県総体への郡市予選大会(市総体)がありました。
我が家の中3と中1の息子たちはバスケ部です。
この市総体で3位までに入らないと、3年生は引退です。
毎朝7時から8時までの朝練と、授業が終わってからの通常練習も毎日あります。
兄さんたちが1.2年の頃は先輩たちの人数も少なく、朝練もなく、今の様な強さはありませんでした。
兄さんたちの代でドカッと大勢入り、ユニフォームもらうのもヒヤヒヤです。
毎日まじめに来てる子、練習態度も見てくださっていると思います。
3年生でぎりぎりユニフォームをもらいました。14番です。
2~3年生を大雑把に分けたら、Aの1軍、2軍、Bの1軍、2軍といったところでしょうか?
兄さんはAの2軍でしょうか?Bの1軍でもあるような?ミニバスの時と同じ立ち位置。
試合が余裕で勝っている場合に最後の1分てところで出してもらえます。
見せるチャンスってところで、シュート外します。とほほ。
私と同じでおっとりなのでしょう。判断はいいんだけど、1テンポ遅いというか。
他はベンチに一日座ってるだけの時も。
まぁいいよね。3年間、きつい練習によくついていったよね。続けただけで良し。
1年生の時はマンガ、2年生になってからバンドに夢中で、ビデオ見ながらぴょんぴょんしてます。
最近は髪にワックスをつけたりとおしゃれが気になりだしていました。
順調に成長しています(笑)
そんな兄さんが市総体2日前から喉が痛い、発熱と、風邪の様子。
兄さんもそうだけど、他の子も頑張ってきた成果を出す大切な試合。
風のうわさでは、気合入れて、坊主にした子もいるとか…
大会は2日間あるので、1日目は主要メンバーに移してしまうといけないので、泣く泣く休みました。
応援に行った次男と主人が帰ってくるなり、「ほぼ全員坊主だよ!」と。
「ゲ―!! 意味わかんねー!!」と現実を受け止めない兄さん。
断固として拒否してました。
実際にまわりがみんな坊主だったら覚悟するかな?と思い、熱が下がったので2日目は行かせました。
月曜日なので、1年生は放課後、自力で会場へ行きます。
2.3年生は朝から保護者の配車で会場へ行きます。
私も準決勝に目がけて応援に行きました。カメラマンです。
本当にみんな坊主だわ。
みんなのプレーも凄いけど、そのことが気になって、応援に力が入りません。
決勝進出!
私は一度家に帰って、家事をしていると、学校から帰って来るなり次男が
「みんなでサミット(1000円カット)に行くけん、金ちょうだい」と。
私は1年生は自由って聞いたよ~。
素直でまじめな1年生♡♡♡ それにひきかえまだ拒否してる兄さん。
決勝に合わせて、マンションの友達に乗せてもらい、またカメラマンとして行きました。
ユニフォームももらってない弟が坊主にするとか、まったく意味わかんねーだろうな(笑)
優勝!!
みんなが家に帰ってきて、どうするか聞いてもまだ拒否。
子供は親の思い通りにはいかないもの。
この数か月は人生のうちのほんの一瞬。
大人になって振り返ってみたら、ひとり坊主にせんかった俺ってとんがってたな(笑)と思うだけ。
ハラハラしてるのは親だけ。
本人に任せました。翌日普通に学校と練習があり、帰宅してゆっくり休んだ後に、
「床屋の金(くれ)」とぽつり。
長めの坊主になりました!
欲を言えば、みんな5mmで揃えたらしく、ひとり変ですが。まぁ、良しとしよう。
ここに至るまで、たくさんのバトルをしました。
人に合わせることの大切さを自分で決めて学びました。
よかった、普通の判断ができる子に育ってくれて。
今は、髪を一刻も早く伸ばすために、泡を頭にのせてマッサージしてるようです(笑)
でも今度は県大会前にもう一回きれいに刈ると思うのですが…
ビフォーアフターをみたいので写真撮りました。
次男も幼稚園年少の時に坊主にしてました。
あまり変わりないような気がして当時の写真と並べましたが、変わってないと思うのは親だけですね。顔が大人びてました。
両方ともFacebookとかラインで送るな!と言われたので、私だけの楽しみです。
一週間前の、大腸カメラの結果を持って、ひとり大阪へ行くことが決まりました。
徳島から新大阪までの乗り換えなしの便はありません。
つい最近、主人が出張で大阪まで高速バスで行っていたので、高速バスだったら大阪駅目の前で停まるから簡単だよ、と教えてもらいました。
田舎者なので、駅の乗り換えできるかな?と心配で心配で仕方ありません。
車でバスターミナルまで行って、高速バスに乗って大阪、それからJR一駅で新大阪に着きます。
今は本当に便利ですね。ネットでなんでも調べられます。グーグルマップのストリートビューで大阪駅前をよく見たり、
診察の終了時間は読めないので、何パターンも組み合わせて、帰りの時間を調べたり。
前の週に主人にバスターミナルまでの道をドライブしてもらい、会社の近くに高速バスのチケット売り場があるので、チケットを買ってきてもらいました。協力的で本当にありがたい。
何もかも初めてのところ!無事に帰ってこれるか不安。
そして、当日、家族全員を送り出してから、7時に出発。
不慣れな道は車も怖い。大きな交差点で停止線がわからず、大幅にオーバーしての停止。
右折するのに、これまた、大きくオーバーしての停止。邪魔だよ、おばちゃん。
駐車場は運よく空いてました。
10分前にバス停に並んで、時間ちょうどに来たバスはバス会社が違う。
これを見送って10分経過。来ないじゃん!も、もしかしてさっきのだった?!まじで。しょっぱなから間違えた?!
とひとり無表情で焦っていると、高級感半端ないバスがやってきました。これだ!
3列シートでゆったり、ゆったりが売りの海部観光。快適でした。
さて、大阪駅について、乗り換えです。
うんうん。桜橋口から入って、切符買って、改札へ。
うんうん。高槻行きの京都線だよね。すんなりいけました。
新大阪駅では、出口がわからない。うろうろうろうろ。ほうほう。3階は出口が2か所で東と西。
東口からでて2階に降りて、中央口から出れるんだな。なるほど。
サロンまで時間があります。診察が終わるのは2時ころなので、
お昼を軽く済ませるか、とめぼしいお店を探して歩きますが、ひとりは寂しいな。
結局、懐かしいドトールへ。
新大阪駅から目的のビルまでは一度歩いたことがあるので、すぐわかりました。
いつものサロンに入ると、いつものスタッフたちの顔を見て、ホッとしました。
いつもは、知人が車に乗せてくれて、私たちはただ乗っているだけでサロンに着きます。
今回自力で調べて乗って有難さが身に沁みました。
前回のサロンから2週間しか間があいてないからか、デトックス効果が強く感じられました。汗が半端ない。
終わってからも汗が止まらない。ここから3.8日はラドンが体をお掃除してくれます。
診察の時間が近づいてきたので、1階の病院へ行きます。
先生は患者さんひとりひとりに寄り添って、病気の根源から治していくという方針なので、
ただ治療をして終わり、薬をだして終わり、ではなく、生活の指導もしたりと、
ひとりにかける時間がとても長いんです。
待っている間、先生の書かれた本を読み、親近感いや、尊敬の念が増しました。
診察はやはり遅れてのスタート。なんだろう、この包まれるような感覚は。
大腸カメラの結果、ポリープはなく、血管拡張症でした、よかったです、と伝え、返ってきた答えは、
「ひとまず安心したね。でも、腸がただれてるってことは原因があるんだよ」と。
徳島の病院では、原因まではわからず、排便が規則正しくなされるように、水分をたっぷり摂るくらいの指導しかありませんでした。
①朝食にパンを食べてないか?→NO。有難いことに実家の新潟米を頂いてます。
②酢は何を使っているか→〇ツ〇ンの米酢。
良い酢は、半年以上醸造したもので、酸性であってアルカリ食品。身体の中に入っても変な化学反応はおこしません。
悪い酢は、アルコールを使って1日で作り出されます。身体の中に入ると、カルシウムと化学反応をおこし、酢酸カルシウムになります。
それは、血管のつまりや収縮をおこします。 鎮痛剤を飲んでいる人は、血管にカルシウムが沈着するのを進行させます。
家に帰って我が家の酢をみたら、アルコールが入っていました。
③みそ・しょうゆは何を使っているか→減塩のもの。メーカーはこだわっていない。
減塩は身体に良いと思い込んでいるが、そもそも、みそやしょうゆは保存食品で、なぜ長期保存できるかって、塩をたっぷり使っているからです。(それは知っていました)
その塩を減らしたらどうなる?→腐りやすくなる(うんうん。ですよね。)
だけど実際は腐らないよね、カビ生えないよね。なぜ?→防腐剤を使ってるから(考えればそうだ!)
身体にいいと思って減塩を買ってましたが、塩減らして防腐剤入ってたら余計に身体に悪いじゃん!
大手メーカーの、容易く手に入るものは、添加物たっぷり入れて、大量生産で早くできる。
良いものは、添加物はなしで、国産の大豆を使って、長期熟成でできる。
今は検査結果はOKだったが、将来を考えたら、こういうものだということを深く理解しなければならい、とアドバイスをもらいました。
確かに、今回は私ひとり検査をしてOKだったが、同じものを食べている家族も同じことがいえるかもしれない。
家族の健康を考えたら、変えていかねばならい、と思いました。
それから、手技の骨格矯正。気功もされるので、滞っている場所がわかるのでしょうか?小鼻の横に指をあてられました。昨年末からずっと鼻詰まりです。
診察が終わりお会計を済ませて、次回の予約をして帰途につきました。
もしかして読み通り終わったらこの時間のバスに乗れるかも?と思っていた便に乗れ、夕ご飯を普通に作れる時間帯に帰宅し、無事に一日が終わりました。
ドキドキ不安な3週間でしたが、すべてうまくいき、達成感と感謝の気持ちでいっぱいです。
車の運転を始めたのもそうでしたが、私が自立して大きく躍進するための流れだったと思います。
身体に良いものは高価ですが、できる範囲で始めて、妥協するところは妥協して、知識として子供たちにも伝え、未来の子孫にも伝えていきたいと思います。
大腸カメラを予約してからの1週間は、腹をくくったとはいえ、ドキドキしていました。
ハンドメイドは手につかず、何もしていませんでした。晩酌もせず。飲む気にならない。
ポリープがあったら?がんだったら?
という心配は少しはありましたが、泡を下腹部、全身に毎日塗っているので、そこまではなってないんだろうな。という安心がなんとなくありました。もしあっても、最高の治療が受けられるし、ひどい心配はありませんでした。
とにかく、管が。ドキドキ。
猛烈な腹痛、そして血圧が低いためか、必ず気絶というものが年に1.2度あります。
下剤を飲んだらまたあの痛みと戦うのか、とドキドキでした。
検査の前日寝る前に4錠の下剤を飲みます。覚悟。
翌朝は朝食は食べられません。排便ありました。普通に。
でもそのあと、病院に行くまでに何回も。何回も。段々、間隔が短くなってきます。痛みも。
「これから病院行くんだから、何かあっても大丈夫!」と思い込むようにして自転車で病院に行きました。
そこから1.8リットルの腸洗浄液を2時間かけて飲みます。ポカリの様な味です。息子から借りた小説を読みながら過ごしました。
もっとおなか痛くなるのかな?と思っていましたが、痛みはそれほどなく、普通にトイレに行く時の感覚でした。
全部出し切って、出るものも透明になったことを確認していざ検査。
膝を曲げるとお尻が丸見えの紙のパンツに着替えました。検査台へ。
気分を和らげるためか、壁紙は青空に白い雲が浮かぶもの。
膝を曲げた状態で検査台に横になります。
力を抜いてねと、始まりました。
でも、力入るよね。ひ・ひ・ふー、じゃないけど、はぁ、はぁ、と大きな息を吐いて。
でも、吐きすぎて、喉はカラカラ。力入りすぎ。
S字結腸や曲がったところはひっぱったり、空気を入れながら前に進んでいきます。
横向きではどうにも力が入るということで、仰向けに。
えーーーー!!お尻に管が入ったこの状況で体勢変えるとか無理だし‼
看護婦さんに手伝ってもらって、膝を曲げて仰向けに。
どんどん奥に入っていきます。「まだ?まだですか?」「もう無理です」
と何度言おうと思ったことか。
最後の大腸の始まりまでカメラが行って終了。
結果、ポリープはなく、「血管拡張症」という赤ら顔のほっぺに出来てるような赤い痣が何か所かあっただけでした。
そこから血が滲み出たのかは不明ですが、これががん化することはないので、今後検便で血液反応あっても3年はいけるでしょうとのこと。
でも、検便は毎年受けてね、とのことでした。ほっ。ほっ。よかったよ~。
ということで、この大腸カメラの結果を持って大阪にひとりでいったのです。
また、長くなったので、次回へ続きます。
先日、ひとりで大阪まで行ってきました。
目的は、新大阪の病院とサロンに行くためです。
病院!
実は、5月に受けた人間ドック(毎年受けてます)で便潜血でひっかかったのです。
便潜血=再検査=大腸カメラ!
あの、お尻から管を入れて、大腸の中をみるやつ!
怖い怖い‼体の中に管入れるとか考えられない。
TVで見たことあるけど、他人事だから何とも思わなかったですが、
いざ自分となると、恐怖しかありません。
ネットで調べたら、ポリープがあれば切り取って検体に出して良性かどうか検査する…
怖いとばかり言って検査しなければ手遅れなるかもしれない。そっちの方がもっと悪い。
とにかく、信頼できる大阪の先生に相談してみようと思い、2週間前に知人の定期便があったのでご一緒させてもらいました。
「四の五の言ってないで検査受けてみよう」とのこと。
それよりもレントゲン撮ったけど、「この首、背骨はひどいよ」と。
手技で調整をしてもらいます。そして枕の指導も。枕はアレルギーがなければ、蕎麦殻がいいそうです。
首にいいと思って使っていたテンピュールの枕。あれは端が高くなっていて、横向きになった時、肩の高さがあるので人は高い方へ頭を移動する。それが首を前にする形になるから、ストレートネックにつながる。
うちは家族全員何らかのアレルギーがあるので、プラスチックのストロー切ったやつみないなのにこれを機に変えました。
変えてからというもの、長年悩んでいた肩こり、頭痛が改善されました。今のところ出ていません。
身体の不調なところを全部問診で伝えてあるので、全部みてくれます。
乳腺嚢胞もあったので、それも「搾乳器」を使って!リンパの流れと反対方向に一時刺激を加えて、固くて少し痛いしこりの様なものが消えました。超音波検査でみてみなければ本当に消えたのかどうかわかりませんが、手で触ってわかるものはなくなりました。
大阪の病院の翌日、思い切って徳島の病院に大腸カメラの問い合わせをしました。
検査は1週間後に決まりました。
長くなったので、また次のブログに続きます。