野球小僧

第73回 全国高等学校野球選手権 三回戦 長野・松商学園高 vs. 三重・四日市工高

昨日は第100回大会は休養日でした。よって、長野県の想い出の試合を取り上げます。

この試合、会社の中で珍しく途中経過が放送されたように記憶しています。それだけ、この年の松商学園高に長野県民が注目していたということでしょう。

1991年8月18日。快晴のもと午前10時24分に始まった三回戦第2試合。この年の高校野球は長野県民にとって、久々の盛り上がった甲子園だったと思います。何しろ、春の選抜大会で松商学園高が準優勝。そして、夏もナンバーワンピッチャーの上田佳範さん(現:横浜DeNAベイスターズコーチ)を擁して勝ち上がって来ました。対する四日市工高の井手元健一朗さん(元:中日ドラゴンズ)も注目ピッチャーの投げ合いは、午後2時過ぎにクライマックスを迎えました。

四日市工三重0000300000000000 |3
松商学園  0000003000000001x|4(延長16回)

延長16回裏1アウト満塁、松商学園高の攻撃。左バッターボックスは松商学園高のエースで四番の上田さん。ここまで207球を投げています。対するのは四日市工高の左腕ピッチャー、井手元さんが投じた232球目は、上田さんの右肩に当たるサヨナラ・デットボールとなりました。

上田さんは、「ラッキーでしかないですよ、ああいうピッチャーからデッドボールをもらったのは。打てる保証はありませんから」「高校の時、左ピッチャーとしては一番だったといまでも思ってます。井手元はね」と当時を振り返っています。

この年の春に松商学園高は選抜大会で準優勝しました。上田さんは初戦の愛知・愛工大名電高戦で鈴木一朗選手(イチロー)に投げ勝ち、その後、3連続完封して準優勝の原動力となりました。

(画像は画面キャプチャ)

松商学園高の27回目の選手権。松商学園高は優勝候補として名前が挙がるようになりました。春夏通じて初出場の四日市工高としては、相手が優勝候補ともなれば、自然とチームの士気も上がります。井手元さんとしては「どれだけ通用するか」と初回から全力で飛ばし、伸びのある直球に、一・二回戦で打率4割の松商学園高打線は苦しめられました。

対する上田さんはボールが高めに浮いてしまい、コントロールに苦しみ、1回から2つのフォアボールを与えてしまいます。その後、直球とスローカーブを中心に何とか持ちこたえましたが、5回につかまり、高めの直球をレフトラッキーゾーンに運ばれるなど、この回3点を先制されました。

(画像は画面キャプチャ)

井手元さんを打ちあぐんでいた松商学園高は7回にようやくチャンスを迎えます。この回、井手元さんが突如制球を乱し、3連続フォアボールに乗じ、一・二番の連打で3-3の同点に追いつきます。

(画像は画面キャプチャ)

その後、両ピッチャーは得点圏にランナーを背負いながらスコアボードに「0」を並べ続けたました。

延長に入り、上田さんの身体には疲労の色が出始めました。お昼を過ぎ、この日の気温は35度を超えました。上田さんは「口を開けると歯に唇がくっついちゃって閉じないんです。イニングを重ねるごとにそうなって。アウトカウントを数えるために右手を上げるのさえもしんどかった」と当時の状況を語っています。

16回裏。この回先頭バッターがデットボール、続いてヒットが出てノーアウト一・二塁。これを送って、1アウト二・三塁から満塁策を取った四日市工高。松商学園高は上田さんが8度目の打席に向かいます。「インコース、思いっきり引っ張ってやる」と意気込んでいるところに、井手元さんの232球目が内角、まっすぐ顔に向かって来て、思わず頭をかがめたが、ボールは右肩を直撃。ボールは三塁側に転がり、上田さんが倒れるのと同時に、マウンド上の井手元さんは頭を抱えてうずくまりました。

(画像は画面キャプチャ)

試合時間3時間46分。

松商カラーの緑に染まった三塁側アルプススタンドは大歓声に包まれましたが、ベンチでは中原英孝監督(現:日本ウェルネス筑北キャンパス野球部監督)は頭を抱えてしまいました。「右肩は良くない」。準々決勝の石川・星稜高戦は翌日の午前に決まっていました。宿舎に戻るとすぐに関西在住のOBに連絡を取り、馬肉を探しました。「(馬肉は)熱を取るのに一番いいんだ。長野の人はみんな知ってる」とのことです(確かにそう言われています)。2ミリにスライスして赤く腫れた上田の右肩へ、マネジャーや部長らが交代で、不眠で翌朝まで貼り替え続けました。

翌朝起床後も、デッドボールを受けた箇所はボールの縫い目がはっきりとわかるくらいに、酷い状態になっていました。それでも上田さんは中原監督に「投げさせてください」と直訴して星稜戦に登板しましたが、結局、上田さんは完投したものの2-3で敗れました。

準々決勝の星稜戦は四日市工戦翌日の第2試合だったため、上田さんは24時間の間に328球を投げました。ただし、上田さんは試合後のインタビューで「右肩は痛くないと言えばウソになるが、それを負けた理由にはしたくない」と、四日市工高戦のことを一切言い訳にはしませんでした。でも、当時星稜高の二年生で四番だった松井秀喜さんは、「やっぱり上田さんは本調子の投球ではなかった」とも語っていました。

「大丈夫でしたよ。幸い骨じゃなかったから。翌日もしっかり腕が上がりました」「無我夢中でやっていれば痛みなんて感じない。それで16イニング、ほぼ2試合分できたんだから、幸せでした」と長かった試合は、輝かしい思い出になっています。

大会後、軟式の全国大会にも松商学園高が出場し、準決勝で四日市高(但し三重では無く大分県代表)と対戦しましたが、延長16回まで試合がもつれ込み、最後は押し出しのフォアボールで勝利を収めるというという偶然が起こっています。


コメント一覧

まっくろくろすけ
eco坊主さん、こんばんは。
あら、名誉長野県民たるお方が、なんてことですか。

でも、まあ、仕方がないです。昔のことですからね。以降、パッとしませんので・・・。

もう一度、長野県民が熱くなるような夏が来れば嬉しいですが・・・とりあえず、御岳海関で盛り上がっておきますか。
eco坊主
おはようございます。

申し訳ないm(_ _)m
松商学園が準優勝した記憶は朧気乍らあるのですがvs四日市工は記憶にございません。
でも、上田佳範選手は覚えています。
勇者にドラ1でしたよね。そして外野手へ転向し落合監督の時トライアウトで竜へ入団・・・この程度です^^;

軟式での大会も同じようなことがあったのは偶然ではなく必然!?野球の神様の悪戯でしょうかねー。
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