2015年9月12日の阪神タイガース対広島東洋カープの試合において、「ビデオ判定の結果3ベースヒットとされた打球が、実はホームランだった」ということが判り、コミッショナーが謝罪するという事件がありました。
これは生身の人間が判定していた上に、ビデオ判定を導入したのだけれども、それでも判らなかったということになります。人間の目に限界があり、それを補うために機械の目を使ったりするのですが、制度と言うよりも、基盤的な対応がまだまだ不足しているということを表した一件だと思います。
でも、この試合の世紀の大誤審によって、勝ちを一つ逃してしまったカープにとっては、「あの誤審が無ければカープがCSに行ってたのに」となってしまいました。
カープファンのアンガールズ田中卓志さんのブログには「阪神戦のホームラン誤審の事を、グチグチ言わないでいいように、勝ってくれ!絶対勝ってくれー」と叫びがあったのですが・・・
さて、現在、MLBでは、あらゆるプレーにビデオ判定が導入され、判定について「チャレンジ」という、申し立て制度(?)があります。しかし、はっきり誤審だったというケースはほとんどないそうです。
決してNPBの審判のレベルが低く、MLBのレベルが高いということではありません。
ビデオ判定がなかった時代は、審判が判定する以外に選択肢はなく、それは現在でも同じことです。そもそもタイガース対カープ戦の判定ですら、ビデオでも判らなかったのですから、別にビデオ導入する必要はないようにも思えちゃったりします。
最近はテニス、バレーボールにもビデオ判定が導入されて来ています。
そこで判定確認の「チャレンジ」を行っても、ほとんど審判の判定どおりで覆るようなことはありません。
人間の目は結構精度が高いのだと、つくづく感心出来ます。
また、昔「俺がルールブックだ」と言った審判がいました。
そこまで言い切ることはないでしょうけど、やっぱり審判は権威あるものであり、リスペクトされるべき存在であるべきだとは思います。
そもそも、スポーツは人間がやっているもの。
選手は人間。監督、コーチも人間、観客も人間、そして試合をさばく審判や記録員だって人間です。人間が関わってこそのスポーツです。だからドラマがあって、面白く、かつ人を感動させるのですよね。
くるしいことだってあるさ 人間だもの
まようときだってあるさ 凡夫だもの
あやまちだってあるよ おれだもの
みつを