【「9・11と3・11の節目」に思うこと
~ 浅薄なる<異政者>がはびこる時代に
~ 「まん延」して困るのはウイルスだけか? の巻】
あの9・11から20年。
そして3・11から10年。
何が変わり、何が変わらなかったのか。
コロナ以前とコロナ以降は
地続きで同じ世界なのか。
元に戻れるのか、変わったまま過ぎゆくのか。
ポストコロナの行く末は見えず。
* * *
たとえば、
江戸中期にみる「民富論」の起こり。
18世紀末の「浅間山の大噴火」を端緒に
冷害という気候変動が農村を直撃し
「天明の大飢饉」に発展してゆく。
江戸経済の基礎となる農村の疲弊は著しく
「飢饉 → 一揆 → 打ちこわし」の連鎖が巻き起こり
商品経済重視策に転じようとした田沼政治が崩壊する。
そこで
江戸時代の為政者は初めて気づくのである。
少数の武家が大多数の「農・工・商」を支配する時
締め付けのみで手当てを行わねばどうなるのか、を。
民を生かし、年貢収納率を高め
世情を安定させるという政策への転換を
緻密に慎重にやらざるを得なくなったのである。
翻って現代。
権力闘争もけっこうだが、
時と場合によりけり。
この危機的状況に至っても
為政者はまだ、
世の中を甘くみているようである。
▲子供向けの歴史書をなぞる。これもまた「学び」。
陥りがちな細部にこだわる悪癖の修正のために。
▲いちいち論評していたらキリがない。
預けた(託した?)税金は誰のものか?
歴史は すべて現代史である クローチェ