■2008/09/19 (金) ガチコメ的「なぞなぞ」1
スーパーで店長をしていた時代。妻は休日を利用して部屋の掃除をしに来てくれた。私は仕事でいないことのほうが多かったのだが、「合鍵」を渡してあったので、妻は自由に出入りできたわけだ。一通り掃除をしてくれ、手作りの弁当と置手紙を残してくれる。
深夜、誰もいない部屋に戻ると、それがとてもありがたい。「わけのわからないキャラクター」がたくさん描かれている「手紙」を何度も何度も読んだ。「おかえりなさい」とか「無理しないでね」という「暖色系」の言葉で元気をもらい、「ストーリー不明」な漫画で謎を残す。ときには、そのまま「なぞなぞ」が書いてあることもあった。
もんだい:
「黄色いほわほわしたもので、目に見えないもので、この部屋に2こあるのはなぁんだ?」
とある学者は、新幹線に同席した記者の「後頭部に敷かれているモノ」はなんだろうと、大阪から東京までの2時間半、考え込んでいたという。でも、どうしてもわからない。学者は敗北を感じながらも好奇心には勝てず、ついに記者に問うことになる。自分は「2時間半」考えたがわからない。たのむから教えてくれと・・・
「まくらですよ。座って寝るためのね、ところで、そんなこと、すぐに聞いてくださいよ」
と軽く受け流す記者に対し、その学者はこう答えたという。
「考えることが僕の意味なんだ。答えは重要じゃない。頭がある限り、人間は考えることが先に来なきゃいけない。聞けばすぐに理解できる。でも、それじゃ意味がないんだ。」
もんだい:
「黄色いほわほわしたもので、目に見えないもので、この部屋に2こあるのはなぁんだ?」
き、聞いちゃダメだ。これは「考えないと」ダメなんだ・・・。
し、しかし・・・
なんと難解な・・・しかも、「部屋に2個」現存するだと・・・?
私は「黄色いもの」を探す。しかも「ほわほわ」しているらしい。先ず、目視で確認できる範囲にそれはない。となると、何かの比喩だな、「黄色いイメージ」だ、それとも「映画」か・・・「思い出」・・・?ふたりしかわからないこと・・・黄色・・・
「2」へ
■2008/09/19 (金) ガチコメ的「なぞなぞ」2
・・・!!ちょっとマテ、この「なぞなぞ」には思いっきり「目に見えないモノ」と書いてあるじゃないか。にもかかわらず、目視で探そうとした私は、なんと固定観念に捉われているのか・・目を閉じて、見えるモノを探せということだな・・・私のカチカチになった思考を解そうとしてくれているのだろう・・・
「目に見えないモノ」で「黄色でほわほわ」とはいったい・・・
・・・この日記を読み終えるまでに、読者諸賢も考えてみてくれ。(答えは最後に!)
-
ところで妻は、現在でも会社の部屋を「たまに」だが掃除しに来てくれる。贅沢は言えない。妻も働いているのだ。「家事」に不備があればともかく、「会社の部屋」まで掃除してくれることを感謝せねばならん。しかし、そのときに困るのが、だ。
妻からのメール:「おとしゃんの宝物発見。捨てるで。(怒った顔の絵文字)」
そうなのだ。つまり、その、アレだ、
エッチなDVDを捨てられる
わけだ。いや、誤解しないでいただきたい。コレクターではない。我が社の店長はいろいろなアレだが、私はごく普通の、しかも「熟女シリーズ」である。いいじゃないか!捨てることないぢゃないか!!また買うか、もらうからいいがな。ふん。
しかも、テーブルの下あたりにほこりまみれになっていたはずだ。よく見つけたな。もう、久しく見ていなかったから懐かしいわい。捨てる前に後もう一度だけ見せて欲しいという今日この頃、最近は「エロ本」が新鮮な、男一匹パルテノン。久代千代太郎です。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/071006/crm0710061125010-n1.htm
<【法廷から】ひどすぎるAV撮影>
いろんな「見方」があると思われる。もちろん、男女平等フェミニスト、平和呆け人権屋は今こそ「女性の人権」を高らかに挙げ、「AV業界」を糾弾せねばならないはずだが、なぁんにも聞こえてこないのは、私の気の所為なんだろう。
「3」へ
■2008/09/19 (金) ガチコメ的「なぞなぞ」3
私の「見方」はここ。ここに集約される。
<論告で耳に入ってくる言葉の多くは、「女優は売春婦なんだから何してもいいんだよ」という被告の供述に裏付けられた、女性の人格を無視した行為の実態だった。>
「AV」とはいえ、「表現」を創るのが監督業であるはずだが、このエロ監督は所詮が「エロ&カネ&カネ」しか頭にないようだ。「売春婦のような」という隠喩でAV女優を語るならまだしも、そのままだったら阿呆でも言える。こんなエロ阿呆が撮影した「グロい」映像がシリーズ化されて売れているなら、もう、世も末だ。世紀末だ。ケンシロウだ。
<女優は売春婦なんだから何してもいいんだよ>
この品性下劣さはどうだ。こんなんが「エロチズム」であるというなら、倫理観のある人間はみな去勢したほうがいい。畜生道にも劣る獣の理屈である。
「演じている」という前提がなくなれば、そんなものは「犯罪行為の録画」に過ぎない。ジャッキー・チェンは香港の警察にはいないし、菅原文太はヤクザでもないし、ウィル・スミスは空を飛んでいないし、ミラ・ジョヴォヴィッチはゾンビと闘うどころか、結婚して子供を産んだ。みんな「演じている」だけだ。つまり、このエロ畜生は「監督」などではなく、「集団レイプ」を映像として撮影した変態であるに過ぎないわけだ。倫理観が欠片でもあったら自殺でもするのだろうが、こいつのように「心が腐っている」と、
<この日、検察官は「被告は首謀者であるにもかかわらず反省の態度が見られないばかりか、経済的利益の追求や売名効果をももくろむという犯行動機は、自己中心的で身勝手。到底、酌量の余地はない」として、懲役20年を求刑した。が、被告は薄ら笑いを浮かべていた。検察官の言うように反省の態度は見られなかった。>
というようなことになる。法の抜け目を探し、女を金儲けの道具として扱い、変態に売って金を稼ぐしか頭にない。このような「チンケな変態チンピラ」に凌辱された女優さんには、一日も早く忘れて欲しいと思う。「変態にでも噛まれた」と思って忘れて欲しい。周囲の人は愛情を持って包んであげて欲しいものだ。家族や友人、恋人もいるだろう。
「4」へ
■2008/09/19 (金) ガチコメ的「なぞなぞ」4
また、未だ「レンタルビデオ屋」でアダルトを借りることができない私だが、「ちゃんとした」アダルトビデオの女優さんや、例えば「性風俗」で働くお姉さんはすごいと思っている。「必要悪」というジャンルを引き受けるには、覚悟と誇りが欠かせない。
ちゃんとしたプロも確実にいるのだ。決して大っぴらにできないかもしれないが、ちゃんと仕事してたっぷり稼いでいるプロは存在する。私も「風俗営業」で喰っている者であるから、とくに敬意を表したいと思うし、こういうエロ畜生には消えてもらいたい。
-
「職業に貴賤はない」というのは建前である。あって当然なのである。しかし、だからどうだという話ではなく、それは「本音」として認識しておかねばならないことだ。あくまでも「あっても仕方ない」という覚悟はしておくべきであり、「そのくらいなんだ?」という許容範囲の広さを身につけねば、こんな商売身が持たんわけだ。
例えば、私は職業を問われると「アミューズメント関連」などという誤魔化しはしない。「パチンコ屋です」で仕舞いである。私の「その人」を見るときの「リトマス試験紙」如く、そこに偏見や蔑視を見抜く時がある。しかし、ただ、それだけなのだ。
「パチンコ屋」=「北朝鮮・総連・脱税・北朝鮮への送金・犯罪の温床・サラ金の畑」
こんなもんか?
あとは「依存症患者・駐車場の事故・非合法賭博・パチンコ族議員」とかがあろう。
最近ではよく「韓国でも禁止されている。なのに日本では禁止しないのはいかがなものか?」というのもある。日本人を堕落させる「悪徳商法」もしくは「詐欺まがいの賭博行為」であると断ずる者もいる。もちろん、嫌韓厨と呼ばれる「ネット右翼(笑)」からも、その不人気は絶大である。事実、私のところにも、
・パチンコ屋しながら、なにが拉致被害者を返せだ?ふざけるな。
・朝鮮玉入れ屋の朝鮮人が日本を語るな。
などというメールが来ていた。(最近来ない・・・)
「5」へ
■2008/09/19 (金) ガチコメ的「なぞなぞ」5
はっきり言って無知なだけだ。そういう偏見が「悪意を持った特定亜細亜」に利用されると、もう、いい加減に知ってほしい。何度でも書くが、
パチンコは日本の娯楽産業である。
1910年の韓国併合より前からある。樺太にもあった。思いっきり「パチンコ」と書いた看板が南樺太に存在していた。雪をかぶった「パチンコ屋」の写真もある。
それが、ここまで巨大産業となったのは戦後である。1948年、正村竹一という日本人が「正村ゲージ」を完成させる。現在でも使われている「あのゲージ(釘のパターン)」だ。戦後の復興において、正村竹一が懸念していたのは「庶民の活力」であった。負けた戦争に、ボロボロの生活、「食べるためだけ」に生きる辛さを案じていたわけだ。そこで「娯楽」、それも大衆が楽しめる「娯楽」が必要であると、なんと、特許申請をしなかったのだ。
これこそが日本人の公共心だろうが。
もし、正村竹一が「正村ゲージ」を特許申請し、後続のメーカーから63年経った今でも「特許使用料」を取っていたら、サミーも三洋も敵わない「超巨大メーカー」として君臨していたはずだ。すべての「パチンコメーカー」は「新たなゲージ」を開発するか、使用料を支払って「正村ゲージ」を使った遊技機を開発するしかない。現在、どこのホールでも「海物語」ではなく「マジカルチェイサー」が島を占領しているはずだ(笑)。
で、「北朝鮮がらみ」の件だが、これも「そういう企業はある」というだけだ。ならば、医療関係であれ、不動産関連であれ、政治家であれ、総連べったりの「百害あって利権あり」は腐るほどあろう。それらの「隠れ蓑」として「パチンコ屋だけ」をバッシングしているのだと、なぜに気付かんのか。細菌兵器の培養液ともなる点滴液を北朝鮮に持ち込んでいた企業もある。核兵器をつくるための、ミサイルをつくるための機械や部品を送り続けていた企業もある。「拉致工作員」の釈放願いに署名していた日本の政治家も止めていない。しかも、その工作員どもは日本国内の病院施設で訓練を受けたという話もある。
「6」へ
■2008/09/19 (金) ガチコメ的「なぞなぞ」6
それに、少なくとも、我が社は北朝鮮に送金していないわけだから、「パチンコ屋が拉致の問題を言うな!」と言われても困る。それでも私は、パチンコ屋であろうが、朝鮮人であろうが、なんであろうが、だ。拉致攻撃は憎むべき犯罪行為であり、日本国に住む者としては脅威であり、主権侵害であると言うだけだ。これからも、少ないながら援助もするし、微力ながらお手伝いもさせてもらう。そもそも、そんな詰まらん覚悟で「拉致被害者を返せ!」と言っているわけではないのだ。本気なのだ。
そして、最後に、
「韓国では禁止した!日本では放擲しているのに!!」
という阿呆にも言っておく。
韓国ではパチンコのことを「メダルチギ」と言う。「玉」ではなく「メダル」が出てくる。ちなみに「海物語」は「パダ・イヤギ」というらしい。あれだけ「反日教育」しているにもかかわらず、三共の「大ヤマト」も大人気だったらしい(笑)。反日が足らんぞ。
で、たしかに「禁止」された。全面禁止らしい。出店しようと企てていた日本の企業も、えらい目にあったそうな。残念でしたww
なぜか?
はっきり言う。
民度が低いからだ。
「負けた客」が店長を襲う。店にバキュームカーで乗り込んで糞尿を撒く。車で突っ込む。放火する。不正は恐ろしい勢いで蔓延る。強盗は増える。破産者、自殺者は急増する。
慌てて禁止したわけだ。「日本のように」儲かると思っていたわけだ。しかしながら、日本人のように「普通に来て、普通に負けて、普通に帰る」ようなことを韓国国民はできなかった。そして、私は韓国人の名誉のために言っておこう。
日本人が普通ではない
のだ。成熟した社会、熟成した民度を誇る「日本だから」可能であり、ここまでの巨大産業として成長したのである。韓国の民度が低いのではなく、日本人のモラルが高いのだ。
考えてもみよ。
全国に1万件ある「パチンコホール」には、およそ同数の景品交換所がある。コンビニと違い、中には十数万円ということはない。とはいえ、その中には重火器を具備した警備員がいるわけではないぞ?なんと、おばちゃんがひとりかふたりである。
「7」へ
■2008/09/19 (金) ガチコメ的「なぞなぞ」7
しかも、だ。屈強な防弾ガラスに囲まれているわけでもない。安モンのドアに鍵がふたつかみっつあるだけだ。蹴ったら開く(笑)。
つまり、「その気になれば襲うのは簡単」である。
で、
「景品所強盗」は年間に何件ある?
たしかに増加している。日本人の堕落と共に犯罪が増えるのは当たり前だ。そして、狙いやすいところが被害に遭うことも自明であろう。しかし、その程度だから「やっていける」わけだ。将来的には知らんがな。
そんな国が、日本以外のどこにあるのか。
外国人が日本にきて驚くのは「自動販売機」だそうだ。「現金の詰まった箱」に警備がついていないということが不思議らしい。日本では普通の光景であるが、外国の治安からすれば不思議なんだろう。なぜに「持って行かれないのか?」が不思議であろう。
しかし、それが民度であり、文化であり、国柄であるのだ。
だから「パチンコ屋」なんぞという「現金が飛び交う」娯楽場が1万件も営業で来ているわけだ。日本人はパチンコ産業を誇らねばならん。どこの国にも「カジノ」はある。博打場がある。マカオなんぞ「賭博税」が70%というではないか。
日本では公共で認められた「賭博」があり、そして「娯楽」としての「パチンコ」があった。つまり、段階的な「遊び~~博打」の範疇が広いわけだ。日本人相手でしか通じないのが「パチンコ」である。単純に「金をかける」だけの意味合いではなく、日頃のうさ晴らしに、おじいちゃんのボケ防止に、ちょっとしたお小遣いゲームに、地域のコミュニケーションに、そして、地域社会の活性化に、だ。
「8」へ
■2008/09/19 (金) ガチコメ的「なぞなぞ」8
その「活性化」の最たる効果は「雇用」であろう。以前から、いわゆる「ドル箱」を運ぶ必要のないシステムが提案されているが、まだまだ実用の可能性は低い。それはコストなどの問題ではなく、つまるところ「人が運ぶ必要がない」ということがネックとなっている。人件費というランニングコストの削減となる「システム導入」は歓迎されるべき、画期的なシステムであるはずなのに、顧客の抵抗感は強いという見方が圧倒的である。
それは言うまでもなく、「ふれあい」という店員と顧客とのスキンシップが重要視されているわけであり、マルハンであれ、ダイナムであれ、「接客」というジャンルを超えた「ふれあい」によるコミュニケーションは欠かせない要素なのである。つまるところ、「ただの博打」との差異が、そこには明確に存在するわけだ。
だから、私はパチンコ屋を辞めないのだ。面白いからというのもあるがな。
-
はい!いま、
「どうせ、給料が良いからでしょ?」
と思った貴様!!
残念。スーパー時代、25歳の私の賞与は150万円を超えていた。あのままなら今の収入も、なんとかなったかもしれない。まあ、人の職業を馬鹿にする前に、そんな下衆な理由しか思いつかない「ココロ」を恥じよう。
高給は魅力ではあるが、突き詰めれば「理由」に過ぎん。それよりも「面白いかどうか」であり、どうやら私は「何をやっても面白い」らしい。
それよりも、だ。
もんだい:
「黄色いほわほわしたもので、目に見えないもので、この部屋に2こあるのはなぁんだ?」
わかった人いる?
答えは――――――
スーパーで店長をしていた時代。妻は休日を利用して部屋の掃除をしに来てくれた。私は仕事でいないことのほうが多かったのだが、「合鍵」を渡してあったので、妻は自由に出入りできたわけだ。一通り掃除をしてくれ、手作りの弁当と置手紙を残してくれる。
深夜、誰もいない部屋に戻ると、それがとてもありがたい。「わけのわからないキャラクター」がたくさん描かれている「手紙」を何度も何度も読んだ。「おかえりなさい」とか「無理しないでね」という「暖色系」の言葉で元気をもらい、「ストーリー不明」な漫画で謎を残す。ときには、そのまま「なぞなぞ」が書いてあることもあった。
もんだい:
「黄色いほわほわしたもので、目に見えないもので、この部屋に2こあるのはなぁんだ?」
とある学者は、新幹線に同席した記者の「後頭部に敷かれているモノ」はなんだろうと、大阪から東京までの2時間半、考え込んでいたという。でも、どうしてもわからない。学者は敗北を感じながらも好奇心には勝てず、ついに記者に問うことになる。自分は「2時間半」考えたがわからない。たのむから教えてくれと・・・
「まくらですよ。座って寝るためのね、ところで、そんなこと、すぐに聞いてくださいよ」
と軽く受け流す記者に対し、その学者はこう答えたという。
「考えることが僕の意味なんだ。答えは重要じゃない。頭がある限り、人間は考えることが先に来なきゃいけない。聞けばすぐに理解できる。でも、それじゃ意味がないんだ。」
もんだい:
「黄色いほわほわしたもので、目に見えないもので、この部屋に2こあるのはなぁんだ?」
き、聞いちゃダメだ。これは「考えないと」ダメなんだ・・・。
し、しかし・・・
なんと難解な・・・しかも、「部屋に2個」現存するだと・・・?
私は「黄色いもの」を探す。しかも「ほわほわ」しているらしい。先ず、目視で確認できる範囲にそれはない。となると、何かの比喩だな、「黄色いイメージ」だ、それとも「映画」か・・・「思い出」・・・?ふたりしかわからないこと・・・黄色・・・
「2」へ
■2008/09/19 (金) ガチコメ的「なぞなぞ」2
・・・!!ちょっとマテ、この「なぞなぞ」には思いっきり「目に見えないモノ」と書いてあるじゃないか。にもかかわらず、目視で探そうとした私は、なんと固定観念に捉われているのか・・目を閉じて、見えるモノを探せということだな・・・私のカチカチになった思考を解そうとしてくれているのだろう・・・
「目に見えないモノ」で「黄色でほわほわ」とはいったい・・・
・・・この日記を読み終えるまでに、読者諸賢も考えてみてくれ。(答えは最後に!)
-
ところで妻は、現在でも会社の部屋を「たまに」だが掃除しに来てくれる。贅沢は言えない。妻も働いているのだ。「家事」に不備があればともかく、「会社の部屋」まで掃除してくれることを感謝せねばならん。しかし、そのときに困るのが、だ。
妻からのメール:「おとしゃんの宝物発見。捨てるで。(怒った顔の絵文字)」
そうなのだ。つまり、その、アレだ、
エッチなDVDを捨てられる
わけだ。いや、誤解しないでいただきたい。コレクターではない。我が社の店長はいろいろなアレだが、私はごく普通の、しかも「熟女シリーズ」である。いいじゃないか!捨てることないぢゃないか!!また買うか、もらうからいいがな。ふん。
しかも、テーブルの下あたりにほこりまみれになっていたはずだ。よく見つけたな。もう、久しく見ていなかったから懐かしいわい。捨てる前に後もう一度だけ見せて欲しいという今日この頃、最近は「エロ本」が新鮮な、男一匹パルテノン。久代千代太郎です。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/071006/crm0710061125010-n1.htm
<【法廷から】ひどすぎるAV撮影>
いろんな「見方」があると思われる。もちろん、男女平等フェミニスト、平和呆け人権屋は今こそ「女性の人権」を高らかに挙げ、「AV業界」を糾弾せねばならないはずだが、なぁんにも聞こえてこないのは、私の気の所為なんだろう。
「3」へ
■2008/09/19 (金) ガチコメ的「なぞなぞ」3
私の「見方」はここ。ここに集約される。
<論告で耳に入ってくる言葉の多くは、「女優は売春婦なんだから何してもいいんだよ」という被告の供述に裏付けられた、女性の人格を無視した行為の実態だった。>
「AV」とはいえ、「表現」を創るのが監督業であるはずだが、このエロ監督は所詮が「エロ&カネ&カネ」しか頭にないようだ。「売春婦のような」という隠喩でAV女優を語るならまだしも、そのままだったら阿呆でも言える。こんなエロ阿呆が撮影した「グロい」映像がシリーズ化されて売れているなら、もう、世も末だ。世紀末だ。ケンシロウだ。
<女優は売春婦なんだから何してもいいんだよ>
この品性下劣さはどうだ。こんなんが「エロチズム」であるというなら、倫理観のある人間はみな去勢したほうがいい。畜生道にも劣る獣の理屈である。
「演じている」という前提がなくなれば、そんなものは「犯罪行為の録画」に過ぎない。ジャッキー・チェンは香港の警察にはいないし、菅原文太はヤクザでもないし、ウィル・スミスは空を飛んでいないし、ミラ・ジョヴォヴィッチはゾンビと闘うどころか、結婚して子供を産んだ。みんな「演じている」だけだ。つまり、このエロ畜生は「監督」などではなく、「集団レイプ」を映像として撮影した変態であるに過ぎないわけだ。倫理観が欠片でもあったら自殺でもするのだろうが、こいつのように「心が腐っている」と、
<この日、検察官は「被告は首謀者であるにもかかわらず反省の態度が見られないばかりか、経済的利益の追求や売名効果をももくろむという犯行動機は、自己中心的で身勝手。到底、酌量の余地はない」として、懲役20年を求刑した。が、被告は薄ら笑いを浮かべていた。検察官の言うように反省の態度は見られなかった。>
というようなことになる。法の抜け目を探し、女を金儲けの道具として扱い、変態に売って金を稼ぐしか頭にない。このような「チンケな変態チンピラ」に凌辱された女優さんには、一日も早く忘れて欲しいと思う。「変態にでも噛まれた」と思って忘れて欲しい。周囲の人は愛情を持って包んであげて欲しいものだ。家族や友人、恋人もいるだろう。
「4」へ
■2008/09/19 (金) ガチコメ的「なぞなぞ」4
また、未だ「レンタルビデオ屋」でアダルトを借りることができない私だが、「ちゃんとした」アダルトビデオの女優さんや、例えば「性風俗」で働くお姉さんはすごいと思っている。「必要悪」というジャンルを引き受けるには、覚悟と誇りが欠かせない。
ちゃんとしたプロも確実にいるのだ。決して大っぴらにできないかもしれないが、ちゃんと仕事してたっぷり稼いでいるプロは存在する。私も「風俗営業」で喰っている者であるから、とくに敬意を表したいと思うし、こういうエロ畜生には消えてもらいたい。
-
「職業に貴賤はない」というのは建前である。あって当然なのである。しかし、だからどうだという話ではなく、それは「本音」として認識しておかねばならないことだ。あくまでも「あっても仕方ない」という覚悟はしておくべきであり、「そのくらいなんだ?」という許容範囲の広さを身につけねば、こんな商売身が持たんわけだ。
例えば、私は職業を問われると「アミューズメント関連」などという誤魔化しはしない。「パチンコ屋です」で仕舞いである。私の「その人」を見るときの「リトマス試験紙」如く、そこに偏見や蔑視を見抜く時がある。しかし、ただ、それだけなのだ。
「パチンコ屋」=「北朝鮮・総連・脱税・北朝鮮への送金・犯罪の温床・サラ金の畑」
こんなもんか?
あとは「依存症患者・駐車場の事故・非合法賭博・パチンコ族議員」とかがあろう。
最近ではよく「韓国でも禁止されている。なのに日本では禁止しないのはいかがなものか?」というのもある。日本人を堕落させる「悪徳商法」もしくは「詐欺まがいの賭博行為」であると断ずる者もいる。もちろん、嫌韓厨と呼ばれる「ネット右翼(笑)」からも、その不人気は絶大である。事実、私のところにも、
・パチンコ屋しながら、なにが拉致被害者を返せだ?ふざけるな。
・朝鮮玉入れ屋の朝鮮人が日本を語るな。
などというメールが来ていた。(最近来ない・・・)
「5」へ
■2008/09/19 (金) ガチコメ的「なぞなぞ」5
はっきり言って無知なだけだ。そういう偏見が「悪意を持った特定亜細亜」に利用されると、もう、いい加減に知ってほしい。何度でも書くが、
パチンコは日本の娯楽産業である。
1910年の韓国併合より前からある。樺太にもあった。思いっきり「パチンコ」と書いた看板が南樺太に存在していた。雪をかぶった「パチンコ屋」の写真もある。
それが、ここまで巨大産業となったのは戦後である。1948年、正村竹一という日本人が「正村ゲージ」を完成させる。現在でも使われている「あのゲージ(釘のパターン)」だ。戦後の復興において、正村竹一が懸念していたのは「庶民の活力」であった。負けた戦争に、ボロボロの生活、「食べるためだけ」に生きる辛さを案じていたわけだ。そこで「娯楽」、それも大衆が楽しめる「娯楽」が必要であると、なんと、特許申請をしなかったのだ。
これこそが日本人の公共心だろうが。
もし、正村竹一が「正村ゲージ」を特許申請し、後続のメーカーから63年経った今でも「特許使用料」を取っていたら、サミーも三洋も敵わない「超巨大メーカー」として君臨していたはずだ。すべての「パチンコメーカー」は「新たなゲージ」を開発するか、使用料を支払って「正村ゲージ」を使った遊技機を開発するしかない。現在、どこのホールでも「海物語」ではなく「マジカルチェイサー」が島を占領しているはずだ(笑)。
で、「北朝鮮がらみ」の件だが、これも「そういう企業はある」というだけだ。ならば、医療関係であれ、不動産関連であれ、政治家であれ、総連べったりの「百害あって利権あり」は腐るほどあろう。それらの「隠れ蓑」として「パチンコ屋だけ」をバッシングしているのだと、なぜに気付かんのか。細菌兵器の培養液ともなる点滴液を北朝鮮に持ち込んでいた企業もある。核兵器をつくるための、ミサイルをつくるための機械や部品を送り続けていた企業もある。「拉致工作員」の釈放願いに署名していた日本の政治家も止めていない。しかも、その工作員どもは日本国内の病院施設で訓練を受けたという話もある。
「6」へ
■2008/09/19 (金) ガチコメ的「なぞなぞ」6
それに、少なくとも、我が社は北朝鮮に送金していないわけだから、「パチンコ屋が拉致の問題を言うな!」と言われても困る。それでも私は、パチンコ屋であろうが、朝鮮人であろうが、なんであろうが、だ。拉致攻撃は憎むべき犯罪行為であり、日本国に住む者としては脅威であり、主権侵害であると言うだけだ。これからも、少ないながら援助もするし、微力ながらお手伝いもさせてもらう。そもそも、そんな詰まらん覚悟で「拉致被害者を返せ!」と言っているわけではないのだ。本気なのだ。
そして、最後に、
「韓国では禁止した!日本では放擲しているのに!!」
という阿呆にも言っておく。
韓国ではパチンコのことを「メダルチギ」と言う。「玉」ではなく「メダル」が出てくる。ちなみに「海物語」は「パダ・イヤギ」というらしい。あれだけ「反日教育」しているにもかかわらず、三共の「大ヤマト」も大人気だったらしい(笑)。反日が足らんぞ。
で、たしかに「禁止」された。全面禁止らしい。出店しようと企てていた日本の企業も、えらい目にあったそうな。残念でしたww
なぜか?
はっきり言う。
民度が低いからだ。
「負けた客」が店長を襲う。店にバキュームカーで乗り込んで糞尿を撒く。車で突っ込む。放火する。不正は恐ろしい勢いで蔓延る。強盗は増える。破産者、自殺者は急増する。
慌てて禁止したわけだ。「日本のように」儲かると思っていたわけだ。しかしながら、日本人のように「普通に来て、普通に負けて、普通に帰る」ようなことを韓国国民はできなかった。そして、私は韓国人の名誉のために言っておこう。
日本人が普通ではない
のだ。成熟した社会、熟成した民度を誇る「日本だから」可能であり、ここまでの巨大産業として成長したのである。韓国の民度が低いのではなく、日本人のモラルが高いのだ。
考えてもみよ。
全国に1万件ある「パチンコホール」には、およそ同数の景品交換所がある。コンビニと違い、中には十数万円ということはない。とはいえ、その中には重火器を具備した警備員がいるわけではないぞ?なんと、おばちゃんがひとりかふたりである。
「7」へ
■2008/09/19 (金) ガチコメ的「なぞなぞ」7
しかも、だ。屈強な防弾ガラスに囲まれているわけでもない。安モンのドアに鍵がふたつかみっつあるだけだ。蹴ったら開く(笑)。
つまり、「その気になれば襲うのは簡単」である。
で、
「景品所強盗」は年間に何件ある?
たしかに増加している。日本人の堕落と共に犯罪が増えるのは当たり前だ。そして、狙いやすいところが被害に遭うことも自明であろう。しかし、その程度だから「やっていける」わけだ。将来的には知らんがな。
そんな国が、日本以外のどこにあるのか。
外国人が日本にきて驚くのは「自動販売機」だそうだ。「現金の詰まった箱」に警備がついていないということが不思議らしい。日本では普通の光景であるが、外国の治安からすれば不思議なんだろう。なぜに「持って行かれないのか?」が不思議であろう。
しかし、それが民度であり、文化であり、国柄であるのだ。
だから「パチンコ屋」なんぞという「現金が飛び交う」娯楽場が1万件も営業で来ているわけだ。日本人はパチンコ産業を誇らねばならん。どこの国にも「カジノ」はある。博打場がある。マカオなんぞ「賭博税」が70%というではないか。
日本では公共で認められた「賭博」があり、そして「娯楽」としての「パチンコ」があった。つまり、段階的な「遊び~~博打」の範疇が広いわけだ。日本人相手でしか通じないのが「パチンコ」である。単純に「金をかける」だけの意味合いではなく、日頃のうさ晴らしに、おじいちゃんのボケ防止に、ちょっとしたお小遣いゲームに、地域のコミュニケーションに、そして、地域社会の活性化に、だ。
「8」へ
■2008/09/19 (金) ガチコメ的「なぞなぞ」8
その「活性化」の最たる効果は「雇用」であろう。以前から、いわゆる「ドル箱」を運ぶ必要のないシステムが提案されているが、まだまだ実用の可能性は低い。それはコストなどの問題ではなく、つまるところ「人が運ぶ必要がない」ということがネックとなっている。人件費というランニングコストの削減となる「システム導入」は歓迎されるべき、画期的なシステムであるはずなのに、顧客の抵抗感は強いという見方が圧倒的である。
それは言うまでもなく、「ふれあい」という店員と顧客とのスキンシップが重要視されているわけであり、マルハンであれ、ダイナムであれ、「接客」というジャンルを超えた「ふれあい」によるコミュニケーションは欠かせない要素なのである。つまるところ、「ただの博打」との差異が、そこには明確に存在するわけだ。
だから、私はパチンコ屋を辞めないのだ。面白いからというのもあるがな。
-
はい!いま、
「どうせ、給料が良いからでしょ?」
と思った貴様!!
残念。スーパー時代、25歳の私の賞与は150万円を超えていた。あのままなら今の収入も、なんとかなったかもしれない。まあ、人の職業を馬鹿にする前に、そんな下衆な理由しか思いつかない「ココロ」を恥じよう。
高給は魅力ではあるが、突き詰めれば「理由」に過ぎん。それよりも「面白いかどうか」であり、どうやら私は「何をやっても面白い」らしい。
それよりも、だ。
もんだい:
「黄色いほわほわしたもので、目に見えないもので、この部屋に2こあるのはなぁんだ?」
わかった人いる?
答えは――――――