野球小僧

野球が出来る意味

先日、懐かしい方とお会いして少しお話する時間がありました。

その方の息子さんですが、とある高校の野球部に所属していましたが、チームの不祥事によって二度の対外試合禁止となり、一番の力を発揮する時期の三年の夏が終わってしまいました。

その息子さんとは中学進学後には直接、話をしたことはありません。
どんな気持であったかは計り知れませんが、その方はまだ自分の中では消化しきれていない様子でした。

ただ「仕方がないよね」と言うだけでした。

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多くの高校球児にとって冬は春に向けてトレーニングを積む重要な時期です。しかし、9月に不祥事が発覚して秋の県大会を辞退した野球部は先の見えない冬でした。

責任を取って部を離れた前指導陣に代わり、新指導陣で再スタートとなりましたが、監督は決まらないまま。みんな自暴自棄になり、部が崩壊しそうでした。
部内には無力感が漂い、退部を考えた部員も多い中、野球部にとって最悪の決定がされました。

翌年の2月2日に日本学生野球協会から、同年9月7日までの一年間の対外試合禁止が伝えられます。
甲子園出場がかかった夏の大会にも出場出来ないという最大の目標と希望を失います。

「甲子園出場の目標は断たれた。本当に悔しい」「自分たちがやったことは最悪だ。もう何を言っても変えられないが、一生一度の高校生活を台無しにしてしまい悲しい」

当時の二年生の反省文には絶望や後悔の言葉が並んでいたそうです。
また、一年生の反省文には

「先輩にすごく申し訳ないことをした。先輩に言われたことをしっかり守っていればこんな大きなことにならなかった」「先輩が悪いとは思わない。自分たちができていないのだから(強く指導されても)仕方がない」

と目標を奪われた二年生への思いやりが綴られていました。

この決定に部の解散も検討されたそうですが、大好きな野球まで取り上げることは避けたい。部をこんな状態にしたのは指導者の側にも責任があると、野球部再生が選択されました。

「進路に目標を切り替えて練習しよう」「つらい時を乗り切ればきっといいことがある」

なんとか目標を持たせようと励まし、指導スタッフが野球部員らがいる寮に泊まり込んだり、練習の後、グラウンド脇で炊き出しを行うなどコミュニケーションを図っていました。

「いつまでも終わったことを引きずっていても仕方ない」「野球は一人ではできない。仲間やスタッフ、家族に支えられているのがわかった」

指導スタッフの働き掛けに、部員たちの気持ちも変り、自主練習に励む主将の姿も他の部員に影響を与えました。2月に処分が決まった後に退部したのは3人だけで、その他の部員は野球部に残りました。

4月になると、新監督が決定し、新しい一歩を踏み出します。

その後、11人の新入生を迎え、新三年生は進学して野球を続けるため、気持ちを切り替えて練習に励んでいました。

「みんなで笑い合い、苦しみ合いながら次のステップに向け頑張っている」「悪い伝統は排除して、残り少ない野球生活で後輩を指導したい」

6月の終わりに紅白戦をやって三年生は引退としよう、三年間の節目としての花道を監督らが考えていました。

7月7日。

日本高校野球連盟が「部員が事件を深く反省している」として、対外試合禁止処分の短縮措置を日本学生野球協会に上申していたのが認められ、あきらめていた夏の大会に出場出来ることとなります。

そして、2日後に新チーム初めての練習試合がグラウンドで行われます。
前の夜、緊張のためなかなか寝付けない部員もいたそうです。それでも、思い切り投げ、ボールを打つ、その一つひとつのプレーに喜びが溢れていたそうです。

処分中には高野連関係者や他高の選手、友人らに温かい言葉を掛けられ、励まされた部員たちの心には

「プレーで恩返しを」「過ちは二度と繰り返さない」「いいチームを作っていくのが目標」

と反省文に綴っていたそうです。

特に三年生には日本高野連脇村春夫会長(当時)から託された「再建の礎となってほしい」という課題があります。

この後、このチームになって初めてで、最後の公式戦が7月16日に始まりました。
夏の大会では初戦となった二回戦で7-0で勝つと、準々決勝戦でも6-2で勝利し、準決勝戦に進出します。

準決勝戦では常に先手を取る展開で八回裏に1点を勝ち越し、4-3とリードしたまま最終回を迎えます。
しかし、相手チームの猛反撃を受け、一挙に4点を奪われ、4-7で夏が終わりました。

それでも、夏の大会に出られたこと、直前まで対外試合禁止だったこと、あと一歩で決勝進出というところまでの戦いぶりに、惜しみない拍手と声援が送られました。
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2005年7月14日・15日付 日本海新聞を参考

好きだから始めた野球。
その野球が出来なくなるのは、何よりも辛いことです。

ですから、野球が出来ること、支えてくれている人への感謝の気持ちを普段から持つことですよね。

ファインプレーなんかは必要ありません。
一所懸命に野球をやっている姿を観てもらうこと。それが一番大事だと考えます。

そして、野球が出来る意味を考えてみることでしょう。当たり前のことではないのです。


コメント一覧

まっくろくろすけ
eco坊主さん、こんばんは。
単なる偶然ですから。

ご察しのとおり、某私立高校野球部のことです。
この野球部は、まだ恵まれた方かも知れません。

心の持ち方、持たせ方。
誰か一人がやっていればいいという訳でもなく、みんなで考え行動しなければ、本当の再生ではないはずです。

そして、それを継続していくことですね。
eco坊主
おはようございます。

最近このカテゴリー多いですね。
罪と罰・対外試合・夏を赦す・連帯責任等々

記事は某私立高校の内容ですね。
あの時は多くの不祥事が芋づる式に出てきて愕然とした記憶があります。
日本海新聞の記事は失念していましたけど・・・

殆どの学校が野球グラウンドって専用であるくらいですからね。
それだけ恵まれているんですもんね。
天狗にならず野球ができる意味考え感謝しなければなりませんよね!

導く大人もしかりです!!!
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