政府を批判しない新聞は存在する意味がない。
キャサリン・グラハム(ワシントン・ポスト紙の社主)
【メディアと権力を、歴史的に“観察”してみる ~ 権力を選ぶのは誰か? の巻】
<上> メディア編
読者の耳目を眩(くらま)すが如きもの
豈(あ)に新聞紙の天職ならんや。
<発行停止となった「万朝報」紙の正当性を述べ、
新聞紙条例の不当と他紙の時流便乗を批判した一節>
黒岩涙香「停止及び解停」 明治26年
新聞を必要とするように
今のわれわれの生活を導いたものは
新聞自身であるかもしれない。
寺田寅彦「一つの思考実験」 大正11年
新聞の記事は、こと、自分に関する限り、
たいていどこか間違っているものであるが、
それが他人のこととなると、
悉(ことごと)く正確であるかのような錯覚を起こさせる。
三木清「読書と人生」 昭和17年
本来、ジャーナリズムとは
「柔らかい」ものなのである。
林達夫「編集者の言葉」 昭和23年
ジャーナリズムこそは 現代の呪術師であり、
ジャーナリズムこそは その秘儀の祭壇であります。
福田恆存「芸術とは何か」 昭和25年
ジャーナリズムというのは
派手に局面を変えていくもので、
変わり方がぱっぱっとしているだけに、
その前のことを忘れさせるようにできている。
中野重治「これからの話」 昭和27年
<下> 権力編
位置は猫を虎にする
<権力の位置につけば猫でも虎になって威張るの意>
徳富蘆花「黒潮」 明治36年
政治家ちう者は
憲法に抵触せぬように
憲法以上の仕事をしていくのが命じゃ
二葉亭四迷「ひとりごと」 明治38年
一団の人間が一度権力を獲ると、
彼らは権力を得たゆえんの正義の方を忘れて、
権力の方を後生大事に持ちたがるものである。
菊池寛「権力」 大正12年
権力や富を握っている生活者は、
社会の現状の急激な変化を
本能的に恐れるものである。
伊藤整「安定と変化」 昭和29年
独裁や恐怖政治は、悪人がいて、
それが突然作り出すものではない。
むしろ われわれの考えの中にある。
極端なものだけを真実だと思いたがる性質が、
それを作り出す準備をしている、というべきだ。
伊藤整「極端から極端」 昭和29年
政治家は自己の主観的欲求を
集団の欲求に客観化する奇妙な才能を持っている。
立原正秋「週言」 昭和50年