足らで事足る身こそ安けれ
(事足れば足るに任せて足らざれば、足らで事足る身こそ安けれ)
日本メンタルヘルス教会の衛藤代表がしばしば引用される言葉です。
私自身、以前に書きましたが「足るを知る」という言葉を使い、幸せの感じ方
なんかを表現していました。
幸せの青い鳥はすぐ近くにいる、幸せは外にはいません。
すべて主観が作り出します。
目の前に起こること(事象)には、特別な意味はありません。
ポジティブにもネガティブにも、どうとでも本人の意識で変わります。
話は元に戻ります。
この言葉を調べてみたところ、道歌のなかにありました。
道歌とは「道徳的な教えをわかりやすく詠み込んだ和歌。(大辞泉)」
「教導のために宗教的道徳的な教訓をよみこんだ和歌。(大辞林)」
となっています。
そもそも仏教の教えからこの歌が作られたようです。
欲望にはきりがありません。足りない部分(欠けた部分)にフォーカスして
生きていくと、常に不幸な気持ちになってしまいます。
今の状態で、足りている部分にフォーカスし、それに感謝する心があれば幸せを感じることが出来ます。
それが幸感力(幸せを感じる力:造語)です。
常に幸せを感じていられる精神状態は、強い人間を作り上げます。
人間力です。
少々の状況の悪化や、ストレスなどには、負けない強い人間力です。
毎日変わらず空気がある、今日も健康である、心臓は問題なく動いてくれる、
太陽が輝いている、大地が安定している... などなど。
言い換えれば、幸せというのは、「何もない状態。何も起こらない状態」日々
平穏な状態を指すのかも知れません。
たくさんのお金を手にした人が、人からねたまれたり、恨まれたり。
悪くなくともあり得る話で、妬みをたくさんうけるだけで、憂鬱になる
のだと思います。
その妬みのおかげで、今まで仲の良かった仲間達からはじかれることも
あるでしょう。
せっかく苦労して、お金を儲けて、この状態ではむなしいと思いませんか?
道歌がありましたので、引用します。
心の時代だからこそ、このブログでテーマにしているようなことが
起こっているのかと思ったら、昔から同じ考えがあったようです。
もちろん、心理学にもありました。
事足れば
たることを 知るこころこそ たから舟 世をやすやすと渡るなりけり
事足れば 足るに任せて 事たらず 足らで事足る 身こそ安けれ
乏しかり 時を忘れて 食好み このみの多き 秋の山猿
道ならぬ 物をほしがる 山猿の 心からとや 縁に沈まん
千畳の 座敷持ちても なにかせん たった寝床は たたみ一枚
千両箱 富士の山ほど積んだとて 冥土の土産に なりはすまいぞ
身を思う 心は身をば 苦しむる 身を思わば 身こそ安けれ
身のほどを 知れと教えし 伊勢の神 今もわら屋の 宮にまします
身を知らば 人の咎にも 思わぬに 恨み顔にも ぬるる袖かな
思うこと ひとつかなえば またひとつ かなわぬことの あるが世の中
事足れば 足にも慣れて 何くれと 足がなかにも 猶嘆くかな
足る事を 知りからげして 身を軽く 欲の薄きに 福と寿はあり
破れたる 衣を着ても 足ることを 知ればつづれの 錦なりけり
(事足れば足るに任せて足らざれば、足らで事足る身こそ安けれ)
日本メンタルヘルス教会の衛藤代表がしばしば引用される言葉です。
私自身、以前に書きましたが「足るを知る」という言葉を使い、幸せの感じ方
なんかを表現していました。
幸せの青い鳥はすぐ近くにいる、幸せは外にはいません。
すべて主観が作り出します。
目の前に起こること(事象)には、特別な意味はありません。
ポジティブにもネガティブにも、どうとでも本人の意識で変わります。
話は元に戻ります。
この言葉を調べてみたところ、道歌のなかにありました。
道歌とは「道徳的な教えをわかりやすく詠み込んだ和歌。(大辞泉)」
「教導のために宗教的道徳的な教訓をよみこんだ和歌。(大辞林)」
となっています。
そもそも仏教の教えからこの歌が作られたようです。
欲望にはきりがありません。足りない部分(欠けた部分)にフォーカスして
生きていくと、常に不幸な気持ちになってしまいます。
今の状態で、足りている部分にフォーカスし、それに感謝する心があれば幸せを感じることが出来ます。
それが幸感力(幸せを感じる力:造語)です。
常に幸せを感じていられる精神状態は、強い人間を作り上げます。
人間力です。
少々の状況の悪化や、ストレスなどには、負けない強い人間力です。
毎日変わらず空気がある、今日も健康である、心臓は問題なく動いてくれる、
太陽が輝いている、大地が安定している... などなど。
言い換えれば、幸せというのは、「何もない状態。何も起こらない状態」日々
平穏な状態を指すのかも知れません。
たくさんのお金を手にした人が、人からねたまれたり、恨まれたり。
悪くなくともあり得る話で、妬みをたくさんうけるだけで、憂鬱になる
のだと思います。
その妬みのおかげで、今まで仲の良かった仲間達からはじかれることも
あるでしょう。
せっかく苦労して、お金を儲けて、この状態ではむなしいと思いませんか?
道歌がありましたので、引用します。
心の時代だからこそ、このブログでテーマにしているようなことが
起こっているのかと思ったら、昔から同じ考えがあったようです。
もちろん、心理学にもありました。
事足れば
たることを 知るこころこそ たから舟 世をやすやすと渡るなりけり
事足れば 足るに任せて 事たらず 足らで事足る 身こそ安けれ
乏しかり 時を忘れて 食好み このみの多き 秋の山猿
道ならぬ 物をほしがる 山猿の 心からとや 縁に沈まん
千畳の 座敷持ちても なにかせん たった寝床は たたみ一枚
千両箱 富士の山ほど積んだとて 冥土の土産に なりはすまいぞ
身を思う 心は身をば 苦しむる 身を思わば 身こそ安けれ
身のほどを 知れと教えし 伊勢の神 今もわら屋の 宮にまします
身を知らば 人の咎にも 思わぬに 恨み顔にも ぬるる袖かな
思うこと ひとつかなえば またひとつ かなわぬことの あるが世の中
事足れば 足にも慣れて 何くれと 足がなかにも 猶嘆くかな
足る事を 知りからげして 身を軽く 欲の薄きに 福と寿はあり
破れたる 衣を着ても 足ることを 知ればつづれの 錦なりけり