囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

歴史は知っている 20

2020年09月14日 | 雑観の森/政治・経済・社会

▲ホントウの衝撃!(白5の十五)▼マヤカシの退屈(サル芝居・出来レース)

 

 

 

諸芸・趣味を“観察”する。オマケのようなものでお楽しみください ~ 民主主義イコール多数決? 解散は首相の専権事項? 常識のウソに嫌気してーー の巻】

 

 


双六(すごろく)は、

本(もと)より論戦(あらそ)ひを以て宗(むね)とする事とする。

<「論戦ひ」は口論、論戦すること。「宗とす」は主とする>

 「古今物語集」 12世紀初

 

 

世俗の事に携はりて

生涯を暮すは、

下愚の人なり。

<下愚は極めて愚かなこと。

ある程度の年になったら、

「よろづのしわざは止めて、

暇あるこそ、めやすくあらまほしけれ」

という>

 兼好「徒然草」 14世紀前半

 

 

勝負事と云うものは、

凝り出すと女狂いよりかも酷い。

 広津柳浪「花ぐるひ」 明治33年

 

 

碁の手 将棋の手というものに

汚ないと汚なくないとの別がある。

それが又 其人(そのひと)の性質の汚ないのと汚なくないのと

必ずしも一致していないから不思議だ。

 正岡子規「病牀六尺」 明治35年

 

 

碁を発明したものは人間で、

人間の嗜好が局面にあらわれるものとすれば、

窮屈なる碁石の運命は

せせこましい人間の性質を代表して居る

といっても差支(さしつかえ)ない。

 夏目漱石「吾輩は猫である」 明治38~39年

 

 

娯楽は人間の生命である。

品格ある娯楽なき人間は

人間としての生命がない

と云ってもよい。

 伊藤佐千夫「筴竹桃書屋談」 明治40年

 

 

真実(ほんとう)に遊ぶということは、

女にばかり有ることで、

男には無いサ。

 島崎藤村「家」 明治44年
 

 


どんな真面目な仕事も、

遊戯に熟している時ほどには、

人を真面目にし得ない。

 萩原朔太郎「新しき欲情」 大正11年

 

 

銀が泣いている。

<横紙破りの大阪の棋士 坂田三吉の言葉。

進むに進めず、引くに引かれない悪い銀を打ってしまったの意>

 織田作之助「聴雨」 昭和18年

 

 

碁も黒白(こくびゃく)お互いの打ち重ねに、

創造の意図や構成もあり、

音楽のように心の流れや調べもある。

<碁も芸術作品である、の意>

 川端康成「名人」 昭和26~29年

 

 

投げやりな気分でパチンコをやると、

出る台も出なくなる。

もっとも、いくら心をこめてパチンコ台を愛しても、

ちっとも玉が入らないこともあって、

これはフラれたわけである。

 吉行淳之介「麻雀好日」 昭和52年

 

 

平成四天王筆頭・剛腕山下は本因坊丈和の再来である

 漂流男 令和2年

 

 

以上、名言・迷言・妄言集にて、この項は とりあえず お開きといたしまする

 



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