私たちは集団の中で生活している、それにはそれなりのルールがある。
まず自分には家族がある、地域がある、組織がある、大きくなれば国を背負う事になる。
オリンピックのスノボの国母
自らの組織と代表という「看板」を背負う認識は無かったのか、ファッション優先に見える。
ここまで教育しなければわからないのか、
自分も1度失敗したことがある、そのときは周囲を見て覚った。
以来程度の問題はあるが認識している。
我が子にも伝えているはずである。
この国母の年代の親は教育に問題のあった時代の世代である。
教育はそのときに現れる物でなく、何年か先に出てくる、今回いや最近の現象は典型的な現れであろう。
1歩外にでると何らかの「看板」を背負っていることを知ってもらいたい。
寒くなると浄土にたびたたれる方が多くなる
今年に入って何人であろうか。
そして、地元でなくて、葬祭じょうでの葬儀が多くなった、それだけ田舎は厳しくなったのか、いや、年寄りだけ残しておいて、なくなったら若い者が地域と付き合いがなくて葬儀を頼めないからである。
その原因を作っているのも今の年寄みずからであることも原因がある。
田舎と都会を連結することができなければ現状はかえられない。
今夜も三次での会場である。
なんで今日の活字は太字になったんだろう。