとても名誉な事でもあります。
前相撲(番付外の力士が取る相撲)を取り出世した者が、初めて番付に名前を載せることができる地位で、定員は特に決まっていません。通常1場所で7番の相撲を取り、4勝以上挙げて勝ち越せばほとんどは序二段へ昇進出来ますので、序ノ口は序二段よりも人数か少ないです。
近年は幕下付出(要するに飛び級)に相当する実力の持ち主でも、最近の幕下付出基準の厳格化により、付出力士に匹敵する実力者が多く序ノ口に付くようになったため、序ノ口内の実力差は大きく差が付いたりします。
つい先日まで行われていた、大相撲9月場所三日目の9月13日のこと。前相撲に引き続き行われた序ノ口の二番目に組まれた西29枚目・服部桜(式秀部屋)-西26枚目・錦城(九重部屋)戦。1敗同士の取組で、とんでもないことが起こりました。
一度目の立ち合い。服部桜は立ち合い直後に自ら両手を土俵につきました。これは立ち合い不成立と見なされてやり直しとなりました。
二度目の立ち合い。服部桜はついた手を離したと同時に、ヘッドスライディングのように前方に倒れ込みます。しかし、これも認められませんでした。
三度目の立ち合い。服部桜は今度は後ろに倒れ尻もちをついたが、やはり不成立。
四度目の立ち合い。服部桜はこわごわと両手を前方に出しながらも立つと、錦城に押しつぶされる形で両膝から落ち、ようやく勝負が決しました。
なぜ、このようなことが起きてしまったのかでしょうか。
服部桜は昨年秋場所初土俵の18歳。不戦敗を含めて22連敗スタートとなり、今年の夏場所でようやく初勝利を挙げました。
一方の錦城は今場所が序ノ口デビューながら、入門前はアームレスリングの全日本ジュニア選手権2位の実績を持つ18歳。
師匠の式秀親方(元幕内・北桜)は「細い体(1m80cm、64.4kg)で相撲経験がない中、初土俵から一年やってきて首が痛くなった。相手に対して萎縮してしまった」と説明しましたが、敢闘精神に欠ける相撲の世界では「無気力相撲」と言います。それが日本相撲協会の監察委員会で故意であると認定されれば、懲罰の対象となります。服部桜は無気力相撲と言われても仕方のない相撲でした。
大相撲の世界はプロ野球やJリーグなどの他のプロスポーツと違い、本人のやる気さえあれば力士になれる、実力の世界です(厳密には年齢制限、体格の制限などはあるが)。服部桜は自らが角界入りを希望し、家族の承諾を得て式秀部屋に入門。入門後の相撲教習所では、今年5月の卒業式の際に皆勤賞をもらっています。当然、強くなりたい気持ちは持ちっていますので、今回の出来事が残念で仕方ありません。
二所ノ関審判部長(元大関・若嶋津)は今回の出来事を受けて、式秀親方から事情聴取し、きちんと指導するように口頭で注意しました。式秀親方は「相撲を取るのであればプロですから、今後は様子を見て休場というのも考えないといけない。(万全の状態で相撲を取れないのは)相手に対しても失礼だから」と本人の気持ちをくんだ上で今後について判断することになっていました。
しこ名も「服部桜祥多」から体も心も太くなるようにと「服部桜太志」に改名して出直しを誓い、11月場所には元気な姿(?)で土俵に上がっています。
2日目(11月14日)に序ノ口東25枚目の服部はが父がポーランド人、母が日本人のイケメン力士、西23枚目の露草(大嶽部屋)に突き出しで敗れ、黒星スタートとなりました。取り組みを報道したニュースによれば、「恐怖心を振り払うように立ち合いからモロ手突きで攻めたが、パワーの差は歴然。秒殺されて土俵の外に尻から落ちてしまった」とのことです。服部桜も「相手は強いと聞いていましたが、あそこまで強いとは思いませんでした」と唇を噛んで、悔しそうだったとのことです。
通算成績は1勝41敗1休。「早く2勝目が欲しいです」と服部桜の戦いは続いていきます。
ちなみに、横綱白鵬は序ノ口デビューとなった2001年の夏場所では負け越しスタートです。