中央教育審議会第一次答申での中で、今後の教育において、学校・家庭・地域社会全体をとおして、子どもたちに「生きる力」を育んでいくことが基本であるとの提言がなされています。
・自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する能力
・自らを律しつつ、他人と協調し、他人を思いやる心や感動する心など豊かな人間性とたくましく生きるための健康や体力
その中では、
「一人ひとりの個性をかけがえのないものとして尊重し、その伸長を図ることを一層推し進めていく必要があり、個性尊重の考え方に内在する自立心、自己抑制力、自己責任や自助の精神、さらには、他者との共生、異質なものへの寛容、社会との調和といった理念が、一層重視されなければならない」
とされているのです。
そして、学校が目指す教育としては、
「生きる力の育成を基本とし、知識を一方的に教え込むことになりがちであった教育から、子供たちが、自ら学び、自ら考える教育への転換を目指す。そして、知・徳・体のバランスのとれた教育を展開し、豊かな人間性とたくましい体をはぐくんでいく」
とあります。
いいですか。
「生きる力」
という基礎的な資質を育成する場なのです。
教師・指導者というのは、未熟な子どもたちを一つの物差しではなく、多元的・多様な角度から見て、子どもたち一人ひとりの良さと可能性を見つけ、それを伸ばしていくということを保護者と一緒に育んでいくのです。
それを一部の私利私欲のためだけに使われてしまっては、たまったものではありません。
スポーツ中心の高校に偏重していると思われますが、そこでの活動はブラックボックスなのです。学校側も運動部活動の運営については口出しができないところがあるという。
もっと開かれた活動の場であるべきなのは当然ですし、子どもたちの志向に対応した活動内容にもつなげるためにも運営には柔軟な考え方を取り入れて欲しいものだと考えます。
今回もそうですし、大津の時も“隠ぺい”や“事なかれ”という体質が垣間見られています。ハインリッヒの法則ではありませんが、今回も小さな情報がたくさん上がってきているといいます。
それらが、現場の組織、学校やそれを管理監督すべきにおいて、見逃されている(放置されている)というのは組織を構成するシステムにおいて欠陥があると言わざるを得ません。
さらに、それを意図されたものであるのならば、なおさら許されるものではありません。
目先の勝敗だけに拘らずに、長期的・計画的に指導を行うということが指導の理念として重要なのです。
子どもを守れないばかりか、守る立場の側が子どもを追い詰めてしまった。しかし、これは氷山の一角なのかもしれません。
でも、こんな悲劇は二度と起こしてはいけない。起こってはいけない。
ご冥福をお祈りいたします。
コメント一覧
![](https://blogimg.goo.ne.jp/image/upload/f_auto,q_auto,t_profile_square_m/v1/noimage/user_photo/gb25_noimage.png)
まっくろくろすけ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/image/upload/f_auto,q_auto,t_profile_square_m/v1/noimage/user_photo/gb25_noimage.png)
eco坊主
最新の画像もっと見る
最近の「スポーツ」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事