野球小僧

夏の甲子園 雨が生んだドラマ

第101回全国高等学校野球選手権の大会本部は、台風10号の影響により、8月15日(第10日)の全4試合を8月16日に順延すると発表しました。このため、準々決勝は8月18日、8月19日は休養日となり、8月20日が準決勝。今大会から準決勝後にも休養日が設けられたため、8月21日は休養日で、決勝は8月22日に行われる予定となりました。

台風による試合の順延は2017年の第99回大会の8月15日以来2年ぶりになります。

ところで、夏の甲子園の長い歴史で、雨が生んだドラマは少なくありません。

第101回大会を迎える今年の夏の甲子園。地方大会では、「令和の怪物」と呼ばれた岩手・大船渡高の佐々木朗希選手に大注目が集まりました。残念ながらチームは県大会決勝で敗けてしまい、甲子園でその勇姿を見ることは出来ませんでした。甲子園に出場していたら、きっと大観衆を集めたと思われます。

「たった一人のスター選手が大観衆を集めた」と言われたのが、1973年・第55回大会の栃木・作新学院高の江川卓さんでした。

江川さんが初めて甲子園に姿を現したのは1973年の第45回選抜大会でした。この時はベスト4で惜しくも敗退したものの、江川さんの失点は4試合でわずか2点(自責点1)でした。そして奪った三振は大阪・北陽高戦で19三振を奪い、愛媛・今治西高との準々決勝では20奪三振、計4試合で60奪三振。それまでの1大会通算最多記録だった54奪三振を塗り替えました。その快速球に打者のバットがかすっただけで球場がどよめき、本気で投げたらキャッチャーが捕れないという噂があったほどです。その快速球で強烈な印象を残して甲子園を去っていきました。

まさしく「怪物」です。

ちなみに、「令和の怪物」と呼ばれる佐々木選手、「平成の怪物」が松坂大輔選手(現;中日ドラゴンズ)なのですが、江川さんは「昭和の怪物」とは呼ばれていません。時代を超越するほどだからに違いません。

その江川さんが同年夏の県大会を勝ち抜いて再び甲子園へ戻って来ます。県予選での成績は5試合で被安打2、70奪三振、44回無失点。しかもノーヒットノーランを3試合も達成していました。

二回戦  4-0 真岡工高          ノーヒットノーラン。奪三振21、与四死球1
三回戦  2-0 氏家高(現;さくら清修高) ノーヒットノーラン。奪三振15、与四死球0。三振振逃げのランナーを許し、完全試合を逃す
準々決勝 5-0 鹿沼商工高         1安打完封。4回にポテンヒットを許し無安打イニングは21でストップ
準決勝  6-0 小山高           1安打完封
決勝   2-0 宇都宮東高         ノーヒットノーラン。奪三振14、与四死球 。エラーのランナー2人を許し、完全試合を逃す

そのため、この年の第55回選手権大会は、選抜大会に続いて江川さんがどんなピッチングを見せるのかが、当然のように最大の関心事になりました。また、高校三年生となる江川さんにとっても最後のチャンスであり、初めて手にした夏の甲子園への切符でもありました。

しかし、予想と期待とは裏腹に、この大会は江川さんのその後の道のりを暗示するような逆風でした。

福岡・柳川商業高との一回戦。江川さんへの対策として、バスター打法を編み出して対抗してきます。そして、このバスター打法に江川さんは大苦戦。5回を終えて両チーム無得点の投手戦。江川さんはここまで9三振を奪い、力で柳川商業高打線を抑え込んでいましたが、4回表にはノーアウトから連続ヒットを打たれピンチを迎えるなど、あわやの場面もありました。

そんな柳川商業高打線の狙いがついに江川さんを攻略。6回表、2アウトから内野安打でランナーを出塁させると、続くバッターに右中間を破るタイムリー3ベースヒットを打たれ、なんと先制点を奪われます。この1点は江川さんにとっては公式戦で54イニングスぶりの失点でもありました。当時、試合を中継していたNHKのアナウンサーが、「スコアボードの1点がひと際大きく見えます」と実況での名言を残したほどの一大事でもありました。

作新学院高は7回裏に同点に追いつき、9回裏と延長戦に突入した12回裏に1アウト満塁のサヨナラチャンスを作りましたが、後続が凡退してしまいます。14回裏には江川さん自ら3ベースヒットを放ち、三度目のサヨナラの場面を作りましたが、ここで柳川商業高ベンチはセンターが内野に回り、ピッチャーとサードの間に守る内野5人シフトで、作新学院高のスクイズを阻止します。

しかし、延長15回裏に作新学院高が2アウト一・二塁のチャンスの場面でセンター前へヒット。二塁ランナーがきわどいタイミングながらも本塁を狙い、柳川商業高のキャッチャーが返球をこぼしてしまい、辛くもサヨナラ勝ちを収めました。

この試合で江川さんは15回を投げ、被安打7、与四死球3。奪三振はなんと23を記録しました。

このまま記録を作り続けていくかと思われしたが、続く二回戦は黒潮打線と呼ばれる千葉・銚子商業高戦では逆風に加え、雨が江川さんを打ちつけました。

銚子商業高戦には、5万6000人の観衆がつめかけました。銚子商業高とは練習試合で何度も戦っており、他校のように江川さんに委縮することもなく、苦手意識がないことを江川さんは感じていたそうです。

銚子商業高の黒潮打線は、2回裏1アウトに初ヒット。その後も3回表、6回表、7回表には先頭バッターがヒットで出塁、7回表は連続ヒットで江川さんを攻め、送りバントで1アウト二・三塁とするなど再三再四チャンスを作ります。しかし、そこから江川さんはギアチェンジし、2連続三振に斬って取るなど、ここぞの場面で三振を奪って得点を許しません。

対する銚子商業高は、二年生エースの土屋正勝さん(元;中日ドラゴンズほか)が力投を続け、江川さんよりも少ないヒットで、作新学院高を無失点に抑え込みます。阪神甲子園球場は、8回をすぎて、運命の雨が降り出し、両チームともゼロ行進のまま、試合は延長戦へと突入していきます。

江川さんにとっては2試合連続となる延長戦でした。

延長12回表、作新学院高の攻撃は無得点。この時、雨は激しくどしゃ降りとなっており、大会本部はこの回での打ち切りを検討していました。延長12回裏。銚子商業高はヒットと2つのフォアボールで1アウト満塁。それでも江川さんは3ボール2ストライクまでバッターを追い詰めます。振り続く雨の中、マウンドには江川さんを囲むように作新学院高ナインが集まってきた野手に、江川さんは「真っすぐを力いっぱい投げていいか」と尋ね、「お前の好きなボールを投げろ。お前がいたから、おれたちここまで来られたんだろ」と江川さんに声をかけたそうです。

そして、江川さんが投げた169球目のストレート。雨で手が滑ったのか、指が掛からず高めへと大きく外れ、ボール。サヨナラ押し出しで、怪物の最後の短い夏は幕を閉じました。

1973年(昭和48年)第55回大会・二回戦 第8日 第3試合
作新学院000000000000 |0
銚子商 000000000001x|1(延長12回)

あの瞬間、勝とうというよりも、全員がこの野球を最後までやろうという気持ちだったそうです。それまではいがみあいとか、いろいろあったとのことですが、最後の1球でチームがまとまったと言い、悔しさではなく、清々しさだけだっとそうです。

押し出しのフォアボールになったストレートは雨で滑っているように見えていますが、後に江川さんはこう振り返っています。

「その時は滑ったという感覚はなかった。あの球は高校時代で最高の一球だった」

江川さんは短い高校三年の夏を雨の中で終えました


コメント一覧

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eco坊主さん、こんばんは。

雨が1日でも来ることを予想し、ネタを仕入れておいたものです。ただ、最後まで、もう一つのネタと迷っていましたけれども。

なんだかんだ言っても、高校・大学・プロとで実績と迷言を残してきた江川さんは凄いものです。まさしく「怪物」ですよね。

台風の被害なくてよかったです。こちらは風と雨が激しかったですが、特に大きな被害はなかったようです。

私は来週から仕事で、まだ休み。
eco坊主
おはようございます。

雨で順延の日のブログにこの内容をもってくるなんて
そこいらの構成作家に勝るとも劣らないですね!(笑)

江川さんは本当に凄いピッチャーでしたね。
幼い(笑)ながら小倉南のバント打法は覚えています。
土屋正勝さんも翌年は高校四天王と呼ばれた人でしたね。
あの延長サヨナラも記憶にあります。

台風のご心配ありがとうございました。
我が家の方は特に大きな影響なく被害もありませんでした。
今日から仕事に行ってきます。
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