今年で第93回を迎える選抜高校野球。
(画像は過去大会でのものです)
2020年は新型コロナウイルス感染拡大に伴い、戦争中に中断時期はあったものの、史上初の中止という事件(?)となりました。ということで、本日は選抜大会における事件(?)を調べてみました。
■1927年 / 第4回大会
1926年12月25日に大正天皇が崩御された、日本国中が喪に服す中、出場校を16校から8校に減らし、さらに4月29日に開幕し、決勝が5月1日というわずか3日間の開催。下旬から開催し、決勝戦は5月に開催。ただし、この大会から優勝は米国への遠征が特典となりました(1931年の第8回大会まで実施)。
■1947年 / 第19回大会
戦争が終わり、1946年に夏の選手権大会が復活し、選抜大会も1947年に6年ぶりに復活となりますが、当時日本で占領政策を実施していた連合国軍最高司令官総司令部(General Headquarters, the Supreme Commander for the Allied Powers = GHQ)が、「全国大会は夏の選手権のみ。年1回にせよ」と通達してきました。しかし、大会関係者が、「全国という名称はつけない」「地元関西を中心とした招待大会にする」という条件でGHQに提案し、開催されました。ただ、出場16校中、地元関西勢力は6校のみであり、関東、東海、北陸、中国、四国、九州から出場したチームもありました。
■1959年 / 第31回大会
大会決勝で岐阜・岐阜商高(現;県岐阜商高)を3-2で破り、選抜大会3度目の優勝を飾ったのが愛知・中京商高(現;中京大中京高)でした。実は決勝戦が行われた4月10日は、当時の皇太子・明仁さま(現;上皇陛下)と正田美智子さん(現;上皇后陛下)のご成婚式があったため、NHKでは朝から晩まで特番の放送となり、NHKラジオ第2のみで放送されるという珍事が発生しています。なお、そもそも決勝戦は4月8日の予定でしたが、雨天のため2日間順延されたといういきさつもありました。
■1984年 / 第56回大会
大会2日目第1試合。滋賀・高島高 vs. 佐賀・佐賀商高で3-1と佐賀商高リードで迎えた5回裏。佐賀商高は満塁の場面で打球は当時まだ設置されていたラッキーゾーンの手前でワンバウンドしてスタンドインする、エンタイトル2ベースでしたが、なぜか二塁塁審はホームランと判定してしまいました。原因は当時、外野フェンスに並べられていた歴代優勝校のバネルの白地と重なり、打球が見え難かったためでした。バネルは即日撤去され、日本高野連は試合後にこの満塁ホームランを審判の誤審として謝罪。ただし、試合中に高島高からの抗議がなかったため、判定は満塁ホームランのままでした。これがきっかけでこの回大量6失点を喫した高島高は4-17で敗退しています。
■2005年 / 第77回大会
3月23日に開幕という日程でしたが、当日は雨のため開会式しか実施されませんでした。このため大会第0日目という扱いになり、1回戦第1試合が行われた3月24日が大会第1目となりました。ちなみに、この大会に21世紀枠で出場した、香川・高松高が当時の史上最高72年ブランクで出場しています。
■2017年 / 第89回大会
3月26日に行われた2回戦の第2試合と第3試合では、なんと2試合連続延長15回引き分け再試合という珍事が起きています。第2試合は福岡・福岡大大濠高 vs. 滋賀・滋賀学園高で、投手戦による1-1の引き分け。第3試合は福井・福井工大福井高 vs. 群馬・健大高崎高で、打撃戦により7-7で引き分け。この記録は高校野球史上初の出来事となっています。
ほかにも、1995年 / 第67回大会と2011年 / 第83回大会は、阪神淡路大震災、東日本大震災の影響を考慮し、鳴りものなどの応援自粛により、大会開催となりました。
次の3つは、大会中の出来事ではなく、大会前の、これこそ事件ともいえる出来事です。
■1970年 / 第42回大会
前年秋の東京大会で準優勝した帝京商工高(現;帝京大高)は、決勝戦も日大三高と延長12回、1-2とほぼ互角に渡り合い、悲願の甲子園初出場は確実と思われました。ところが、2月2日に行われた選考委員会では、「選考資料の一部が(学校の)火災で欠損し、資料不足」という理由で除外され、東京代表の2校めは、準決勝で帝京商工高に0-2で敗れた4位校の堀越高、補欠校も準決勝で日大三高に敗れた3位校の日大二高が選ばれました。決定を不服とした同校は、「これは不当な扱いで、教育機関の野球大会を主催する団体としての設立趣旨、スポーツ精神に反する処置である」と日本高野連会長を相手取り、大阪地裁に仮処分申請を行いました。最終的に、大阪地裁は3月12日、「選抜大会への出場を主張する権利はない」と学校側の訴えを却下しましたが、途中、東京都高野連は同校を対外試合禁止処分にしたり、衆議院法務委員会でも「提訴したことを理由に処分するのはおかしい」と人権侵害問題として取り上げられるなど、社会問題にもなりました。
■1993年 / 第65回大会
第65回大会の出場校を決める選考会が行われた2月1日。関東・東京地区から推薦された計25校のうち6校に、「高野連のサトウ」を名乗る人物から選抜大会への出場が決まったという、偽電話がありました。群馬・関東学園大付高、神奈川・法政二高、東京・早稲田実高は、選考されておらず、とんでもない悪質なイタズラです。なお、いまだに何者の仕業かはわかっていません。
■2002年 / 第74回大会
前年秋の群馬県大会で優勝した太田市商高(現;太田市立高)は関東大会でもベスト4入りし、準決勝で敗れていました。選考での関東は4枠でしたので、関東大会ベスト4なら選ばれてもおかしくないのですが、埼玉・浦和学院高での7回コールド負けが響いたことに加え、同じ群馬県の前橋高もベスト4入りし、優勝校の栃木・宇都宮工高に善戦していたことから、地域性重視で、準々決勝敗退の茨城・水戸短大付高(現;水戸啓明高)が選考されました。これに納得できないとして、群馬県太田市長が日本高野連に抗議しました。これに対して、日本高野連は、「秋季大会は選抜の予選でないというほかはない」と説明し、会長名の回答文を受け取った市長は「返答してくれたことはありがたいが、今後の選考にも不安、心配がある。納得する、しないの問題ではなく、どうしようもない」と、騒動を終わらせました。
今年は、どんな出来事があるのか。感動や微笑ましいことに期待したいですね。
あらためて、2度とこない今日という1日を大事に大切に過ごしたいと思います。
良いことはずっと続き、良くないことには、必ず終わりが来ると信じていきましょう。
今日も、私のブログを最後まで読んでいただき、ありがとうございます。明日もまた、元気にここでお会いしましょう。