忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

未成年は「金」の使用禁止

2009年12月31日 | 過去記事
私の好きな作家さんで「曽野綾子」という人がいる。あるとき、曽野さんと娘さんが歩行者天国を歩いていたら、道端で高知県のイベントをやっていた。そこでは「高知県特産トマト」を配っていたらしい。娘さんがひとつもらったという。そして、もし、その娘さんが「おかあさん、なんか、得しちゃったね♪」と言えば、横っ面を張り倒して叱り飛ばす必要があったと、著書「本物の大人になるヒント」に書いていた。私は非常に共感した。

曽野綾子さんは、娘さんが「トマト」を無料でもらった理由が「高知県に夏が来たね♪」という以外認めないと書く。たかが「トマト1個」の話であるも、そこに「得した」とか「損した」という概念の混在を許してはならないと書いている。私は、それを親として、大人としての覚悟の話だと思う。こういうことができなくなったから、日本は少しずつ「みっともなくて、いじましい大人」が蔓延り、恥の概念も覚悟の理念もなくなってしまったのだろう。余所の国は知らないが、コレ、日本という国においては非常に大切な話である。

http://mainichi.jp/select/today/news/20091230k0000m040035000c.html?link_id=RSH04
<山口組:一般の子どもたちに「お年玉」 神戸の総本部>

阪神淡路大震災のとき、山口組の組員が「炊き出し」を行って、地域住民の方々に感謝されたという話は有名だ。外国人からすれば、信じられない光景だったという。しかし、まあ、こういう光景こそ、まさに「日本が最も日本らしい」光景と言ってよい。外国人は、なぜ、この治安崩壊の好機に略奪したり、暴力によって手に入れた食材などを高値で売ったりして暴利を得ないのかと、暴力団とは普段、そういうことをしているのに、なぜゆえに、そのような善行を行う必要があるのかと、ほわい?となったわけである。

また、中越沖地震の際も、近隣の食品スーパーなどが協力して、2000円くらいの食品などを詰め込んで400円で売りさばいた。無論、売れば売るほど1600円×個数+人件費+袋代は損である。それでも「それが人の道」だとしてやる。どこかの白人国家は「3カ月だけ略奪してもよい」とか「略奪の量はひとりこれだけ」などとルールを敷くらしいし、北のほうの白人国家なんかも「レイプ」を褒美として「許可する」という酒臭い国もある。おそらく、中にはケダモノが入っているのだろう。日本人には理解しがたい感覚だ。

しかしながら、日本人もこれは良くない。

<捜査関係者らによると、現金はぽち袋に入っており、最高で3万円入っていたという。袋は2種類で「つかさ」または「たかやま」と書かれており、篠田組長と高山清司・同組若頭の名義とみられる。お菓子やおもちゃとともに配られたが、何人に渡したかは不明>

こんな民主党みたいなことをしてはいけない。こんな民主党に「いかれた連中」のようなことをしてはいけない。いけないのだが、これに1200人も「得したい」と走っていったらしい。何とも情けない話だ。これを「不景気」の所為にするならもう死んだほうがいい。


まあ、よく「悪人の言い訳」で「(金は)汚く稼いで綺麗に使え」というのがあるが、まさにそれを「そのまま」やっただけの話だ。ま、いずれにしても、震災などの非常時でもなく、他人に、それもヤクザから銭をもらおうなどという一般庶民は、ヤクザよりも下等な生き物である。それこそ、それが10万円ならば、政党名が「反日売国党」という政党であっても「金くれるし♪」とかで投票するのだろう。「でも、愛国心あるし」と難色を示すならば20万円でどうだ?30万円では?100万円ではどうだ?む?よし1億円ならば?


ま、

金額の多寡ではなく、要するに「金で魂を売れる」という本質こそ問題なのである。例えば、仕事がなくて腹が減ったと隣の家を頼ってみよ。一家揃って、朝飯、昼飯、晩飯と訪問して食わせてもらってみよ。この豊かな時代であっても、すぐに追い出されるはずだ。それは、その家が困窮しているからではなく、その行為が「非常識」であり、自分の喰いぶちは自分で稼ぐというのがこの国のルールだからである。「できない」には理由がいる。それも正当な、致し方ない理由だ。それが「ある」と認識された者には、誰かが手を差し伸べてくれるだろう。そういう「出来た人」が日本には多いだけの話だ。だから、地域が困ったらヤクザでも一肌脱ぐ。


組事務所に「お年玉狙い」」で走って行った中学生もいたという。親はその3万円で子供を組員にしても良いのだろうか。顔見知りになり、甘く魅力的な言葉で迫るのがヤクザの常套手段である。ライオンがシマウマを狩るとき、確実に走って喰らいつける距離まで無関心を装ったりするのと同じだ。山にライフルを持ってイノシシを狩るとき、バカボンのお巡りさんのごとく、ライフルを乱射しながら威嚇して山に入る人がいないように、ギリギリまで殺意は隠しておくに限る。下手をすれば、その中学生は組員に相談に行ったりもするかもしれない。3万円を手渡す時、満面の笑みを浮かべ、頭を掻きながら「ヤクザも結構、大変でな♪」なんて言われて、「ま、こんな俺でよかったら、いつでも相談に来いよ♪」とか言われている可能性がある。多感期、なにもなくとも不安定な思春期、そんな「頼れる兄貴」がいれば、誰でも魅力的に感じるだろう。普段、だらしなくもフラフラしている大人が「ヤクザと付き合うな!」と言っても、その中学生はドラマの主人公のごとく、「中身で判断しなきゃダメだ!」と臭いセリフを吐くのが目に浮かぶ。

もしかすると、定期的に「小遣い」をくれるかもしれん。「オレも餓鬼の頃、おまえみたいだったよ♪」とか言って1万円札をくれるかもしれん。そして、それは言うまでもなく「餌」であり、相手は数百倍の利益を見込んでいるはずだ。そうじゃなかったら、そんなヘッポコ、ヤクザにもなれない。ただの阿呆だ。

また、ならば「それを防ぐ手段」として「3万円ごときもらいに走る必要のないほどの小遣いを渡す」というのも通じないと知れている。これも同じく、金額の多寡ではないからだ。金という道具は往々にして、その「量」で便利さが決まる傾向がある。道具としての可能性を発揮するには「量」がモノを言う場合も多々ある。だから、ついつい騙される。


「必要のないもの」は、どこまでいっても「不必要」なのである。


先ず、当たり前の話だが、餓鬼に金はいらん。もう18歳未満使用禁止でもいいくらいだ。警察官に呼び止められて「おい!おまえ、ポケットの中みせてみろ!やっぱり!なんだこれは!金じゃないか!」という法律を作れ。そして、だ。

例えば、パソコンは便利な道具だ。今もそれを使って、これを書いている。しかし、これが100台あったらどうするのか。間違いなく邪魔なだけだ(笑)。売るほかあるまい。もしくは100人雇ってなんかするかだ。つまり、必要には理由があるのだ。


そして、金という道具は必要性が不明瞭なのに、たくさんあっても困らないと錯覚しているのだ。よく「金はいくらあっても邪魔にならん」というが、あれは嘘だ。所詮は道具であるから、不必要にあっても困るのは同じなのだ。それを使ったりせねばならないという「仕事」が増えるだけだ。パソコンが100台あったとしても、売れなければどうするかといえば、倉庫に保管するしかあるまい。それか捨てるかだ。それを電機屋では「デッドストック」と呼ぶ。売れなければ不良在庫に過ぎん。すなわち「損害を被る」のである。

たしかに「金」は古くなっても使える。日本国がある限り、北朝鮮のように、ある日突然にデノミとかされない限り、その使用価値は変わらない。だから「金庫」とか「銀行」に預けていれば、いつまでも劣化せず、いつまでもそこにある。これに騙される。

例えば、今、喰っている目の前のコロッケが増える。それが「一杯のかけそば」のように3人いて1個しかないなら、2個増えればうれしいのはわかる。また、その2個分をどうやって増やすか?にこそ意義はあろう。しかし、ふざけた例えだが、これが100個になれば当然に困るのである。喰い切れないし腐る。そんな都合よくコロ助もいない。家族3人、なんとか詰め込んで、あれほど「コロッケが大好きなんだ、おなかいっぱい食べたいなぁ」と抜かしていた長男が「もう、コロッケなんか見たくない」と言い出して残ったコロッケ85個。そして、仕方がない。これを捨てよう。年末だし、コロッケは売れないとしよう。

さて、この家族3人の「こころ」を察するとき、次のうち、最も多幸感のあるのはどれか。

1:3人でひとつのコロッケを分けて食べた。
2:店のおじさんが、なぜだか「でかいコロッケ」を出してきた。2個分はあった。
3:100個に増えたコロッケを無理して食べたが、残りの85個を捨てた。




「足るを知る」―――――

不必要な金が金庫に詰まったら、今度はこれをなくさないよう、減らさないよう、願わくば増やそうと奔走することになる。道具に使い方があるように、しかも、金とは「量」で使い道が変わるという特殊な道具である。目的もなく大量にある、もしくは必要なのに無いという状態は同じか、もしかすると「ある」ほうが難儀だったりする。

金のために嘘をつく。金のために時間を使う。―――金のために誇りを売る。


俗説だが、西太后は一回の食費が150万円ほどだったと言われる。贅の極みを尽くしたモノ喰ってたんだろう。んで、問いたい。コレ、うらやましいか?

嫁さんが愛情コメコメ、一所懸命に作ってくれた晩メシと比してどうか?150万円ではなく、もしかすると150円かもしれないが、私はこちらを選ぶのが正常だと思う。山のようなコシヒカリの炊きたてがあっても、どうせ喰えるのは茶碗に5杯程度。残りは悪くなって不味くなるのだと知れば、周囲のカネカネキンコが、どれほど哀れで阿呆なのかが少し見えてくる。政治家が巨大な倉庫を借りて「やかん」を貯め込んでいる。そして、それをみて満足そうに「くっ・・・くくく・・・」と笑っていれば病院だろう。もしくは金物店に強盗が入り「やかん」が10個盗まれたら笑うだろう。どんだけ湯を沸かすのかとw

砂漠を歩いて死にかけた人が、ダイヤモンドよりも水を選ぶのと同じく、モノには優先順位があり、必要な理由があり、それは変わるということだ。その観点からして、中学生が3万円欲しさにヤクザの事務所に駆けつけるという行為は異常が過ぎると言いたいのである。また、その同じ観点からして、やはり、今年の最後これはおかしいと言っておく。

http://www.asahi.com/special/08016/TKY200912280454.html
<都の派遣村に300人 27歳男性「ベッド半年ぶり」>

テレビでもやっている。失業者の兄ちゃんは、これで雨風凌げると言いながら、しっかり文句も言っていた。「もっと早く対応してほしい」とか「対策が中途半端」などと抜かしている。こんなの布団引っぺがして、この寒空の中に放り出してしまえばいいのだが、心優しい派遣村の人たちはそんなことしない。猪木も醤油ラーメンが2千杯なくなったと言っていた。なんとも2000である。食べて並んで、並んで食べる。すごい食欲だなぁ、おい。

しかし、こんなときこそ「闘魂注入」ではないのか。「元気ですか―!」とやっていたが、それこそ「元気があればなんでもできる」のではなかったか。高そうなスーツ着て「コショウはどうしますか?いれますか?」とやっていたが、そんなもん、だー!!と入れてやれ!!「おいしいですか?」ではない。この寒空の下、醤油ラーメン喰ったら、失業者でもホームレスでも社長さんでもウマイに知れているだろう。このやろー!!

<生活総合相談は、年末年始対策として、来月4日まで宿泊場所と食事を無償提供する。就労や住まいなどの相談活動は29日~来月3日に行われる>

素朴な疑問。5日からはどうするんだ、このやろー!!

こんなことするから、安易に浮浪者になる阿呆が減らない。日本人にとって「大勢いる」とは安心のことだ。もちろん、私も鬼ではない。救済は必要だ。国でも地域でも、それは仕事の範疇だと思う。税金使ってもいい。しかし、だ。

本当の救済とはこういうことを言うのである。

http://sankei.jp.msn.com/life/trend/091231/trd0912310040000-n1.htm
<「寝袋、いりませんか」野宿者に配り続ける男がいる>

一昨日、久しぶりに阿倍野で飲んだ。約束の時間は6時頃だったのだが、例によって、私はまた3時頃には「アベチカ」の中の立ち飲み屋からスタートしていた。めっちゃウマいホルモン焼き屋も見つけた。本を読みながら、立ち飲み屋をウロウロするのは私の趣味だ。

地上に出てみると、リアカーを引いたおじさんがいた。もう、顔なんかどうなってるのかわからないほど汚れている。服も靴も、もう、脱いで置けば即ゴミ箱行きだww

妙な言い方だが、ちゃんとホームレスをしている。炊き出しがあれば「喰うため」だけに来るだろう。国の施設なんぞに用はない。でも、くれるんだったらもらいに行くという感じか。でも、管理されたり、仕事を斡旋されたりは御免だということだ。それが出来るくらいなら、こんなところでリアカー引いてないだろう。

コンビニの前ではホームレス同士で談笑していた。二人並んでカップラーメンを喰っていた。ちゃんとコミュニティがあるのだ。たぶん、ルールもあろう。そして、彼らに必要なのは金でもなく、ましてや仕事でもなく、もっとダイレクトなもの、それが例えば寝袋だったりする。「探してもないモノ」と「探していないモノ」を峻別せねばならん。


<「寝袋、いりませんか」クリスマスの夜、大阪市天王寺区の路上。石黒さんは仲間3人とともに、段ボールで作った寝床で毛布にくるまる野宿者に声をかける。「おおきに」「助かったわ」…。笑顔と一緒に感謝の言葉が返ってきた>

これは「いる」のである。理由は「外で寝るから」だ。凍死する気温になるからである。私も寝袋で寝た経験がある。ま、キャンプみたいなもんだったから遊びだが、それでも寝袋は暖かいし寝れると知っている。我が家にも「非常用の寝袋」がある。妻用である。寒がりさんだから、地震とかあったら寝袋に放り込む必要があるのだ。

「欲しいモノ」をくれるから「おおきに」「助かったわ」という言葉が出る。なぜ電気毛布をくれないのかとは言わない。なぜもっと早くくれなかったのかとも言わない。文句が出るときとはどういうときか。それは、


「もらって当然」だからである。


だから、もっと早くよこせと、もっとちゃんとよこせと言うのである。先ほどのリアカーおじさんのように、いったい、何年間着替えてないのかと不思議に思うほど汚れもしないで、どころか下着の替えまで税金で用意してもらっておいて文句を垂れるのである。こんなのホームレスすら務まらないのである。



この寝袋を配る「石黒大圓」さんという人はいいこと言う。

<「寝袋を受け取ると恋人のように抱きかかえ、泣き出す人もいる。決して同情や人権問題として取り組んでいるのではない。野宿者にも自己責任はある。ただ、目の前で凍え死ぬかもしれない人を放っておけない」>

これは、あの「赤ちゃんポスト」と同じ理屈である。本音は「仕方がない」であり、「命は救わねばならん」という倫理観の話である。ただ、目の前の「いのち」を救うことに関してだけは「理由があってはならない」のである。見て見ぬふりをしてはいけない部分、人として、親として、社会人として、放っておくわけにはいかない「だけ」でなければならんのだ。んで、このしゃっちょさん、ホンマに素晴らしい。講演会でもしたい。


<「妻子の命を救えなかった分、恵まれない境遇の彼らを救おうと思い立った。こんな豊かな国で路上で死なせることは、大阪、日本の恥だと思って。私にとっては、背中に日の丸を背負った活動でもある」>


なんと、公共心である。年越し派遣村に対する違和感、何か違うと感ずる異質感とは、実は公共心であったのだ。このしゃっちょさんのコメントは見事にそれを喝破している。


そうなのだ。その通りだった。

台湾にはホームレスがいない。その理由は「家族が放っておかないから」である。ここ、重要だ。それが日本では「国が放っているから」となる。ここが根本的におかしいのだ。


ホームレスの資格は天涯孤独に限る。もしくは疎遠が過ぎて、他人同然、あんただれ?というレベルでなければならない。その基準は「道端で凍死したと聞いてもメシが喰えるほどの他人」である。国は派遣村の連中の実家を調べて家族に送り返せ。それが「国が出来ること」であり「国がすべきこと」なのだ。家族が迎えに来る、もしくは旅費が送られてくるまでは「寝袋」を進呈しよう。炊き出しもしてやろう。寝る袋とメシくらい税金で用意してやればいい。それこそ、石黒さんの言うとおり、道端で死なれたら「日本の恥」である。「死なない程度」のフォローは人権ではなく、人道的に必要だし、それは国がすべきこと、すなわち税で賄う範疇だと自明である。日本人なら、誰も文句は言うまい。


それよりも、ヤクザに小遣いを求める中学生をなんとかせねばならない。こんなもん、いずれは犯罪者になるか、派遣村の新しい住人になろう。叩き直さねばならない。

また、曽野綾子さんは同著の中で「人は自ら損を選んだときにこそ魂が輝く」と書いている。そしてそれは「人間だけに限られる」とも書いている。「自分の持っているモノ」をすり減らして何をするのか。何人、助けられるのか。いや、そのために何を差し出せるのかを、己に問うことかもしれない。少なくとも、「日本の国は弱者救済が出来ていない」と文句を垂れることではない。国に対して「やれ」というだけのことではない。

4 コメント

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やっぱりw (久代千代太郎)
2010-01-08 09:28:38
>ねこママ さん

司忍からも「地域密着」の指示はあったようですね。私は前職の絡みで公安の人とも話す機会があったんですが、この人、海千山千のベテランが「化け物」と称するほどのヤクザだとか。


ヤクザは「利用する人がいるから」成り立っちゃうんですね。要するに「人の心の弱さ」をベースにした商売かと思います。相手よりも優位に立とう、相手よりも強くありたい、でも、自分の力だけでは・・・ちょっと・・という人の需要があるんでしょう。

・・ということは、なくならないですねww

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Unknown (ねこママ)
2010-01-07 04:25:19
実家が山口組の直ぐ近くあり、妹が言うには餅つきに来てるのはヤーコ絡みの親族や友達などが多いらしいです。やはり横つながり?

組長の嫁が地元婦人会の会長か何か地域交流の為かでやってるらしいです。なんだかなぁ…です。
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Unknown (久代千代太郎)
2010-01-01 19:31:02
>な さん

お世話になりました!

今年もよろしくです!
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良いお年をお迎え下さい ()
2009-12-31 22:11:18
何だかナーなお年玉話しですね
西大后の食費が150万ですか。某サイトでは汚沢の1日の警備費が150万だそうです。
組との選挙協力の話しも以前からありましたね
本当に秋から、何だかナーな一年になってしまいました。

ところで、う〇この夢は便器から溢れて体が汚れるのが最高だそうですよ
来年は明るい一年ならいいですね


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