学生野球回復制度の研修を受け、日本学生野球協会の資格審査が必要になった1984年以降に監督で甲子園に出た元プロ野球選手は7人います。その中で、甲子園で勝利を挙げたのは1991年春、2000年夏に出場した広島・瀬戸内高校 後原富(せどはら ひさし=東映フライヤーズ)さん、2008年夏準優勝の静岡・常葉学園菊川高校 佐野心監督(現; 浜松開誠館監督=中日ドラゴンズ)、2015年夏に勝利した福岡・九州国際大付高校 楠城徹監督(西武ライオンズ)の3人だけです。
「生徒に考えさせながら一つひとつというのが大事」というのが、奈良・天理高の中村良二監督です。
1986年に近鉄バファローズからドラフト2位指名され入団。阪神タイガースでもプレーした経験を持っています。タイガースを退団後、サラリーマン、中学生チームや天理大の監督を経て、2014年に日本学生野球協会から学生野球資格の回復を認定され、天理高のコーチに就任。翌年から監督に就いています。中村監督は「自分がプロで学んだ技術をそのまま伝えようとしても、絶対に上手くいかない。むしろ生徒との接し方は、9年間指導したシニアリーグや大学の監督生活を通じて学んだと思います」と言います。
「運送の仕事を辞めて大学に入り直したときも、ここで監督をやる話はなかった。嫁さんも子供もいたのに結構無計画でしたよ」というのが、西東京・東海大菅生高の若林弘泰監督です。
1991年ドラフト4位で中日ドラゴンズに入団しましたが、右肩痛の影響もあって6年間で1勝1敗、1997年に引退しています。引退後はドラゴンズ監督だった星野仙一現楽天球団副会長のアドバイスもあり、佐川急便で5年間勤務。「オレがやりたいのは運送の仕事じゃないよな、野球に携わりたいなっ、て気持ちがムクムクでてきた」と一念発起し退職。知り合いのつてを頼って名城大学の教職課程を受講し、教員免許取得後は東海大菅生高に社会科教諭として着任。2009年に野球部の監督に就任しました。「自分はそのとき大変だと思ってても、周りから見れば大したことでなかったりする。生徒たちにはいつも言ってるんですよ。『苦労したかどうかは、自分じゃなくて周りの評価で決まるもの。自己評価と周りのギャップにふて腐れるんじゃないぞ』って」と言います。
今日の準決勝で天理高と東海大菅生高が勝てば、史上初のプロ野球出身の監督同士の決勝となります。
以前、プロ高校野球監督とプロ野球出身監督の決勝が来る日が楽しみ、みたいなことを書きましたが、プロ野球出身の監督同士の決勝が早くも来るとは思ってもいませんでした。
現在、プロ野球出身の高校野球監督は次の方がいます(調査漏れしている可能性はあります)。
有倉雅史監督 北海道・札幌国際情報高(阪神タイガース)
遠田誠治監督 北海道・札幌創成高(中日ドラゴンズ)
伊藤博康監督 福島・東日大昌平高(読売ジャイアンツ)
中尾孝義監督 岩手・専大北上高(西武ライオンズ)
麦倉洋一監督 栃木・佐野日大高(阪神タイガース)
芦沢真矢監督 東京・啓明学園高(ヤクルトスワローズ)
川俣浩明監督 神奈川・藤沢翔陵高(阪神タイガース)
深沢和帆監督 山梨・駿台甲府高(読売ジャイアンツ)
桃井進監督 長野・長野俊英高(ロッテオリオンズ)
原俊介監督 静岡・東海大静岡翔洋高(読売ジャイアンツ)
吉田道監督 静岡・浜松学院高(近鉄バファローズ)
田中幸雄監督 静岡・菊川南陵高(中日ドラゴンズ)
大久保学監督 静岡・オイスカ高(南海ホークス)
酒井弘樹監督 愛知・名経大高蔵高(阪神タイガース)
山本皙監督 大阪・大阪偕星学園高(韓国; 太平洋ドルフィンズ)
岡本哲司監督 和歌山・和歌山南陵高(日本ハムファイターズ)
竹本修監督 兵庫・市尼崎高(阪急ブレーブス)
羽田耕一監督 兵庫・三田学園高(近鉄バファローズ)
大越基監督 山口・早鞆高(福岡ダイエーホークス)
若井基安監督 山口・高川学園高(福岡ダイエーホークス)
小林昭則監督 愛媛・帝京五高(千葉ロッテマリーンズ)
楠城徹監督 福岡・九州国際大付高(西武ライオンズ)
奥宮種男監督 福岡・東筑紫学園高(西武ライオンズ)
定岡智秋監督 福岡・柳ヶ浦高(南海ホークス)
榊原聡一郎監督 宮崎・宮崎日大高(広島東洋カープ)
新里紹也監督 沖縄・普天間高(大阪近鉄バファローズ)
他にもコーチの方も大勢います。ただ、誠に申し訳ございませんがプロ野球の現役時代に活躍された方よりも、そうでなかった方のほうが多いです。お名前を見た限りでは???でした。むしろ、プロとしては特に実績を残した方たちではありません。
名声を残した選手だから良いということではなく、野球人としても苦労してきたこと、貴重な経験をしてきたことこそが大事なのであって、それが経験に裏打ちされた言葉を生み出し、高校生に伝えられるのだと思います。私たちは元プロ野球選手だから野球に詳しいと思い込んでいますけど、指導者として優れているかどうかは別の問題だと思います。それは日本で多い勘違いだと思います。もしかすると、その辺で酔っ払っている野球好きなオヤジの方がよっぽど優れているのかも知れません。
なお、瀬戸内高で教師だった後原富さんは1982年の秋に広島駅の新幹線ホームで当時日本高校野球連盟会長だった牧野直隆さんに「私が専門とする野球を子供に指導できないのは、数学の教師が数学を教えられないのと同じです」と、プロ出身者が高校野球を指導する突破口を開こうと直談判を試みました。牧野さんは「言いたいことは分かった。何か理由付けがほしいのだが」と言い、「教員になって10年です。それを元プロが高校生を教える条件としては」と提案し、「それはいいなあ」と牧野さんはうなずいたのが、きっかけになり、1984年4月にプロ出身者では初めて高校野球を指導することが認められました。