このシーズンオフの企画は「応援曲」にスポットライトを当てます。
これから高校に入って、野球部で応援する君へ。
高校球児で、これから自分の応援歌を何にしようとかと悩んでいる君へ。
応援の時に「よく判らないけど、とりあえずメガホン叩いておこう」と思っているお父さん、お母さんへ。
そして、高校野球ファンの皆様へ向けてお送りします。
とはいうものの、実情は探せば探すほど、泥沼化しています。
とりあえず、下書きが終わっているのが365曲、タイトルだけピックアップしたのが約300曲。
下書きが終わっている曲だけで、一週間に1つずつ紹介していきますと、約7年かかってしまいます。
毎日1つずつの紹介でも、一年近くかかる予定です。
おそらく、毎年数曲は新曲が出てくるでしょうから、それを拾い上げて・・・うーん、長生きしなければなりません。
なお、昨オフの「全国バッティングセンターの旅」「野球選手の好きなマンガ」が終わっていませんので、これらも不定期でお送りする予定です。
実は、今年の夏の企画ものも終わっていないのですが。
さて、学校の行事やスポーツの試合前などに歌われる国歌「君が代」。その対応については、いろいろと議論がありますが、ここでは思想的なものなどは無しです。
2010年第87回選抜高等学校野球大会の開会式での野々村彩乃さん(当時高校三年生)の歌声です。
当時、「時を止めた女子高生」とその歌声は日本のみならず、海外でも話題となりました。野々村さんは高校卒業後、大阪音楽大学に進学し、卒業後はソプラノソリストとして様々なコンサートに出演しながら、活躍の場を広げています。
ところで「君が代」の歌詞は10世紀初めに編纂された「古今和歌集」の短歌の一つで、曲は1880年に付けられました。1999年に「国旗及び国歌に関する法律」で正式に国歌として法制化されました。
国歌としては世界一短いです。
明治維新により新政府が成立しましたが、海外諸国との外交実績がほとんどなかったため、外交儀礼上必要とされる「国歌」=「National anthem」が必要となり、対外国向けの国歌を作ったのが最初になります。英国人の軍楽教師ジョン・ウィリアム・フェントンさんにより洋風曲調だったそうですが、日本の国礼歌としてはふさわしくないと思われたため、宮内省式部職によって雅楽様の旋律がつけられ、後に軍楽教師として来日していたドイツ人作曲家フランツ・エッケルトさんによって伴奏と和声がつけられて現在の君が代となりました。
「古今和歌集」には題しらず、読人しらずと書かれていて「君が代は~」ではなく「我が君は~」となっており、より「君」に対して直接的に歌い上げた内容となっているそうです。そして賀歌(おめでたい席で歌われるもの、歌われたもの)となっているそうです。
ここでの「君」というのは現代では二人称の人代名詞として自分と位の変わらないもの、または目下のものを指しますが、平安時代では「”君”は広くもちいる言葉」とのことですが、明治政府は「”君”とは天皇のことである」という考えを暗黙の前提として、1999年の国旗国歌法においても「”君”は天皇を指す」と明言されています。ただし、後日、天皇は日本国及び日本国民統合の象徴であり、という憲法下の元、「我が国の末永い繁栄と平和を祈念したもの」という解釈に変更されています。
それでも、この「君が代」について、いろいろな考えがあるため、注意が必要ではあります。
スポーツなどの国際試合や全国大会などの場合、国歌斉唱や独唱があり、著名な歌手などを招くことも多く、テレビ中継などで目にする機会も多い曲です。