囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

妖怪と呼ばれた男

2020年11月10日 | 雑観の森/政治・経済・社会

 

和を以て貴しとなす (十七条憲法の第一条)ーー

 

 

 

 

「説明せず」「根拠示さず」の恐怖政治

 権力を握れば何でもできる? ~ 存在の耐えられない軽さ の巻】

 

 

わたしは小学男子だった頃

「あだ名」を付ける名人のひとりだった。

高校、大学に行くと上手がごろごろいて

名人の称号?を返納せざるを得なかった。

というより、その頃は“卒業”していた。

大学生にもなって子どもの残酷さを失わないのも

それはそれでビミョー、と思い始めていた。

だが、社会に出ても、名人の技を失わない者がいて

ときにはミョーに心底感心することもあった。

 

「ふろしき」というニックネームを与えられた大学同級女子がいた。

“顔面偏差値”のさほど高くないというだけで、残酷なことに

「包んでおけ」という意味である。

むろん、本人には誰も告げていないから、不知だったのではないか。

 

彼女は、わたしの悪友と付き合い始めた。

ちょっと変わっているけれど、かわいらしいヒト。

最後まで、その事を彼女は知らず、卒業したのだろうか。

小学生並みのノリだったが、ひどいことをしたものだ。

 

         ◇

 

江戸の三大改革の最後「天保の改革」は

小説などで取り上げられることが多い。

登場人物のなかで出色なのが

悪役の鳥居耀蔵である。

あだ名は、蝮(マムシ)の耀蔵

さらに酷くなり、名前の一字「よう」をもじり「妖怪」

 


市中取締りの苛烈なことから、改革の役に立つ、と重用された。

政敵や、そりのあわない者に対する敵意・憎悪は凄まじく、

阿部正弘や遠山景元(遠山の金さん)などは、その被害者。

邪魔者を陰険な手段で追い払った。やがて失脚した。

 


幕臣の勝海舟は、人物評を書き残している。

「残忍酷薄甚しく、

各官員の怨府となれりといへども、

その豪邁果断信じて疑わず、

身をなげうつてかへりみる事なく、

後、罪せられて囹圄にある事ほとんど三十年、

悔ゆる色なく、老いて益勇。

八万子弟中多くかくのごとき人を見ず。

亦一丈夫と謂うべき者か」

 

自己の信じることのみに固執し、他の言に耳を貸さない

敵は多かったが、その才覚を評価する者もいた。

今は「悪役」としてのみ、正史に名を刻んでいる。

 

         ◇

 

日米の権力劇を見ていて、ふと思い出した。

我執にこだわるあまり、他人の言に耳を傾けることなく

修正を受け入れず、負けを認めず。

そうしたとき、は、といわれる。

 

 

 

 

鳥居耀蔵(寛政8~明治6年) 幕末の旗本。老中・水野忠邦の天保の改革の下、目付や南町奉行として市中の取締りを行う。渋川敬直、後藤三右衛門(13代目後藤庄三郎)と共に水野の三羽烏と呼ばれる。苛烈な取締り、おとり捜査を駆使した権謀術策に長け、市中で忌み嫌われた。 北町奉行だった遠山景元(金四郎)が改革に批判的だったため、策を弄して閑職に追いやった。改革が失敗して鳥居も失脚し、軟禁の身となった。

 

 

 



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