【文壇本因坊の著書を孫引きとして その2 の巻】
「殺す」とは、盤上の相手の碁石を完全に包囲し、取り上げ、
石の入れ物(碁笥)のフタに入れてしまうことである。
血生臭い行為でもなく、ただ相手のモノになるだけ。
盤上用語は「殺す」「取る」「死ぬ」などと物騒である。
囲碁文化を手厚く保護した徳川家康は、
「世の中が平和になったのだから
戦(いくさ)とケンカは碁でやれ」と言った。
「碁の殺し屋」は、弱点のある敵の大石を殺す達人だが、
幕末には本当に碁に殺された棋士もいた。
棋界最高権力「棋所(きどころ)」を巡った争碁が舞台。
家元を代表し、本因坊家は剛腕・丈和、井上家は俊英・赤星因徹。
四日かかった熱闘のなかで、丈和の連続妙手が出て、
246手で赤星は血を吐いて投げ、そして死んだ。
対局中、外でも応援争いが起きていた。
依頼を受けた僧が不動明王にゴマを修し、丈和の敗北を祈った。
丈和の妻も、浅草寺に日参して、夫の勝利を祈った。
結果、鬼の如き不動明王は、身の丈一寸八分の観音様に敗れた。
碁会を計画した老中は隠居謹慎になり、江戸家老は切腹した。
殺し屋は誰か?
陰謀を仕組んだ家元か、浅草の観音さまか、囲碁そのものか。
囲碁が「江戸の華」といわれた時代にあって
寺の隣に鬼が棲むような暗闇が広がっていたのである。