阪神甲子園球場で開催されていた第99回全国高校野球選手権大会で、大会本部がタオルを回す応援の自粛を出場校に求めていたそうです。
日本のプロ野球では千葉ロッテマリーンズの応援が本家で始めたもの(オレンジ色のタオルを振りますのは「ロッテのパクリ」と激しいヤジを浴びます)で人気の応援スタイルですが、なぜ甲子園ではダメなのだそうです。
西東京・東海大菅生高の選手が打席に入ると、応援スタンドは吹奏楽の演奏に合わせ、地方大会ではチームカラーのしま模様のタオルを回す応援が定番だったそうですが、甲子園では大会本部の自粛要請で頭上に掲げたメガホンをくるくると回していました。群馬・前橋育英高や広島・広陵高は甲子園ではタオルを全員で掲げるスタイルに変えていました。
今年、大会本部が自粛を求めた背景には、昨夏の大会の「教訓」があるそうです。4万7000人が詰め掛けた
二回戦の愛知・東邦高 vs. 青森・八戸学院光星高。東邦高は9回裏で4点差をつけられていました。敗勢の東邦高のアルプス席がタオルを回す応援を始めると、4万7000人が詰めかけた甲子園のスタンドの大半の観客もタオルを一緒に振り始めました。そして、試合は東邦高が一挙5点を挙げ、逆転サヨナラ勝ち。試合後、八戸学院光星高のピッチャーは「(球場の)全員が敵かと思った」とコメントしていました。
高野連事務局は、この試合について「高校野球は教育の一環で、フェアプレーが基本。それなのにタオル回しによって応援が一方に偏る異様な雰囲気が球場を支配し、勝敗に影響した」と語っていて、今春の選抜大会でも自粛の要請をしていたそうです。
ただ、そもそも日本人は「判官びいき」な国民なのです。ですから、負けているチームを応援するのは自然の成り行きなことだと思います。元々、自チームを応援したいたことが、一般観客まで巻き込んだ応援になったことに起因しています。ですから、求めることは出場校の応援スタイルではなくて、一般観客のマナーとなるでしょう。じゃあ、一般観客は応援してはいけないのかという議論にもなってしまいます。それに不特定多数の観客を統制する方法ありません。だったら、きっかけとなるような元の応援を取り締まってしまおうということなのでしょうね。
ちなみに、判官の正しい読み方は”はんがん”ですが、歌舞伎などでは”ほうがん”と読むので、こちらが一般的です。意味は、「不遇で誰からの助けも無い人の肩を持ったり、弱くても強い立場の相手に立ち向かう人を応援すること」です。
判官とは、平安時代に存在した検非違使(けびいし、けんびいし)という役職の別名です。検非違使は京都の治安維持を行う役割でした。この検非違使の役割を与えられていた人の一人が、あの源義経さんなのです。源平合戦が活躍した義経さんの人気が高まり、義経さんの台頭を恐れた兄の頼朝さんが、一方的に義経さんを攻め滅ぼしました。人気のあった義経さんが、このようなことになったことを多くの人は哀れに思い同情し、義経さんのフルネームだった源九郎判官義経から、義経さんを応援することを、”義経びいき”と言う代わりに”判官びいき”と言うようになったです。
さてさて、タオル回しの応援は元祖は1975年に米国のNFLのピッツバーグ・スティーラーズの地元ラジオ局のスポーツアナウンサーの発案で作られ、以後黄色いタオルを振り回す「テリブルタオル」が元祖だと言われています。
野球界では、1991年のMLBワールドシリーズで、ミネソタ・ツインズのファンが白いハンカチを回して応援し、劇的な優勝を遂げました。それが他チームに広まり、日本にも伝わったものです。高校野球では2年ほど前から千葉ロッテマリーンズ応援歌の導入と重なって急増した、割と最近の応援スタイルです。
ただ、高校野球を見ていても、常に判官びいきがあるかというと、そうでもありません。ただ不利な方、弱い方を応援するという単純な理由ではなく、やはり応援したくなる理由があるものなのです。変な話、不利な方は負けて当たり前のような感じで最初から覚悟して応援しています。覚悟しているため、心置きなく一所懸命応援できるのです。そして、もし、応援している方が勝つところ、伝説をこの目で見てみたいという願望から生まれるのでしょう。
義経不死伝説を求めたようにです。