49日 納骨

2019年03月04日 | 最近のこと

仏教のことも、実家の宗派もろくに知らないまま、ただ押されるように従い、時間の経過と共に法要は進み、先祖代々の墓に納骨される。

母の骨は太くしっかりして、たくさんあった。

苦しまずに逝った母は、周りに亡くなった寂しさより、いつも皆が集まり一緒にご飯食べたりしているとしか感じさせない。

母の思い出話が出てこない。

一緒に会話の中の一人としているのです。

 

母の部屋を片付けることになり、叔母たちに必要なものを持って行ってもらった。新しい洋服も沢山ありすぎる。毎年新しい洋服を要求した母。周りの誰より新しいもの、珍しいものや、素敵なものを欲しがった。

母が生きていたうちは、父の遺品も見たこともなかったが、大方母が整理していて、残されたものを私と妹が分け合うことにした。

戦争中、熱帯の密林を持って父と共に駆け巡った水筒は、孫である私の息子に渡す事になった。

母の遺品整理で、父の人生を再確認することになった。

 

母は幼い頃からの苦労話をするのが、年取ってからの口癖だったが、私にはそれが苦痛だった。

一人でいる時間が多くなると、自分の人生を振り返り、話したくなったのだろうに、聞いて頷いてあげる時間が無さ過ぎた。

 

私が母さんの年に近づき、それからようやく母さんの気持ちがわかるのでしょうね。

 


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