声なき声とは
表だって声高に語らない人々の意見(三省堂・大辞林)
2018年の年頭会見で、当時の首相Aは
「私も声なき声にしっかり耳を傾ける」
と声高に述べた。
発言の流れは、こうだった。
「今年は戌(いぬ)年だ。
犬は聴覚が優れており
人間が聞こえない音も聞き取れる。
私も声なき声にしっかり耳を傾け
新しい国造りを前に進める」
彼には、
国民の疑問や野党の批判に
正面から向き合わない
説明責任も果たそうとしない
という批判が強まっていた。
前年、内閣支持率が一時急落し
東京都議選で自民は惨敗する。
その立ち込める暗雲の原因は
彼の政権への不信感だと指摘された。
以来、本人は「謙虚」「反省」を
繰り返しクチにするようになっていた。
首相の祖父Kも同じ言葉を発していた。
日米安保反対闘争が激化した1960年、
当時の首相Kは、こう述べていた。
「国会周辺は騒がしいが、
銀座や後楽園球場はいつも通りだ。
私には声なき声が聞こえる」
権力者が「声なき声」などと言う言葉を
ことさらに、わざわざ持ち出すのは
ただごとではない。
自分に都合の良い声だけを聞こう
としているからだ。
それが昭和、平成、令和では
しばしばあり、わざとらしさに
へきへきするとしたものだ。
政治はなぜここまで内容浅薄にして不実
という精神の貧困をあらわにするのか。
遺憾ながら、今に始まったことではない。
このところの「失われた十年」もそうである。
こうして事大主義の色は濃くなっていくのである。
▲暴れん坊将軍が発案した「目安箱」
白木造りの小さな箱は
権力者と民衆とを結ぶ
ほとんど唯一の絆であり
「傑作中の傑作」の政策であった