忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

虎の穴の掟

2020年12月04日 | 忘憂之物


キモサベ、といえば「信頼できる相棒」くらいの意味になる。このフレーズが信用に足るのは言ったのが外国の報道官ではなく、トントというインディアンだったから。彼はテキサスレンジャーの生き残り、白人の「ローンレンジャー」を相手にこれを言った。信用ならない白人の中で、お前は特別に信頼してもよい、という意味が物語の展開を生む。

トントは「インディアン、ウソつかない」も言ったが、この前部には「白人はウソをつくけど」が置かれる。これはホントではあるが、ウソにもいろいろあって、先ず、最も特徴的なこととして、一応、嘘を恥じる概念があるかどうか、で分類される。

例えばアメリカは「建前」を重んじる概念がある。日本兵の頭上を飛び越えて、女子供しかいない市街地を卑怯千万、無差別爆撃しておいて「軍需工場を狙った」とか真顔でやる。単なる復讐心と旧ソ連への威嚇、人体実験とやってみたいという衝動だけで人口密集地に原爆を落として「戦争を早く終わらせるためだった」とか平然と言う。オバマは広島の式典で被爆者の肩を抱いて「核なき世界」を言ったが、人類史上、かなりの上位に入る偽善的建前がアレだ。

戦後の経済競争でもそう。アメリカの人気ドラマでカリフォルニアの白バイ警察が「カワサキ」を乗り始める頃を境にシェアが20%にまで落ちたハーレー社は、80年代に入ると国際貿易委員会に救済措置を申請、米通商法201条に基づくセーフガード発動ということで、当時のレーガンはこれを承認した。これで日本製の輸入バイクは5年間、関税率45%の引き上げを食らう。ホンダやカワサキが文句を言うと「自国の産業を守ってなにが悪い」。

もちろん、自動車でもやった。80年代の「ジャパンパッシング」はまだ記憶に新しい。あのときビッグスリーもアメリカンモーターズも「日本は失業を輸出している」と怒って日本車の関税を20%まで引き上げろ、とやった。当時は既に日本車のシェアが2割以上、米国産自動車のシェアを喰っていた。思い出し笑いを禁じ得ないが、あのころ、米国の自動車会社は全部赤字になった。そりゃハンマーで日本車も破壊する。日本は本当にイやな国だった。

しかし、あのときはさすがに恥ずかしかったのか申請は却下されている。貿易委員会からバイクやっただろ、それに売れないのは日本だけの所為じゃないだろ、と言われたわけだが、アメリカの政権も団体も今と同じく、根回しもすれば脅しもする。だから当時の日本政府は国産自動車の輸出における台数規制を「自主的」に行う。関税下げるにも既にゼロだし、そもそもアメリカと外交問題など対応できるはずもない。一応、やられたほうの建前としては「自由貿易主義を守るための臨時的措置」になる。すごい役人臭がする。

つまり、べつにアメリカファーストはトランプの専売ではない。トランプも少し前、メキシコで作った日本車は高い関税をかけてやる、と言っていた。安倍さんが工場はアメリカ国内でしょう、たくさん雇用もしてるよ、メキシコはアウディとマツダが少しじゃないの、と諫めてゴルフしてたが、やりかたはともかく、政治家の自国ファーストは当たり前だ。そうでない場合、その国の国民は困ることになっている。

「240年以上の民主主義の先輩」であろうが「タフガイが好きでアンフェアは許さない国民性」であろうが、アメリカはウソもつくし、白々しく「ルールの変更」を手前勝手にする。それを「卑怯なり」という日本人の民度には安心するし、心底から尊敬に値はするが、現実問題として「嘘でもなんでも利用して交渉事を有利に運ぶ」というのは政治的外交における通常行為ですらある。安モン候補者のスローガンのような、クリーンです、透明性です、説明責任です、座右の銘はモリカケサクラです、みたいな阿呆に「外交」させるのはそれほど恐ろしいわけだ。あの「トラストミー」がどれほど「ルーピー」だったのかは思い出すまでもないが、あの悲惨だった3年と少しからは大いに学ぶべきだ。

しかしながら、やはり「ツケ」は払わされる。力任せで安易な「その場しのぎ」はいつまでも通じないのだろう。もちろん、日本も他人事ではなく、嘘や誤魔化しではないかもしれないが、安易に「その場しのぎ」でやり過ごしてきた「ツケ」は溜まっている。

いま、世界最大の民主主義国家が「ツケ」を払わされている。世界には建前的な嘘すら用いないレベルの「国」がある。「ルールの変更」ではなく、ルール自体が通じない。

それに共通の価値観が危うい。余所の国から子供さらってはいけないとか、人間の内臓を切り取って売ったらダメとか、余所の国の領土領海で居直って勝手しないとか、国際条約は守らないと相手にされないとか。

ちなみに、奴隷労働させない、は日本の民主主義「240年先輩」の国でも60万人死んだ内戦のあと「ダメなんじゃないか」と気づいた。「民主主義の後輩」である日本が東京五輪の1964年には水飲み場やトイレ、学校やバスの中とか、白いか黒いかで分けるのもどうか、としてジム・クロウ法を廃止にしたりしたが、いま、まだやっている国がある。

今現在「大統領選挙」という民主主義の象徴がソフトもハードも侵食されている。

いわゆる「保守派」と呼ばれる人らは、ずいぶん前から「これを恐れていた」のではなかったか。

いま、眼前に浮き彫りになる事実をして「明日は我が身」を想像するに難くないはずだ。

もはや「陰謀論」では済まぬ物量の証言、映像、情報だ。慌てて騒ぐ連中をして「虚偽情報に踊らされず冷静に」とか、朝日新聞みたいなことを言うのもいる。慌てて騒ぐのもいるだろうが、そうではない人らもいるのに、なにを「慌てて」いるのかしらないが、これをおかしいと思う、なにかあると考えることは、さほど「おかしいこと」でもないと思われる。もちろん、情報とは元来、玉石混合が普通だから、それらを希望的観測ではなく、公平な視点から吟味することは至極全うかと思う。つまるところ、多くの冷静沈着で優秀な愛国者は、その上でこれはもう、なんかされていると言っている。

また、アメリカから発信される「情報」とは怪しげな活動家からではないことも周知である。日本国内での発信者も「識者」と呼んで差し支えない人物が少なくない。「アメリカ国民の判断を、アメリカの民主主義を信じる」という希望的観測もよろしいが、中国共産党をはじめとする「ルール無用の悪党」はいると知っているはずだ。「虎」関連のとこに縁あるんだから。

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