野球小僧

内藤哲也 / 新日本プロレス(ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン / Los Ingobernables de Japon)

内藤哲也選手とは、新日本プロレス所属のロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン(Los Ingobernables de Japon、以下LIJ)のユニットのプロレスラーです。キャッチフレーズは「制御不能のカリスマ」です。

1982年6月22日生まれの東京都足立区東島根出身です。読売ジャイアンツと新日本プロレス好きなお父さんの影響で小さいころからプロレスにハマり、「王貞治さん、長嶋茂雄さん、アントニオ猪木さん。この3人のことは絶対に“さん付け”で呼びなさい」と教えられてきました。

学校の教室ではプロレスごっこで遊んでいたとのことで、放任主義的な家庭に育ちますが「人との約束は守れ」ということだけは言われ、学校の宿題を怠った時にお父さんから「宿題っていうのは先生との約束だろ?」と叱られたそうですが、あくまで約束にうるさいだけで、勉強しろとは言われなかったそうです。運動神経は幼いころからよく、小学一年生から中学三年生までお父さんがコーチを行っていた少年野球のチームに在籍するとともに、幼稚園の年中から高校三年生まではサッカーもやっており、中学時代は野球とサッカーを掛け持ちしながら両方ともキャプテンを務めていました。

プロレス初観戦は5歳の頃であり、幼稚園児の頃から1人で電車に乗れたため、仕事帰りのお父さんと会場の最寄駅で待ち合わせて、プロレス観戦に行ったそうです。と、プロレスファン歴が長いものの、お父さんから見せられていた団体が新日本プロレスだったこともあり、プロレスファンというよりも新日本プロレスファンです。

初めて自分でチケットを買って見に行った1997年6月5日の日本武道館大会にて、「これがお客さんの前でできてお金もらえるなんて、こんないいものはない」と思い、プロレスラーになることを決意し、高校三年生の夏に最後の大会を終えてサッカー部を引退した後、2000年9月にアニマル浜口トレーニングジムに通い始めます。プロレスラー志望者のためのプロコースを選択してトレーニングを開始し、高校卒業後もアルバイトをしながらジムに通い続け、「そろそろ新日本の入門テストを受けよう」と思い始めた矢先、2002年にジムでのスパーリング中に右ヒザ前十字靭帯断裂、全治9か月の重傷を負い、同年の入門テスト受験を断念します。2003年は負傷したヒザのリハビリ、2004年はベンチプレスで肩を負傷のためと、3年連続で受験のチャンスを逃しましたが、2005年11月に後楽園ホールにて行われた入門テストにようやく参加、自他ともに認めるぶっちぎりの成績でテストに合格を果たし、12月1日に新日本プロレスに入寮しました。

2006年の5月にデビュー。動きの良さ、センスなどは高い評価を受け、同年ヤングライオン(YL)ベストバウト賞、翌年にはBOSJに(負傷者の穴埋めとはいえ)エントリーし2勝を挙げるなど目覚ましい成績で、ジュニア戦線で存在感を増していきます。2008年には高橋裕二郎選手とのタッグ「NO LIMIT」でIWGPジュニアタッグ王座を初戴冠し、以降このタッグでTNA、メキシコ・CMLLなどに参戦していきます。

2009年末の凱旋帰国時にヘビー級への転向しますが、伸び悩み、ブーイングの声も数多く聞くようになり、2010年4月にはCHAOS入りするものの、1年後に追放されてNO LIMITは消滅。以降20代でのIWGPヘビー級王座戴冠を目標に掲げるも届きませんでした。

2012年8月に右ヒザを負傷し、2013年6月に復帰し、8月のG1 CLIMAXではBブロックを1位通過し、決勝では棚橋弘至を下して悲願のG1初制覇を果たします。しかし、この大ケガからの劇的復帰というストーリーは大歓声では迎えられず、ベビーフェイスながら歓声を得られないというレスラーにとってどん底とも言える事態に陥っしまいます。結局、ファンの支持を得られなかった2014年1月4日の東京ドームでのメインイベント挑戦権を得たにも関わらず、ファン投票の結果「棚橋弘至 vs. 中邑真輔」というIWGPインターコンチネンタル(IC)王座選手権にその座を奪われてしまいます。これ以降、内藤選手は精彩を欠き大きな爪痕を残せず失速していく事になり、同時にそれは現在のリベンジへの大きな糧となっていきます。

2015年5月にCMLLに遠征し、親交のあったルーシュ選手、ラ・ソンブラ選手が立ち上げたユニット「ロス・インゴベルナブレス(Los Ingobernables、以下LI)」に加入します。これがきっかけで内藤選手のレスラー人生の大きな転機を迎えます。このユニットは「ベビーでもヒールでもなく、やりたいようにやる」というポリシーを掲げ、自身のスタイルに迷っていた内藤選手に合致し、のらりくらりとした態度はブーイングを受けるが、歯に衣着せぬ言動と何をするか分からない戦いで、帰国後もそのファイトスタイルを貫き、大きな注目を集めます。

そしてG1で優勝した棚橋選手に「レスラー人生で5本の指に入るほど悔しい負け」と言わせる勝利で、10月の両国大会でドーム大会の権利書防衛戦に逆指名されるが、「この会社(新日本プロレス)は棚橋の言ったことがすべて」と噛みつき、両国に「パレハ(Pareja=仲間)」を連れて行くと宣言し、棚橋選手を敵に回して注目も歓声も集めます。この一戦には敗れるも、パレハとして連れてきた"King of Darkness EVIL"選手を紹介し、年末のワールド・タッグ・リーグではBUSHI選手を加え、「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン(Los Ingobernables de Japon、以下LIJ)」のユニットを結成。準優勝に終わるも、EVIL選手と共にリングにインパクトを残します。

2016年は、ここ2年間のトップ戦線を占めていた4強のAJスタイルズ選手、中邑真輔選手らが相次いで離脱(主にWWEへの移籍)したことで、戦線が大きく変化を迎え、新日本プロレスの屋台骨が揺らぐ中で、LIJ旋風で勢いに乗っていた内藤選手は3月のNew Japan Cupを制し、オカダ・カズチカ選手の持つIWGPヘビー級王座への挑戦を表明。4月10日のInvasion Attackで新パレハ・SANADA選手の介入もあったものの、3カウントを奪い初戴冠を果たします。ヒール的ではあったもののファンは大歓声で迎え、TVの実況では「両国の磁場をひっくり返した」と言わせるほどの歓声でした。2ヶ月後の大阪大会でオカダ選手にベルトを奪われるものの、この間に新日本プロレス・木谷オーナーに「貴方の眼と耳でこの盛り上がりを体感すべきではないか」と大阪大会に本人を引っ張り出す事にも成功するなど、日本全国で「手のひら返し」として一躍ファンの歓声を集めるレスラーとなります。

G1は決勝進出を逃すも、下半期もIWGPヘビー級インターコンチネンタル(IC)王座戴冠、LIJへの高橋ヒロム選手加入など新日本プロレスに話題を提供し、圧倒的支持でプロレス大賞を受賞します。

2017年1月4日にはレッスルキングダムⅪのセミファイナルにて棚橋選手とのIC王座を賭けた一騎打ちに勝利し、棚橋越えを果たします。2月にマイケル・エルガン選手を退け、IC王座3度目の防衛に成功し、試合後にNJC挑戦を表明するものの、出場は認められませんでした。4月にIC王座次期挑戦者としてタイガーマスクWを逆指名するものの、実際に対戦が組まれることはなく、4月29日にジュース・ロビンソンに勝利し、IC王座4度目の防衛に成功。試合後、棚橋選手からの挑戦を受け、6月11日大阪大会でのV5戦が決定しますが、挑戦資格なしとしてこれを拒否しています。

5月にIWGP USヘビー級王座新設を発表とIC王座次期挑戦者の棚橋選手が米国遠征中に負傷し、シリーズ全戦欠場を発表すると、この二つに触れ、「王者としての要求は無視され、似た理念のベルトを新設される。じゃあこのタイトルはもう必要ないじゃん」「ゴリ押しで挑戦を決めたらもう本番まで無理はしなくていいってこと?」と猛反発。5月18日の後楽園ホール大会でベルトを鉄柱に叩きつけ、21日の沼津大会で再びベルトを鉄柱に叩きつけ、修復不可能なほどに破損させてしまいました。6月11日の大阪大会にて棚橋選手と対戦し、IC王座防衛に失敗すると「IWGPインターコンチネンタル王座、または無いかな。」と、IC王座戦線離脱発言がありました。

G1 CLIMAX 27では4年ぶり2度目の優勝を果たし、天龍源一郎さんは「その場その場の雰囲気を読んで、ハプニングをインパクトに変える、それが新日本の手法じゃない。4年前(のG1優勝時)は反応が鈍かったというのは読めてなかったんだろうね」と語っています。G1優勝決定戦一夜明け会見でIWGPヘビー級王座挑戦権利証の防衛戦について、「組まれるのであれば、俺は石井(智宏)を指名しますよ」としながらも、「『俺にやらせろ』という選手がいるなら、ハッキリ口に出すべきですよ」と発言し、挑戦表明を拒まない姿勢を示します。その後、「名指しされたから俺はそれに対して『やってやる』って言ってるんだよ」とする石井選手に対し、「石井がこの権利書を欲しいのか、欲しくないのか、そこが一番大事だからね。俺が石井の名前を出したから石井は挑戦する? 石井、お前・・・俺の言いなりか!」と挑発するなど、舌戦を繰り広げ、10月9日の両国大会にて石井選手に勝利し、挑戦権利証の防衛に成功します。

2018年1月4日、レッスルキングダムⅫにて、IWGPヘビー級選手権で王者オカダ選手に挑戦するも、王座奪取は出来ませんでした。

「新日本の主役は、俺だ」

CHAOS追放以降、本体に所属している時期に言い出した言葉。2013年にG1制覇時にもこの言葉を発したが、受け入れられず、LIJ以降は封印。2017年に再びG1を制した際、「あの時は背伸びしていたが、今なら自信を持って言える。新日本の主役は、俺だ!」と大歓声で迎えられた。

「トランキーロ! あっせんなよ」

今や内藤選手の代名詞。凱旋当初はブーイングの嵐だったが、今では大合唱。トランキーロ(Tranquilo)はスペイン語で「落ち着け」。メキシコ遠征時、早く試合がしたいとなっていた内藤選手に対しLIの仲間たちが頻繁にかけた台詞であり、内藤選手自身今でも戒めとしている。会場での大合唱の際は、トランキーロ!と叫んだ後にためが入る。

「ノソトロース・ロス・インゴベルナブレス・デ!! ハ!! ポン!! (nosotros los ingobernables de japon)」

スペイン語で「俺たちはロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンだ!!」。マイクの締めとして、LIJのメンバーの名前を一人ずつ「EVIL、BUSHI、SANADA、HIROMU、y(読みは"イ"。スペイン語で"そして"を指す接続詞) NAITO」と叫んでからこれで締める。"インゴベルナブレス"のルとレは巻き舌。IWGPヘビー初戴冠時はこれを言う前に紙テープが舞ってしまい、これは木谷オーナーの陰謀だと勘ぐったこともある。

「この会社は棚橋の言った事がすべて」

LI加入以降、棚橋選手関連で必ずのように言う言葉。2016年11月(IC王者時)、「7年連続ドームメインに立つ」と宣言した棚橋に対してこの言葉を放った上で、「棚橋がファン投票やろうと言ったらこの会社は動きますよ」「ドームメインに立ちたいなら自分から提案してみろ」と挑発。その半年後に棚橋選手の再挑戦を拒否した際には、「俺の言ったことは全部通るんだから、さっさと受けちまえよ」と逆利用されたこともある。

「中邑真輔退団と同時に、“King of Sports”なんて名乗るの止めた方がいいんじゃないの?」

2016年1月の中邑選手退団を受けて組まれた壮行試合の際のコメント。ここ10年の新日の功労者である中邑選手に、棚橋選手、オカダ選手をはじめ各レスラーが激励の言葉を贈る中で、「そんなに中邑が他の団体に行くのが新日は誇らしいのか」と、一人やはり制御不能。因みに中邑選手と不仲と言われている柴田勝頼選手曰く、「俺が思ってることはだいたい先に内藤が言ってる」とのこと。後に内藤選手もこれを振り返って、「中邑に対してただ見送っただけの人は活躍してない、これをチャンスと捉えた俺と柴田が飛躍した」と述べている。

「俺に敗れたオカダをあなたのお力でオカダをスターにしてしてあげてください。俺にはそんなプロジェクト必要無いので」

2016年4月にオカダ選手を破ってIWGPヘビー級王座を初戴冠した時、「PCの向こうにいる」木谷オーナーに放ったコメント。WWEの引き抜きで揺れる中、東京スポーツが木谷オーナーのコメントとして「オカダに2億円規模かけてスターにするプロジェクトがある」とすっぱ抜いた事に対して、「他の選手がどれだけ頑張ってもオカダを超えられないのか」と徹底的に噛みついていた。

「俺の価値はもうベルトを超えてしまった」

これも2016年4月の初戴冠時、ベルトを放り投げるという暴挙に出たが、その際に述べたコメント。後にIC王座を獲った際には、自身の要求(NJC改革案、対戦要求など)が通らない事を受けて「このベルトは俺の足枷になってる」と言い、リングポストに投げつけるなどして破壊している。棚橋選手が奪取した後に自らの手で修復作業を施したが、結局新しいベルトに新調された。

一時期はお客さんの反応を気にしすぎてカラ回りする悪循環に陥り、伸び悩んだ時期がありました。「今、これが求められてるから、こうしたらウケるだろう」と考えて、動きやマイクパフォーマンスをやっていました。お客さんありきというか、いつもお客さんの反応を気にしながらプロレスをした結果、逆にウケないという悪循環に陥っていました。

でも、メキシコ修行の中で周りの目を一切気にせず、自分たちが表現したいことをそのままリング上で表現するというスタイル。そのイキイキとした姿を見たときに、「せっかく海外に来たんだし、自分もまわりを気にせず、やりたいプロレスを表現してみよう」と思い、やりたいようにやって、思っていることを言うことにしました。

そうすると、今まで全然伝わらなかったのに「表現の仕方、伝え方をちょっと変えただけで、こんなにも反応が違うのか」と思うほどでした。でも、思ってることをため込んでもしょうがないです。もちろんリスクはありますが、思っているだけじゃ、なにも伝わらないですから。

「踏み出す勇気」こそ、共感してもらえる一番の方法だと思います。

口に出したり、行動で示さないと・・・大事なことは、内藤哲也選手に教わった。


コメント一覧

まっくろくろすけ
eco坊主さん、こんばんは。
まあ、優等生がメキシコへ行ってグレてしまいましたからね。でも、あのままだったら、レスラーとして確立できなかったのも事実でしょう。

オカダ選手が2018に変化を求めたように、内藤選手も変化しなければ、埋もれちゃうでしょうね。
eco坊主
おはようございます(*Ü*)ノ"☀

制御不能のカリスマ・・いつだかどこだかで耳が痛いと言って試合を欠場するとかしないとかがありましたよね!?LIJ結成前でしたっけ?
その頃から、そしてパレハが乱入繰り返した頃から私の中では認めなくなりました。IWGPを奪取したした際もSANADA選手の乱入がありましたし。

でも、仰るとおりNJPWで自らの位置を確立させたのは一歩踏み出したことでしょうからプロとしては見事だと思いますよ。

でも、やっぱ、認めたくないなぁ~
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