私たちは1人がトイレに行くとついていく、観光バスなどはまずトイレにじゅづつなぎである。
次にいけるのはわからないからが主な理由っであるが、
ついでに行っとこうか、「みんながいくけー」
牛も1頭がやると、引き続いてじゃーじゃーやる、
まさにつれしょんである、隣の?牛の音に反応するのであろうか?
人間社会はこれに
「赤信号みんなで渡れば怖くない」、「長いものに巻かれておれば、、、」
的思考がある、自らを守る術として最も安心な座である、とともに無責任なところもある。
最近課題整理を3つの組織でしているが、この中庸が最も難儀である、どこまで意思をくみ取るのか、単純に数で割り切れない(多勢な意見と言えないのである)ところに苦慮する、うまく反映できないのである。
中庸に身をおく者の多いことか、それらは出されたものには批判を平気でだす、それからがほんとの分析が始まる
ほどほど、まーまー 聞こえはいいし、うまくまとめると人はいうが、ところがどっこい!
朝の牛飼いでしょんべんの飛沫を浴びながら考えたことである。