【文壇本因坊の著書を孫引きとして その9 の巻】
「故事ことわざ辞典」には「相碁井目」とあるが
「相碁(あいご)もあれば井目(せいもく)もある」
というのが正しい。
相碁は、実力伯仲ゆえ6目半コミ出しの互先の碁で、
井目は、盤面すべての星に9子の石を置く。
ハイディを設け棋力差を是正するためである。
たとえばアマ五段とアマ5級の対局がそうなるが、
相手が10級、20級なら置く石はもっと多い。
最大25子となれば、盤面まっくろの感じがする。
最初から300目見当のハンディ戦となれば
白番は絶望的劣勢から大逆転を狙うに等しい。
これでも勝負になるから不思議だが、ともあれ、
わたしは「互先」も「9子置かせる碁」も好きである。
あえて言えば「5子局」「7子局」がワクワクする。
「なにごともダメだが
囲碁だけは妙に強い人間がいる。
そういう人間が、万事に賢いくせに
碁だけは弱い人間に対して
自分の方が知恵才覚に優れている
と思い込んだりするのは
おかしなものである」
吉田兼好は「徒然草」の中で、
こんな意味の一節を書いている。
そういうお門違いの優位性をたてにし
不遜な態度を取る人間は いつの世にも
また どこにでもいるものだ。
しかし、ただ一つ碁が強いおかげで
彼も生きることの支えを持つことができる。
これもまた「人生いろいろ」なのである。
碁の功徳の一つである。
今春以降、数人規模の碁会を二つ創った。
最初、碁友の紹介でやってきたアマ高段が
「置かせ碁は好かん」と途中で帰ってしまった。
しかも、呼び掛け人に、一声もなく。
そういう主義なら仕方がない。
お引き取り願って、こちらも重畳。
こういう人は、縁がなかったのだ。
しかし、かわいそうな人ではある。
プロにはなれず、アマは相手が少ない。
それで楽しければ、結構なことだが。
ま、漂流男のように
「地域同好会五段、碁会所四段、アマ大会三段」
ぐらいの強くもなく、さほど弱くもないレベルが
趣味とするにはちょうどいい按排ではあるまいか。
100人碁会の誰とやっても退屈することなど一切ないのである。
注:二つの小規模碁会は、急激な疫病拡大の悪影響を重くみて、いったん解散することにしました。運営方針や招待基準などを精査し、最小人数でいずれ再結成します。