囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

大臣の仁徳/逸話1

2021年08月25日 | ●○●○雑観の森

 

 

 

【ちょっと寄り道、コーヒータイム の巻】

 

 

ここで、

前回投稿の「阿部豊後守忠秋」について

逸話を少々書き残しておきたい。

しばし〝寄り道〟をお許し願いたい。

 


徳川の世がまだ盤石とは言い難い頃

権力の基礎固めを担った〝優れた大臣〟は数あれど

その見識と手腕には濃淡があったと思う。

 


明治時代の歴史家・竹越与三郎は

「(酒井忠勝・松平信綱などは)みな政治家の器にあらず、

政治家の風あるは、独り忠秋のみありき」(二千五百年史)

と高く評価し、別格扱いとしている。

 


鋭敏で才知に富んだ松平伊豆守信綱

「知恵伊豆」と称されたほどの

キレモノの能吏であった。

 


これに対して、

阿部豊後守忠秋は剛毅木訥な人柄で

幕閣のなかでは地味な存在だった。

 


ここで見逃せないのは、

忠秋信綱とは互いに欠点を指摘し合い

また補助しあって天下の盤石化に尽力し、

幕政安定に貢献した点であろう。

 


責任感の強い忠秋は「細川頼之以来の執権」と評せられ

また、捨て子を何人も拾って育て、優秀な奉公人に育て上げた。

子供の遊ぶ様子を見るのが、忠秋の楽しみだったという。

仁徳の政治姿勢は、常に自然体にて発せられたことが分かる。

 

 


   *  *  *

 

 


老中の阿部豊後守忠秋は

徳川将軍家の菩提寺である

上野の寛永寺と芝の増上寺に

将軍代参として出掛けることがあったが、

そのたびに捨て子を拾って帰り、

養育していた。

 

ある時、家臣たちが

「殿の往来を待って

わざと捨て子をする

とのことです。

殿のことを、捨てれば必ず拾う人だ

と噂を立てています。

無益の費用も掛かることですし、

おやめになってはいかがでしょうか」

と戒めた。

 

しかし、忠秋は笑って答えた。

 

「考えてもみよ。

そもそも親子の愛情ほど深いものはない。

ましてや、乳飲み子に対する親の愛情は

大変なものだ。

どうして、簡単に捨てられようか。

その親の心にもなってみよ。

それを拾って育て、

相応に召し使っても、

さほどに費用が掛かるものではない。

このことで家中に迷惑を掛ければ

わしの誤りとなるが、

家来に扶持(給与)を与えた余りの分を

充てているのだ。

このほかに遊楽の費用を節約すれば

何ということはないのだ。

だいたい、捨て子があるというのは

天下の恥だ。

それは老臣の恥というものだ」

 

忠秋が拾って育てた捨て子は

数十人に及んだが、

男の子はいずれも、

よき奉公人になった。

また、女の子を、

それぞれ縁付かせたという。


    (原典:名将言行録)

 

 



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