モータースポーツジャーナリストで、長年、F1中継の解説を務めた今宮純さんが亡くなりました。
今宮さんの公式Twitterは2019年12月30日付けで、「長い19年シーズン、F1LOVERS皆様からのサポート、ありがとうございました。20年は『もっと長い22戦』です。F1選手権開始の1950年は7戦、70年後に3倍増(!)。やる方も、走る方も、見る側もいろいろプレッシャーが。<質より量を好むUSA>、伝統とかにもこだわりますね。よいお年を。」が最後の投稿でした。
2020年シーズンへの思いをつづっていただけに突然の訃報でした。
今宮さんは大学卒業後、モータースポーツ専門のジャーナリストとして活動し、1980年代後半にブームとなったF1で、フジテレビの解説者を務めていました。
1994年のサンマリノGPでアイルトン・セナさんが事故死した際にも解説を務めており、その中継シーンは今でも覚えています。
当時はフジテレビ系の地上波でF1全戦が中継されていました。欧州ラウンドは生中継でなく、その日の深夜に録画で放送する形式でした。事故後は中継前のスポーツ番組で容体や事故の詳細が伝えられており、その時はまだ死亡は発表されていませんでした。レース自体もいったんは中断していたものの、再開されていました。
日本時間1994年5月1日深夜0時15分にF1中継が始まると、すぐに現地からの緊急生中継に切り替わり、三宅正治アナウンサー、ピットリポーターの川井一仁さんとともに、今宮さんの3人のリポートが始まり、レースの録画中継に生中継を挟みながら番組が続けられていきます。
番組中にニュース速報で「セナさん死亡」のテロップが流れると、再び生中継の映像に切り替わり、今宮さんは、「モータースポーツで働いている者の1人として受け止めなければならない。再来週のモナコGPにセナはいませんが、F1は続いて行くわけです」と虚空を見つめながら大粒の涙を流していた場面です。
1989年からF1中継にフリーアナウンサーの古舘伊知郎さんが加わり、今でもセナさんの代名詞ともいえる、「音速の貴公子」など独特の言い回しのニックネームが次々と誕生し、日本企業の多くがスポンサーになったりして、F1も、それまで見ていたのはクルマ好きの男性が中心から、女性や子どもにも広まって行き、ブームを迎えました。
しかし、セナさんが事故死したのと、バブル崩壊の時期と重なったこともあり、隆盛を極めたF1ブームは一気に終焉へと向かうことになり、F1中継も地上波から消え、フジテレビ721→フジテレビNEXTで放送されるようになっていく中で、私もいつの間にかF1中継を観ることがなくなっていきました。
私にとって、F1といえば今宮さんでした。