囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

「歴史に学ぶ」ということ

2021年09月11日 | 雑観の森/政治・経済・社会

 

 

【「9・11と3・11の節目」に思うこと 

 ~ 浅薄なる<異政者>がはびこる時代に

 ~ 「まん延」して困るのはウイルスだけか? の巻】

 


あの9・11から20年。

そして3・11から10年。

何が変わり、何が変わらなかったのか。

 

コロナ以前とコロナ以降は

地続きで同じ世界なのか。

元に戻れるのか、変わったまま過ぎゆくのか。


ポストコロナの行く末は見えず。

 

   *  *  *

 

たとえば、

江戸中期にみる「民富論」の起こり。


18世紀末の「浅間山の大噴火」を端緒に

冷害という気候変動が農村を直撃し

「天明の大飢饉」に発展してゆく。

江戸経済の基礎となる農村の疲弊は著しく

「飢饉 → 一揆 → 打ちこわし」の連鎖が巻き起こり

商品経済重視策に転じようとした田沼政治が崩壊する。

 

そこで

江戸時代の為政者は初めて気づくのである。

 

少数の武家が大多数の「農・工・商」を支配する時

締め付けのみで手当てを行わねばどうなるのか、を。

民を生かし、年貢収納率を高め

世情を安定させるという政策への転換を

緻密に慎重にやらざるを得なくなったのである。

 

 

 

翻って現代。

権力闘争もけっこうだが、

時と場合によりけり。

この危機的状況に至っても

為政者はまだ、

世の中を甘くみているようである。

 

 

 

▲子供向けの歴史書をなぞる。これもまた「学び」。

陥りがちな細部にこだわる悪癖の修正のために。

 

▲いちいち論評していたらキリがない。

預けた(託した?)税金は誰のものか?

 

 

 

 

歴史は すべて現代史である クローチェ

 

 

 



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