沖縄から開幕した全国高校野球選手権大会(夏の甲子園)の県大会は北海道、鹿児島、東京と順々に開幕していきます。
今まで何年もやって来た練習の成果を二時間余りの短い時間に集中して発揮することは、言うほど簡単なことではないと思います。ですが、そこで発揮して勝たなければ三年生の夏は終わってしまうのです。
ただ、大会が始まる前に最後の夏を迎えなければならない選手もいます。
朝日新聞が東・西東京大会に参加する全273校に実施したアンケートでは、50校以上がメンバー発表後、夏の大会前までに「引退試合」をしていると回答しています。5年以内に始めた学校がほとんどで、テレビやインターネット、他校からの申し出で広がってきているそうです。紅白戦だったり、近くの球場を借りて公式戦と同様に対戦したりと、いろんな形式で行われているそうです。「踏ん切りをつけてもらう」「結束を強めるため」「背番号をつける経験」「保護者から強い希望があった」などが理由だそうです。
もちろん、高校野球をやり、甲子園を目指して、毎日毎日バットを振り、投げ込んでも、ノックを受けても、走っても、全員に手が届かないものもあります。背番号もその一つです。
高校野球の東・西東京大会の組み合わせ抽選会があった6月18日の夕方。ネッツ多摩昭島スタジアムで昭和高校と日野高校の都立強豪同士の一戦がありました。スタンドには1200人。吹奏楽部やチアリーダーも応援。しかし、予選大会ではありませんでした。
昭和高の吉村賢人選手は身長177cm、体重95kg。「ナポリタン吉村」というニックネームで親しまれるチーム一の巨漢キャッチャーです。
強肩強打を期待されていましたが、腰の椎間板ヘルニア、疲労骨折手前の左足かかと骨膜炎などケガに苦しみ、布団から起き上がることも出来ないときがあったそうです。
今年1月、仲の良い主将の寺園響選手に練習後、「俺やめようかな」と打ち明けました。野球の知識が豊富で、ミーティングで発言力がある吉村選手はチームに欠かせないこともあり、「最後まで一緒にやろう」と説得します。
小学4年のとき、お父さんが46歳で急逝。お母さんが働き、朝5時起きで弁当を作ってくれ、2リットルタッパーいっぱいのナポリタンスパゲティが定番で、それをほおばる姿がニックネームの元。そのお母さんにも「中途半端はよくない」と言われ、二人の言葉に背中を押され、コルセットとサポーターをつけ、夏の大会に向けて練習を重ねて来ました。
ベンチ入りメンバー発表があった6月11日。
名前は最後まで呼ばれなかったそうです。もっと一緒に練習したかったと涙がこぼれたそうです。
6月18日の試合。
ピッチャー不足の昨年の春に5連投してチームを支えた乾大貴選手、小柄ながら練習の虫として尊敬を集めた三橋晃太選手ら背番号を手に出来なかった三年生6人の姿があったそうです。
「支えてくれた人に見せられる最後の晴れ舞台。感謝を示したい」
ブルペンのホームベース後ろの地面には「吉村さん ホームラン BIG」と後輩からメッセージが書かれ、ベンチには抽選会から駆けつけた寺園選手、スタンドにはお母さんの姿がありました。
数日後。吉村選手は大会用の応援ソングの歌詞を考え、グラウンドで球を拾っている姿がありました。「選手が終わっても、やることは山ほどある」と晴れやかな顔だったとのことです。寺園選手ら主力は「あいつらに恥ずかしくないプレーをしなきゃ」と気合のこもった練習をしていたそうです。
あの試合後、「ゆず」の「栄光の架橋」を球場全体で大合唱し、吉村選手がベンチ外の選手を代表し、あいさつをしました。
「本当はすごい悔しい。みんなにお願いがあります。自分たちのやってきた努力とかすべてを背負ってやってほしい。全力で最後まで応援するので、絶対に甲子園へ行こう」
メンバー外の選手たちは選ばれなかったこと、本当に悔しい気持ちでいっぱいだったと思います。でも、これだけ本気で何かに取り組んだ人生は、今まで経験してこなかったことでしょう。そして、今まで自分のためだったことを、他人のために尽くす時間になります。人が人を支えて成り立つ社会。他人の辛さ、痛みが判る一足早い社会勉強はこれからの人生に役立つときが来ると思います。
また、予選大会を直前にした大切なこの次期に、このような試合を行うことにベンチ入りメンバーはどう考えているのか。彼らを本当に「引退」とさせてしまうかどうかは、ベンチ入りメンバー次第で、決まってしまいます。その心を感じなければなりませんよね。
なお、「引退試合」とは呼ばずに、夏の大会へ士気を上げる「開幕試合」と呼ぶ学校もあるそうです。