▲ホントウの衝撃!(白5の十五)▼マヤカシの退屈(サル芝居・出来レース)
【諸芸・趣味を“観察”する。オマケのようなものでお楽しみください ~ 民主主義イコール多数決? 解散は首相の専権事項? 常識のウソに嫌気してーー の巻】
双六(すごろく)は、
本(もと)より論戦(あらそ)ひを以て宗(むね)とする事とする。
<「論戦ひ」は口論、論戦すること。「宗とす」は主とする>
「古今物語集」 12世紀初
世俗の事に携はりて
生涯を暮すは、
下愚の人なり。
<下愚は極めて愚かなこと。
ある程度の年になったら、
「よろづのしわざは止めて、
暇あるこそ、めやすくあらまほしけれ」
という>
兼好「徒然草」 14世紀前半
勝負事と云うものは、
凝り出すと女狂いよりかも酷い。
広津柳浪「花ぐるひ」 明治33年
碁の手 将棋の手というものに
汚ないと汚なくないとの別がある。
それが又 其人(そのひと)の性質の汚ないのと汚なくないのと
必ずしも一致していないから不思議だ。
正岡子規「病牀六尺」 明治35年
碁を発明したものは人間で、
人間の嗜好が局面にあらわれるものとすれば、
窮屈なる碁石の運命は
せせこましい人間の性質を代表して居る
といっても差支(さしつかえ)ない。
夏目漱石「吾輩は猫である」 明治38~39年
娯楽は人間の生命である。
品格ある娯楽なき人間は
人間としての生命がない
と云ってもよい。
伊藤佐千夫「筴竹桃書屋談」 明治40年
真実(ほんとう)に遊ぶということは、
女にばかり有ることで、
男には無いサ。
島崎藤村「家」 明治44年
どんな真面目な仕事も、
遊戯に熟している時ほどには、
人を真面目にし得ない。
萩原朔太郎「新しき欲情」 大正11年
銀が泣いている。
<横紙破りの大阪の棋士 坂田三吉の言葉。
進むに進めず、引くに引かれない悪い銀を打ってしまったの意>
織田作之助「聴雨」 昭和18年
碁も黒白(こくびゃく)お互いの打ち重ねに、
創造の意図や構成もあり、
音楽のように心の流れや調べもある。
<碁も芸術作品である、の意>
川端康成「名人」 昭和26~29年
投げやりな気分でパチンコをやると、
出る台も出なくなる。
もっとも、いくら心をこめてパチンコ台を愛しても、
ちっとも玉が入らないこともあって、
これはフラれたわけである。
吉行淳之介「麻雀好日」 昭和52年
平成四天王筆頭・剛腕山下は本因坊丈和の再来である
漂流男 令和2年
以上、名言・迷言・妄言集にて、この項は とりあえず お開きといたしまする