【マラソンがヒトの人生にたとえられるワケ
~ 長距離ランナーの孤独 の巻】
ある老練の大家が、
新進の小説家にこう諭した。
「スランプというのは
誰にでもあるものだ。
しかし、これは、
大きい跳躍の前に、
身を縮めるようなもので、
必ずしも悲観すべき状態ではない。
あせらず、じっくりと
書き続けていることだ。
葛粉(くずこ)に水を加えて
火にかけているとき、
休まずにかき回し続けていると、
いつまで経っても水と粉が分離していたモノが
不意に、にわかに混ざり合って、
みるみる透明な、
手答(てごたえ)を感じる葛湯に変わる……。
これと同じで、手さえ止めなければ
思いもかけぬとき、
スポッとスランプを脱し、
さらに広い視野が開けるものだ」
◇
スランプは、陥落、暴落、挫折と訳される。
それが転じて、好調を続けてきた選手
あるいはチームなどが不振に陥る
という運動用語に使われるようになった。
わたしの碁はどうかといえば、
この一年、よくもなく、わるくもなく。
新型ウイルス騒ぎで高段者の碁会参加が激減し
強い相手とお手合わせできる機会が減った。
どんな碁でも真剣に打つべきではあるが
やはり相手によっては気合いの濃淡ができる。
言うは易く行うは難し。
最近、いたずらココロが出てヘマが多い。
手が荒れているのが、頭打ちの原因か。
見知らぬ相手と緊張感を持って対峙できる大会や碁会所での
対局機会が増えてほしい、とぼんやり願っている。