「たまたまいて地震にあって、津波を目の当たりにして、宮城県という我々の地元で、俺らは生かされた。勝手に使命感を持っちゃったんです」
2011年3月11日。東日本大震災発生時、サンドウィッチマンの伊達みきおさんと、富澤たけしさんは、東北放送のレギュラー番組「サンドのぼんやり~ぬTV」のロケで宮城・気仙沼市にいました。
地震が発生した午後2時46分は、撮影がちょうど休憩に入ったところでした。
サンドウィッチマン、出演者と番組スタッフなどがいたのは海沿いの場所でした。30分以内には10m以上の津波が来るとの情報が入り、津波から逃れるために近くの安波山に避難しました。そして、そのあとに押し寄せた非現実的な光景を目撃することになります。さらに夜になると昼間にロケをしていた気仙沼市内は火の海になっていました。
そんなサンドウィッチマンが芸人人生を懸けたともいえる3つの決断があるそうです。
■義援金の立ち上げ
被災してから5日後、「東北魂義援金」を立ち上げました。先輩から「先頭切ってアクションを起こせ」と背中を押されたことがきっかけで、義援金を立ち上げたとのことでしたが、同時に救いたいけれど何もできない無力さを痛感しており、「何かできることはないか」と考えたたそうです。
そして、芸人として笑いを届ける以上に、「何が出来るかなって思った時に、お金が必要になってくる。現金や通帳を家に置いて避難している人がほとんどだったので、募金を集めようと決めました」と、募金しかないという思いにで、気仙沼市にいて生きて帰ってきたからこそ、震災の当事者として伝えることが使命だと考えたそうです。
■ラジオ番組への出演
震災から1週間経ち、TVやラジオなどは災害放送中心となり、その他の番組の自粛ムードの中で、ラジオのニッポン放送「オールナイトニッポン特別放送」のMCのオファーが来ます。日本穂移送は、「震災から3~4日ぐらいは災害報道ということでニュースをやっていたが、サンドウィッチマンさんが募金活動をブログなどで表明していて、東日本大震災に対してラジオとしてのメッセージが出せるのではないか」と考え、放送の前日にオファーしたそうです。
被災地でも放送されるラジオ番組への出演にサンドウィッチマンの2人が最も悩んでいたことはオープニングだったそうで、「オールナイトニッポン」か「被災地に寄り添うラジオ番組」かというところに、寸前まで悩んだそうです。
放送7分前に伊達さんが更新したブログには、「俺たちの仕事は芸人です。人を笑顔にさせてナンボの世界に14年います。被災地の皆さんに聞いてほしいです。元気に行くぞ!」と想いがつづられ、番組のオープニングはショートコントでした。この放送を聞いたリスナーからは、「震災後笑ったのは初めて」や「こんな時だからこそ、暗くならずに笑いを届けてください」というメッセージが届きました。
■被災地でのライブ
サンドウィッチマンが芸人人生を懸けたともいえる最後の決断は、被災地でのお笑いライブでした。実際に東北地方でお笑いライブをやるまでに約1年半かかっています。伊達さんは「何度も被災地には行っているんですけど、まだ違うな、まだ違うな」と感じていたそうですが、何度も行くうちに岩手県大船渡で誘いを受け、大船渡でのチャリティーライブを決めたそうです。
トラックの荷台がステージで、場所は駐車場。それでも、800人以上の地元の方々は温かく迎えてくれ、念願だった笑いを届けることができました。さらに、ライブ終了後にできた長い行列では、地元の方々と一人一人と握手を交わしました。今でもサンドウィッチマンの2人はプライベートでも東北を訪ねて、地元の人たちの交流を絶やさないでいます。さらに、2人が毎年3月11日に必ずしていることとして、自分たちが避難した安波山に登り、気仙沼市の方々と黙とうをささげています。
伊達さんは「僕らを見て震災を思い出すという人もいますが、全然思い出してください、と。それが風化につながらないわけですから。僕らを見たら東北のことを思い出してください。そして、また遊びに来てくださいと、そういう考えでいこうと富澤と話しました」と話しています。
ちなみに、義援金について「先頭切ってアクションを起こせ」と背中を押したのは島田紳助さんとのことです。そして、和田アキ子さんからは、「私、どうしたらいい?あなたたち、一生懸命頑張りな」とエールがあり、いまだに毎月、義援金を振り込んでくれているそうです。ほかにも中居正広さんなどの著名人も賛同してるそうです。
サンドウィッチマンが立ち上げ、チャリティライブの活動などを通じて賛同者から寄せられた「東北魂義援金」は、2021年3月に総額は約5億円になりました。
2012年10月からは、震災孤児・遺児の生活費や学費を支援する目的で募ってきました。そして、10年を機に、これからは形になる何かを被災地に寄贈していくことを考えているとのことです。
伊達さんは、「『支援』というと偉そうなので、僕らは『応援』っていっています」と語っています。
富澤さんは、「心は人それぞれのペースがあるので、ずっと復興しない人もいるかもしれないです。だけどそこは焦らず、無理して復興っていわなくてもいい」と語っています。
被災地の方々、もちろん一人一人事情は異なります。何を以って応援できるのかは難しいですが、何か小さなことでも応援できればいいかなと私は考えています。そして、これからも生きている限り、そして自分の息子たちにも継続して応援し続けていくようにしたいと考えています。
あらためて、2度とこない今日という1日を大事に大切に過ごしたいと思います。
良いことはずっと続き、良くないことには、必ず終わりが来ると信じていきましょう。
今日も、私のブログを最後まで読んでいただき、ありがとうございます。明日もまた、元気にここでお会いしましょう。