第21回全日本身体障害者野球選手権大会が各地方を代表する7チームが障害者野球の日本一を目指し、11月2日と3日に、兵庫県豊岡市日高町名色の全但バス但馬ドームで行われました。
優勝したのは、中国・四国代表の岡山桃太郎。2年ぶりの日本一に輝きました。
一回戦 神戸コスモス
春の全国大会決勝では、0-10と大敗した相手に、2桁安打の猛攻で7-3で神戸を下します。
準決勝 北九州フューチャーズ(九州)
5-5のまま試合終了。大会規定によって、決勝進出は選手9人ずつのジャンケンで決められることになり、岡山桃太郎が先に5勝し、2年ぶりの決勝進出を決めました。
決勝 名古屋ビクトリー(中部・東海)
1回、岡山桃太郎はタイムリーヒットと相手のバッテリーエラーで2点を先制。しかし3回に満塁からタイムリーヒットを打たれ、2-2の同点。その裏、岡山桃太郎はランナー一塁の場面からのタイムリーヒットで1点を勝ち越し。その後、着実に得点を重ね、守ってはランナーを許しながらもダブルプレーなどで切り抜け、反撃を許さず、そのまま逃げ切って勝利を収めました。
大会MVPには、エースの早嶋健太選手が選ばれました。
「秋の大会、みんなで優勝したいです」
今年の5月に兵庫県神戸市で開かれた身体障害者野球、春の全国大会。岡山桃太郎は初めての春の頂点を目指して、大会に臨んでいました。
しかし、スコアボードには大黒柱の名前がありませんでした。この時、絶対的エースの早嶋健太選手は、投げることも打つこともできませんでした。
早嶋選手は生まれつき左手首の先がありません。小学五年生でソフトボールを始めた時は右打ちでした。お父さんから左打ちを勧められ、右腕で打って左腕で押し込む左打ちに変えました。最初はバッティングセンターに行っても打てず、すぐにお父さんに「帰るぞ」と言われ、その悔しさが、野球を続けてきた原点になります。
50m5秒9の俊足を生かした巧打の外野手として、健常者の中でプレーしてきました。中学時代は軟式野球、高校は津山東高で硬式野球を始めて一年生秋からレギュラーに。中国六大学リーグの吉備国際大(岡山)でもベンチ入りを果たし、スタメンの座を勝ち取りました。
ボールを投げる時は、グラブごと左脇腹にはさみ、右手で球を取りだし、左手首にグラブを引っかけ、右手で投げます。捕球する時は、右手にグラブをはめて捕球。素早い動作は健常者に見劣りしません。
就職活動の準備のため大学三年生秋に引退する頃、障害者野球の世界大会があることを知り、「日本代表として戦いたい」と、以前から誘いがあった岡山桃太郎に入団。大学まで硬式でプレーしていたことから肩の強さを見込まれ、ピッチャーに転向します。
2017年の障害者野球の全日本選手権での初優勝に貢献し、全日本障害者野球連盟の年間MVPに輝き、2018年には日本代表として身体障害者野球の世界大会に出場し、日本の世界一に貢献、大会MVPに輝きました。
しかし、2019年春の全国大会の1週間前。早嶋さんは岡山市の病院を訪れていました。
大会連覇を目指した2018年秋の全国大会・準決勝。1-0で迎えた5回から早嶋選手はリリーフしましたが、1イニング5失点と打ち込まれ、チームは後半追い上げたものの、4対5で敗れました。
「何とかいけるだろうという甘い気持ちで投げていたが、何ともならんぐらい痛くて。それがすごく悔しいというか、痛くなかったらもっとできたんだろうというのがすごく悔しくて…」
検査の結果、ヒジの靱帯が断裂していた上、関節の中に複数の骨のかけらが見つかりました。実は中学校のときに1回、ヒジを痛めていて、大学三年の夏に、外野からバックホームしたときにヒジがボキッとなって、痛みを抱えながらプレーを続けてきました。
早嶋選手は左手の手首から先がないため、野球も生活もずっと右手に頼ってきましたが、右手が使えなくなることを覚悟で、2019年3月に右ヒジを手術。それは、もう一度「全力で野球をするため」の決断でした。
「(右腕を)固定していたんで、1週間。左手だけで生活していて。ずっと右腕だけでやってきたので、腕のありがたみというか。もし事故とかで(右腕が)本当に使えなくなったら、どうやって生きていくんかなとはすごく考えた時間でした」
手術以降、早嶋選手は裏方としてチームをサポートしています。それでも、時間を見つけてはつい身体を動かしてしまいます。
「(見ていたらやりたくなる?)やりたくなります。だいぶ抑えています、これでも。野球好きだったんですね。大学くらいまでは、苦しくてたまらなかったんですけど、いざこうやってみると好きだったんだなって思います」
大黒柱を欠いた状態で、岡山桃太郎は春の全国大会に臨むことになりました。
副主将の井戸千晴選手はチームをまとめようと懸命でした。
「大黒柱が抜けるというのはチームにとっても結構なダメージなんで、みんなでサポートしていけるように頑張っていこうと思います。一人一人の意識が変わってきたというのは感じます、少しずつ。頼るんじゃなくて、自分で頑張ろうと」
その想いに応えるように、岡山桃太郎は初の決勝まで勝ち進みました。決勝は相手の勢いに飲まれ、優勝という目標には届きませんでしたが、春の大会・準優勝はチームとして過去最高の成績でした。
そして、早嶋選手は夏に復帰。「秋の大会、みんなで優勝したいです」と言っていたことを実現しました。
日本身体障害者野球連盟のホームページには、こう書かれています。
人生を押しつぶすような
アクシデントに遭遇しても
野球を諦めたりはしない
限界があるとすれば
それは自分が思いこんでる限界だけだ
無限の可能性を信じる人は
いつも脱皮し変身できる
障害物はどれもチャンスであり
障害壁はどれもテストなんだ
奇跡は瞬時に起きて
魔法の世界の扉が開く