野球小僧

オカダ・カズチカ / 新日本プロレス(CHAOS)

オカダ・カズチカ選手は新日本プロレス所属のプロレスラーです。本名は岡田和睦。ウルティモ・ドラゴン校長による闘龍門出身者で最も成功した選手の一人であり、「新日本プロレス40年の歴史で初めて出たホンモノ」「史上最強のインベーダー」などとも言われています。お供に外道選手が常にいます。くれぐれも"外道選手が本体"ではありません。

1987年11月8日、愛知県安城市の出身です。小学五年生までは安城市に住んでいましたが、お母さんの郷里である長崎県五島列島の自然に引かれ、そこに住みたいと自分で決めて1年半の間「山村留学」として同地に住み、中学入学と同時に安城市に戻っています。中学時代は野球に打ち込み、陸上では短距離100メートル走で愛知県大会1位を記録するほどでした。野球では目立った実績を残していませんが、足は速かったため、高校の陸上部からスカウトが来たことがあるくらいです。

プロレスは中学時代に兄が友達から借りてきたプロレスのゲームソフト「新日本プロレス 闘魂炎導 BRAVE SPIRITS」によって知り、これがきっかけで新日本プロレスを録画して見るようになりました。しかし、試合を見ていた時期は短く、新日本プロレスがいわゆる暗黒期と呼ばれる時代に入っていたことから「プロレスを好きになって最初は見ていたんですけど、新日本がつまらなくなったんです。格闘技に走ったから。それで見なくなりました」と魅力を感じなくなったそうです。

一方で「たまたま家がケーブルテレビに入っていて、それで闘龍門を見たんです。闘龍門には新日本と違っていろんな色の人がいて。赤い人もいれば、緑もいて。黄色だオレンジだって、カラフルで目を引きましたね」と闘龍門を見てプロレスの華の部分にひかれ、16歳でウルティモ・ドラゴン校長のプロレススクール「闘龍門(メキシコにある日本人ルチャドール(プロレスラー)養成学校)」の13期生として入門します。なお、闘龍門への入門に際して親は最初は高校入学を望んで反対したが、山村留学の例から明らかなように自分で決めたら他者の意見を聞かない性格を熟知していたこともあり、結局折れてプロレス入りを認めました。

同期生には後にハッスル、SMASH、WNC等で活躍する大原はじめ選手、大阪プロレスの松山勘十郎選手、タッグチーム"スピード・オブ・サウンズ(SOS)"で活動するツトム・オースギ選手、ヘラクレス千賀選手らがいます。当初のリングネームは「岡田かずちか」でした。ウルティモ校長は、身長191cm・体重107kgのオカダ選手を「飛べるG馬場」としてプロデュースしようとしていました。

入門した頃の闘龍門は練習生で飽和状態になっていたため、何人か辞めさせるために過度に厳しい練習をメニューを課していたそうです。基礎体力が他の練習生に比べて劣っていたオカダ選手には、より過酷な練習メニューが与えられたそうです。練習が終わってもハードな雑用というメニューが待っており、睡眠時間以外、心身共に休まらない暮らしを強いられますが、何度も周囲から「やめるか?」と聞かれても、自身は中卒なので他に行く所がないと考えていたため「やめないです!」と意地になっていました。

2004年8月29日にメキシコ・アレナコリセオにおけるネグロ・ナバーロ戦でデビュー。「10年もしないでビッグスターになっているだろう」と評されます。この頃の初任給のファイトマネーが交通費込みで50ペソ(当時の500円)だったそうです。そして12月のヤングドラゴン杯を制覇し、スターとしての資質を見抜かれててからはメキシコ、日本、アメリカ、カナダなどで試合を経験し、様々な経験を積みました。

2007年5月13日の闘龍門メキシコ「ウルティモ・ドラゴン20周年記念&闘龍門メキシコ10周年記念自主興行DRAGOMANIAII(ドラゴ・マニア2)」アレナ・メヒコ大会に大抜擢され、その時にウルティマ校長、ミル・マスカラスさんと言った大物とタッグを組み、日本から来た鈴木みのる選手、高山善廣選手と対戦。同年7月22日、「ウルティモ・ドラゴン20周年記念興行」に参戦し、獣神サンダー・ライガー選手、ミラノコレクションA.T.さんと組みTAJIRI選手、折原昌夫選手、大原はじめ選手組と対戦し、試合に敗れた後、新日本プロレスに入団することを発表しました。理由は「自分はやることがなくなっちゃうと変わりたくなるんですよね。高校に行かなかったのも、高校で特にやることが見つからなかったんで、じゃあ、プロレスに入っちゃえって。それでメキシコでやってるうちに、だんだんメキシコでやることもなくなってきて。じゃあ、新日本に行かせてもらえないかなって気持ちが出てきたんです」とのことでした。新日本プロレスへ移籍後、新弟子として基礎体力作りや受け身、ロープワークなどトレーニングを積み直し、8月26日に内藤哲也選手戦でプレ再デビュー、

2008年4月12日に石狩太一選手(現:タイチ)戦で正式に再デビューを果たします。

2009年にはNOAHへの対抗戦に抜擢され、後藤洋央紀選手と組み杉浦貴選手、青木篤志選手と対戦するも惨敗。翌日には天山広吉選手と組み小橋建太さん、伊藤旭彦選手と対戦するが、この試合も敗北。6月20日は潮崎豪選手とシングルマッチで激突するも、ピンフォール負け。闘志あふれるファイトに評価は高かったものの結果は残せず、2010年2月からTNAへ武者修行へ旅立ちます。

2011年1月4日、レッスルキングダムVで後藤洋央紀選手とのタッグで、杉浦貴選手と高山善廣選手組と対戦すますが、高山選手のエベレストジャーマンで敗北を喫し、この試合後に再びTNAへ海外武者修行を継続します。5月に新日本プロレスのアメリカツアーのIWGPインターコンチネンタル初代王者決定戦トーナメントに参加するものの、結果は優勝候補の元WWEスーパースター・MVP選手に一回戦負け。
同年12月にTNAでの武者修行を経て新日本プロレスに凱旋帰国。インタビューで「バケモノを越えた存在」「新日本に金の雨を降らせる」(入場時に自身の顔が入った紙幣をばらまく)と豪語し、自らを「レインメーカー」と称しました。

2012年1月4日、レッスルキングダムⅥで、”金の雨を降らす男=レインメーカー”オカダ・カズチカに変身し凱旋し、メキシコ遠征から帰国したYOSHI-HASHI選手とのダブル凱旋試合でインパクトが残せず、知名度の低さも相まり、メイン後のIWGP王座挑戦のアピールではブーイングを受けます。しかし、その後のシリーズから実力を発揮し、IWGPヘビー級王者の棚橋弘至選手を苦しめる戦いを展開。前哨戦でもCHAOSの面々とタッグを組み結果を残すと、2月の大阪大会で棚橋選手からまさかの王座奪取。中邑真輔選手に次ぐ若さでのIWGPヘビー級王者となります。
しかし、6月に前王者・棚橋選手との防衛戦で王座を奪った大阪で、リベンジを果たされる形となり、IWGPヘビー級王座陥落となりましたが、王座陥落で勢いを失う事はなく、G1 CLIMAXで史上最年少での初参戦初優勝という快挙を達成し、2012年プロレス大賞でMVPとベストバウトの二冠に輝き、時代は完全にオカダ選手のモノと思われます。

2013年1月4日、レッスルキングダムⅦで史上最大の世代闘争と銘打たれたIWGPヘビー級選手権で棚橋選手に敗北し、時代と王座を死守されてしまいます。続く2月広島でCHAOSと鈴木軍の本格抗争の開戦をきっかけに、鈴木選手との一騎打ちが実現するが惨敗、さらに旗揚げ記念日でのイリミネーション戦でも鈴木選手の策略に敗れ、一気にスランプへと突入してしまいます。この1・4での敗戦からはじまったスランプを「己の慢心」と「ハングリー精神の欠如」と判断したオカダ選手は、スランプ脱出を図るべく、世田谷への引越し、家具の総買い替え、高級車の購入など総額一千万円に及ぶ浪費を敢行。自身のプロレス人生の原点である「無一文」に自らを追い詰め、ハングリー精神を取り戻しました。常人にはある意味レベルの違いすぎる独自の調整法というか、なんというか。それでも、この後の復調を受けて、散財調整法が話題となりました(2013年4月9日付けのYahooニュース)。
迎えた3月、春の祭典NewJapanCupに新技レッドインクを引っさげての初参戦し、G1に続いての最年少初参戦初優勝するとともに、IWGPヘビー級選手権にわずか3ヶ月での異例の再挑戦が決まり、4月両国での棚橋選手との王座戦へと漕ぎ着けます。ここで「人類の想像を超えた史上最強のインベーダー」(外道選手談)となったオカダ選手が死闘の末に棚橋選手に雪辱し、2度目のIWGP戴冠を成し遂げます。5月3日のレスリングどんたく2013では、自ら指名した挑戦者・鈴木選手を相手に予告どおりの"スペシャルな決め方"で初防衛を果たしました。
6月22日のDOMINION6.22では、自らを"ホンモノのプロレス"と称し、オカダ選手を絶対に認めないという真壁刀義選手の意地を打ち砕き防衛。その後も防衛を積み重ねて、各プロレスメディアの2013年度MVPを総なめにし、天龍源一郎さん以来となる25年ぶりの快挙となるプロレス大賞MVP連覇を獲得します。

2014年1月4日、レッスルキングダムⅧでは勢いそのままに内藤選手の夢を打ち砕いて7度目の防衛に成功した後、5月3日「レスリングどんたく2014」でAJ・スタイルズ選手に敗れ、1年1ヶ月に渡る長期政権にピリオドが打たれました。5月25日の横浜アリーナ大会でIWGP再挑戦が決定しますが、完敗を喫しIWGP戦線から一歩後退する事となります。苦境を打開したいオカダ選手はG1全勝優勝を宣言し、"史上空前の夏"と銘打たれたG1CLIMAX24では連敗続きの宿敵AJ選手と同ブロックに編入され、7月21日の開幕戦でAJ選手にジャーマンスープレックスからのレインメーカーで勝利し、借りを返すことに成功するとともに、2年ぶり2度目の優勝を果たし、2015・1・4東京ドームでのIWGP奪取と日本マット界に金の雨を降らせると自らのマイクで力強く宣言します。

2015年1月4日、レッスルキングダムⅨのメインイベントのIWGP王座の奪取に失敗、試合後花道で涙を流すなど今まで見られないような素顔を見せます。4月5日に1月から3連敗を喫していたバッドラック・ファレ選手に勝利、抗争に決着を付けると、メインイベント後に乱入しIWGPヘビー級王者AJ選手に同王座への挑戦を表明し、7月5日、大阪城ホール大会にてAJ選手からIWGPヘビー級王座を奪還しました。
11月15日に天龍プロジェクト両国大会のメインイベントで、この試合を最後に引退する天龍源一郎選手とシングルマッチで対戦し、勝利を収めました。この年のプロレス大賞において、2年ぶりにMVPを獲得するとともに、天龍 vs. オカダのカードが年間最高試合賞(ベストバウト賞)を受賞ししました。

2016年1月4日のレッスルキングダムⅩで前年G1覇者の棚橋選手と対戦して勝利するものの、4月10日の両国大会でNJCを制した内藤選手に敗れて王座から陥落。しかし、6月9日の大阪城ホール大会で、内藤選手に勝利し王座を奪還した。10月8日にNOAHのGHCタッグ王座にYOSHI-HASHI選手とタッグを組み丸藤正道選手、矢野通選手組に挑戦するも敗戦しますが、10月10日の両国大会にて、丸藤正道選手とのIWGPヘビー級選手権試合に勝利し、防衛を続けます。

2017年1月4日のレッスルキングダムⅪで、G1覇者のケニー・オメガ選手との45分を超える試合を制して王座を防衛、2月5日には鈴木選手との40分を超える試合に勝利し、4月9日のSAKURA GENESIS 2017にてNJP覇者の柴田勝頼選手と対戦。試合後に柴田選手が救急搬送されるほどの激しい戦いを制し、5月3日にはレスリングどんたく2017のメインでバッドラック・ファレ選手と対戦し、5度目の防衛に成功します。
6月11日には1・4で激闘を繰り広げたケニー選手と保険見直し本舗 Presents DOMINION 6.11 in OSAKA-JO HALLにおいて対戦。60分で決着がつかずに引き分けとなり、6度目の防衛に成功。

2018年1月4日のレッスルキングダムⅫでは、前年G1覇者の内藤選手との試合を制してV9防衛を果たしています。

2012年2月のIWGPヘビー級王座を史上2番目の若さ(当時24歳)で戴冠して以降、破竹の活躍を続け、プロレス界にカネの雨を降らせる男、「レインメーカー」ことオカダ・カズチカ選手。金色に輝くガウンに身を包み、自身の顔が刷り込まれたレインメーカードルが舞い踊る入場シーンは新日本プロレス随一の華やかさを誇ります。

オカダ選手が入場時に降らせる「カネの雨」ですが、入場が終わった後もヒラヒラと時間をかけて落下させるために、お札を1枚ずつクシャッと丸めて、また開くという地道な作業を施しているのだそうです。

そして、気になる1回について使用されるお札はすべて「10万ドル札」で、その枚数はなんと2万5000枚にもなるとのことなので総額25億ドル(日本円で2500億円)という、とんでもない額のお札が降っていることになります。

一般的な国民に「カネの雨」は降ってこないアベノミクス・・・

「でも俺は、俺のプロレスで全員を満足させて、ハッピーにしてやります。今までは、レインメーカーとして金の雨しか降らせて来なかったが、2018年は、感動の雨、驚きの雨、幸せの雨、いろんな雨を降らせて行きたい」

降らぬなら 降らせてみよう 俺の手で・・・大事なことは、オカダ・カズチカ選手に教わった。


コメント一覧

まっくろくろすけ
eco坊主さん、こんばんは。
熱いですねえ。そう来なくては。

昨年の1・4は確かにプロレス史上上位に入る試合でしたね。今年は岡田 vs. 内藤という内容では面白かったです。内藤選手には相手をKOできるフィニッシュが欲しいところです。

残念ながら今の新日には越えられそうな選手は見当たりません。

ここはブロック・レスナー選手に再来日してもらっても、一戦が見てみたいです。

熱くなりそうになってしまいました。
eco坊主
おはようございます(*Ü*)ノ"☀

オカダカズチカ選手・・
間違いなく世界のtopに位置するレスラーでしょう!

初めて知ったのは2012年1月4日の試合(Vでしたが)です。
2月のIWGP戦も(Vで)観ましたが棚橋選手が負けたのは衝撃でした。その後のアップダウンは別にして2016年6月19日の再戴冠以来守り続けているのも凄いです!そして2017年の「いってんよん」のVSケニー・オメガ戦はこの二人はどこまでやるのかとある意味恐怖すら覚えたものです。今年のVS内藤戦は観ていませんのでわかりませんが・・・

VSSANADA戦が決まりそうですがこのままV12の記録達成するのではないでしょうかね~他に挑戦者相応しい選手が見つかりません。
中邑選手がWWEを離脱してくるくらいかなぁ~

熱くなってしまいました。
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