【このへんで閑話休題ーー
お江戸の囲碁話でもどうぞ
二百年続いた〝日本一決定戦〟余話】
今日的な囲碁の源流をたどれば
四百年ほど前にさかのぼります
京都に棲む一人の〝大名人〟が
天下人たちの指南役となりました
本因坊算砂は碁将棋で並ぶ者なし
信長、秀吉、家康の三英傑が
続けて重用し、師事しました
いずれもハンディ5子いうのは
教え上手でもあったようです
「3者全て高段者」は眉唾としても
ほとんど棋譜が残っていないので
真偽のほどは申し上げられません
勝てば官軍のノリかもしれません
家康以降、徳川家の天下は長く
計15人が江戸城の主となりました
幕府公認の芸技・囲碁を愛したのは
誰と誰だったのでしょうか
将軍お目見えの年1度の御前試合
「御城碁」「御城将棋」には
代々の将軍が上覧する習わしでしたが
実際は老中らが代行することが
あんがい多かったようです
最強決定戦・御城碁将棋の二百年には
三代から十四代までの将軍たちが
出座することになってはいました
が、欠席ばかりの将軍もいたのです
徳川実紀や続徳川実紀によれば
出座回数は以下の通りでした
(ぜんぶ欠席の将軍は誰でしょう?)
三代・家光9回
四代・家綱21回
五代・綱吉1回
八代・吉宗5回
九代・家重14回
十代・家治26回
十一代・家斉20回
十三代・家定4回
十四代・家茂1回
幕末の混乱のなかで
それどころでないとばかりに
御城碁制度はあっけなく廃止
民衆の囲碁熱も急にしぼみました
その後、
最後の将軍となった十五代・慶喜
大政奉還の大仕事を終え
静かに隠居の身となりました
趣味は、縁台の囲碁でした
晩年よく碁を囲んだといいます
1枚の棋譜が残っています
専門家に五子置いて
引き分けとなりました
三英傑と同棋力とは
偶然でしょうか
果たして――
棋譜をよくみていただきましょう
四隅をがっちり取ったとしても
中央の黒石一団が心配で
わたしは こう打てません
これで持碁(引き分け)
立派な打ち回しと思います
(明治38年だとすれば、「1963年」じゃなく「1895年」ですね?
ズサンなわたしが云うのも、なんですが……)
この星で、この2年
ウイルスが猛威を振るい
4億3500万人が感染し
600万人が死亡しました
今年も残り10カ月
終息の見通しはといえば
99㌫無理っぽい感じです
いそがず
あせらず
まったりと
ときに
いにしえの逸話でも
ご賞味あれ
棋譜ひとつにも
ものがたりがあります
おうち生活のなか
この棋譜を、碁石をつまんで
碁盤に並べてみてください
「見るだけ」と「並べてみる」とは
大違いということが分かります
碁は「心」と「指」の芸事
のような気がしてなりません