子供が生まれたときに、親が子に願うことはとてもシンプルで、世界共通と言っても良いかも知れません。
皆に愛され、幸せになって欲しい。
ただそれだけを願う。そこには、成功を願ったり、富を得ることを願うことはない。
いつから、「期待」を「重み」に変え、「要求」するように、「ねばならぬ」ようになってしまうのだろう?
何のきっかけが、それをさせるのだろう?
愛があればいいだけなのに。
恐怖に支配されたとき、期待と重みと要求という、もう一つの子が誕生する。
その子は、生まれる必要があったから生まれただけで、特に大きな意味はなかった。
その子を「恐怖の子」にしてしまう事なかれ。
「もう一つの子」を生んでくれた子に感謝し、気づきを得、子と共に愛で生きよう。
子は、愛に包まれ、愛の中に誕生したのだから。
なるほどそうなのでしょうね。
このようなことに多くの親が振り回されるのは、なぜなんでしょう。
幸福に対する幻想ではないでしょうか。
成績がよければ幸せになれるわけでも、お金があれば幸せになれるわけでもないと言うのに、その幻想に振りまわされ、競争社会に組み込まれてしまうからでしょうね。
おそらく学校の評価ですかしら。その恐怖が生まれるきっかけは。
未だに物質的なことや富を得ること、肩書きや名声にとらわれ、その呪縛から逃れられないのでしょうね。
私自身も少なからずまだ、持っていると思います。
学校も、最新の理論や価値観をいち早く取り込み、古い洗脳されていた時代から逃れる必要があると思います。
評価という恐怖により、競争を強いられる子供達が多く存在するのは、とても怖いですね。
学校に対しては、素人が、色々口を出しすぎました。社会の要請で、縛り上げているために、機能不全に陥っていると思います。
少し前のブログにも連載記事を書きましたが、教育の再生に、「創造性」は欠かせないと思っています。
気づく人を増やすことが我々の使命なのでしょうね。
気づく人が増えれば、急激に変化がはじまるでしょうね。
これからもよろしくお願いします。