忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

「肉→焼く→喰う→ウホウホ」

2010年11月14日 | 過去記事
介護学校に「ダイエットしているんです」と言って朝飯と昼飯を喰わない男性がいる。学校までの道も、坂だらけの京都の街を自転車で飛ばしてくる。涙ぐましい努力の成果もあって、近頃、少し痩せたのだと言う。運動量を増やして健康管理するのは良いことだと思うが、メシを喰わずに体重を落とすと体に悪いと心配しておいた。

人体は飢餓を認めると、まず、筋肉を削ぎ落とす。単純な「低カロリー食」とは最近「心筋梗塞」などの要因にもなるとして、高齢者施設などにおける食事内容もずいぶん様変わりしつつあるらしい。私が実習でお邪魔させてもらった施設のメシも、そこそこのボリュームがあり、味も濃くて美味かった。トンカツやら焼き肉やら、何でも選べるメニューが用意されており、利用者の方々も大変楽しみにされているとのことだ。

また、心臓は筋肉で出来ている。ちなみに血管もタンパク質で形成されている。すなわち、肉を喰うな、カロリーを控えよ、というのは血管を細らせ、心臓だけでなく脳血管障害を引き起こすリスクが高まる。「カロリーが少ない」というだけでコレステロールが豊富な魚介類を多く摂り、牛肉などの動物性タンパクを「太る」として避けるリスクは低くなかった。もちろん、肥満であれ何であれ、物事はなんでも「過ぎる」となれば、あまりよろしくない意味となる。私のような「太り過ぎ」もダメだ。私はもちろん「食べ過ぎ&飲み過ぎ」の傾向があるのだ。わかっちゃいるけど、やめられないのである(笑)。

いずれにせよ、だ。やはり、無理なダイエットで体力を低下させることは避けたほうがいい。それに主観の問題もあろうが、あまりガリガリの女性を魅力的だとも思わない男性は少なくないのではなかろうか。男も女も健康で活発なほうがいいと思う。しっかり食べて、しっかり運動して、ちゃんと寝れば、まあ、問題なかろう。また、高血圧だの糖尿がどうの、あまり我慢ばかりを強いても仕方がない。肝臓の数値を言い合いしながら酒を飲むのも、バカバカしいから止めた方がいい(笑)。どうせ人は動物学的にも120歳までしか生きることが出来ない。それでも人は「体に悪いこと」を繰り返し、その120年を半分近くにまで引き下げながらも懸命に生きる。

先述の施設でも「喫煙&飲酒」が認められていた。本人が希望すれば、朝からワインが出てくる。喫煙ルームに行けば職員でも利用者でもタバコを吸って雑談している。女性の利用者だったが、普通の喫茶店に出てくようなサンドイッチを嬉しそうに口に運んでいた。量もかなりあった。卵やハム、カツサンドもあった。若者であれ、高齢者であれ、多くの人は風呂上がりにはビールが美味いと感じるわけだ。もちろん、中には「風呂上がりは、ぬるいお茶がウマイ♪」という人もいるだろうが、その高齢者施設においてはビールが良けりゃビール、ワインが良けりゃワイン、お茶がよろしければお茶ということにしている。

少々、体によろしくないと医者が言ったとしても「本人が望む生活」を可能な限り維持することは、結果的に活発な生活を送ることになったりもする。積極的になり、前向きになる。我慢させて節制させることで「病気ではない状態」は担保できるかもしれんが、それらがすべて「健康」であるとは限らないわけだ。人間の健康とは身体だけを言うのではない。精神、すなわち、心が伴わなければ健全な状態とは言い難い。ま、ンなことは、自分に置き換えればすぐにわかるのである。



また、日本人は何事でも「疑ったら失礼だ」と思い込む癖がある。もしくは慣例的になっていること、その他大勢の人に習うことも大好きな民族である。悪く言えば付和雷同、良く言えば和して同ぜずであるが、それ以前に何でもあっさりと信じてしまうお人好しでもある。「誰かが自分のことを騙そうとしている」と思うのではなく「誰でも誰かに親切にする」ことは至極当然のことだとDNAに刷り込まれてしまっている。自分がやっていることは、他の誰かもきっとやっているのだと妄信してしまう。いや、事実、この国はそのような「見えないところでちゃんとする人間」の数が尋常ではなかったから、いろいろと世界を驚かせてしまうことになっている。ましてや「騙される」など想定して生きていないから、電話の向こうの「オレオレ詐欺」と息子の声とは似ても似つかないのに、慌てて金を振り込んでしまうわけだ。その被害も未だに「億近い金額」だったりするから、日本人もなかなか面白い。なかなか懲りない民族なのである。


海の向こうでは黒人の大統領が健康保険で選挙に負けた。オバマはいわゆる「国民皆保険」のシステムを、無謀にもアメリカ人に浸透させようとした。日本の格差など誤差の範囲であるアメリカの所得格差社会では、先ず、貧乏人が保険料を支払えないという問題もあった。もちろん、高所得者は民間の保険で事足りる。日本もこれを追いかけることになっているが、アメリカ人の個人主義にはまだまだ及ばないと思われる。例えば、貧困を理由に保険料を支払わない人が医療機関を使用するなど、アメリカ人は日本人のように許すことができない。自由であることは平等であることなのだから、自由に医者に行きたければ、ちゃんと平等の義務も果たせと偽善を振るうことだろう。アメリカに「平等の女神」はいないが、フランス人から送られた「自由の女神」がちゃんと足で「鎖と足かせ」を踏んづけて、全ての人類は自由で平等であると象徴している。アメリカ最大のジョークだ。

日本ではまだ、国民保険、社会保険共に機能している。年金などもそうだが、破綻する破綻すると心配されながら、それでもちゃっかり受け取っている人もいるし、今でもまだ、病院に行けば3割負担で診察してくれる。まだまだ「その他大勢」の日本人が病院にも行かずに無理をして働いて、クソ真面目に保険料を納めているからだが、それどころか日本という国は母子家庭や生活保護世帯であっても、財布に1円の金もなくとも、道端で倒れているオッサンがどこの国の人間だろうと、日本の医療制度はフル回転で機能し、医療機関は全力を持って救うことになっている。

ちなみに有名な話だが、診察前に金を払わなくてもよいことも、日本以外の国では普通じゃない。コレは明らかに日本の非常識のひとつだろう。アメリカや支那のような「大国」であってもそうだが、例えば韓国においても診察を受ける前の「支払済み」や「支払能力の確認」は常識のようだ。また、その個人の負担額も、たしか5割負担だったと思う。ンで、それでも不思議なことに日本のマスコミは「日本国内における外国人の貧困世帯」などをクローズアップ、家族が体調不良を訴え、急いで病院に連れて治療してもらったら、そのあと高額の医療費を請求されて困っている支那人の家族、とテレビでやる。それを見た日本人の視聴者が「日本は世界中に、とりわけアジア諸国に、その中でもまあ、中国の方には迷惑かけたんだから、医療くらい無料で受けさせてやればいいのに、それよりも役人の無駄遣いを何とかしろよ、頑張れ蓮舫!」とか思うとでも考えているのだろう。その高額な医療費を請求されて困っている支那人家族も、日本だからそれでも治療はしてくれるし、払えないと開き直っても親が逮捕されないのだと放送すべきであるが、もうホント、テレビは酷いことになっている。毒電波と言われる所以だ。

ま、いずれにせよ、昨年の夏から始まった前代未聞の無能政権のおかげで、だ。多くの日本人は「情報」というものに対して真面目に考えることを思い出すに至った。忙しさにかまけて「悪平等」というモノを見逃してきた日本人も、いよいよ無視できぬ違和感を覚え始めている。いま、ようやく多くの日本人が巷で「なんでだ?」と憤りを見せている。数千人規模のデモ行進が各地で行われ始めているのだ。また、最近、イギリスの与党である保守党が財政難で困り果て、あ!そうだ!良いこと考えた!と学費を一気に3倍に引き上げたら、速攻で四万人の学生が集まって暴徒と化していた。大いに笑わせてもらったが、まあ、これはどちらも正しい「アングロサクソン的な反応」であろう。単純と浅薄、反射神経と無神経で「足りない→もっと盗る」「いっぱい盗られる→怒る」という脊髄反射が素晴らしい。まさに「肉→焼く→喰う→ウホウホ」という思考経路よろしく、欲しいから奪う、強いから威張る、白いから偉い、という国らしい暴動が発生し、保守党のビルはガラスを割られて屋上も占拠されていた。そして、もちろん、アングロサクソンらしく屋上から地べたの仲間に対して「フー」という甲高い奇声を発してもいた。サルと同じだ。

しかし、日本人も笑ってばかりおれないことは周知の通りだ。例えば、日本の戦後における急発展は「輸出が活発だったからだ」という擦り込みは完了していた。無論、円高放置の現政権は無能に過ぎるが、それでも「中国との経済協力は必須」と垂れ流し続けるマスコミに騙され続けているのは日本人くらいではなかろうかと思う。ちょっとその気になって調べるか、それに関連する著書を読めば書いてあるが、戦後日本の急成長における最大要因は公共投資と内部消費であると自明である。「世界に冠たる輸出大国」の皆様方はGDPの10%や20%は当たり前に輸出によって得ているわけだが、いくら「パイの大きさ」が違うとはいえ、日本の輸出に関するシェアは数%に満たない。2000年以降は1%かそこらをウロウロしているはずだが、マスコミは「日本は輸出で成り立つ国だから外国と喧嘩すると死活問題になる」と国民にウソばかりやる。その理由は書かなくともわかると思う。

他にも―――民主党といえば強行採決であるが、その中で「環境税」に関するものがあった。前総理の可哀そうな子が国際連盟の舞台で勝手に「25%削減」とやったアレだ。地球温暖化はともかく、資源を大切にする、環境を守る、などの項目については日本は大きく先んじている。輸出の話ではないが、エコに関する商品は日本の専売特許のひとつでもある。得意分野と言って大過なかろう。その日本が25%削減しようと思えば、冒頭のダイエット男性ではないが、もう、晩飯を抜いても追いつかない。丸一日水も飲まずに走り続ける必要がある。もう、絞れないのだ。だから、日本は電気をマメに消したり、水道の蛇口をちゃんと閉めたりするのではなく、途上国に金を払うことをエコだと強弁する。

また、この度のノーベル平和賞において支那人の民主活動家が受賞した際、支那共産党のとった言動に世界は呆れ果てた。支那人民は「初の自国からの受賞者」ながら、その受賞者の名も知らぬだろうとされた。支那のテレビ放送は「ノーベル賞」に関する話題が出ると、容赦なく電波が止められて画面は真っ暗になった。だから日本国内においては「独裁国家は人民に情報が流されていない」と支那をせせら笑う者もあった。しかし、だ。

日本人は支那人を笑えるだろうか。

現政権は―――尖閣諸島における支那人船長の乗る「漁船」の領海侵犯、及び、違法操業、合わせて日本の海上保安庁巡視船に対する挑発行為、及び、体当たり攻撃を行った船長を「処分保留」のまま釈放させた。船員はとっくに解放して差し上げて、証拠品が満載の「漁船」もすぐにお返しした。その結果「衝突は軽微なもの」とされて、証拠のビデオを見た国会議員の中には、国民が観ることはないだろうと踏んで「こつんと当たったみたいな感じ」とか「大した事故じゃない」などと阿呆を晒したものまでいた。管内閣は明らかなる支那人の犯罪行為、あるいは侵略行為を日本国民に隠そうとして、事実、現在も隠したまま、神戸の主任航海士を責め立てている始末だ。

支那人船長を釈放したのは那覇地検の判断、誰でも観れる国家機密とやらが漏洩したのは海上保安庁の責任、大した政治主導もあったものだが、この売国奴どもを跳梁跋扈させているのは日本の有権者であることを忘れてはならない。60年ほど前はGHQの言い分通り「軍部に騙された」として旧日本軍を悪者にし、己だけは「平和の使者」を僭称しながらウソだらけの社会を構築した責任は軽くないし、子供手当に高速無料、ガソリン税撤廃に企業献金禁止のクリーンでオープンな政治がどうしたと投票して、今度は「民主党のマニュフェストに騙された」と被害者ぶるのはもう止めよ。投票という民主主義における権利を行使したのならば、次は主権国家の国民らしく責任も考えてほしいものだ。

それに、だ。どうせ理想を語るなら、自由や平等ではなく「正義」を語りたい。イイ大人なんだから。ギリシャの「正義の女神」であるテミスが持っているのは、自由を照らすタイマツではなく秤と剣であり、テミスは目隠しをしている。秤は正邪を判断するために持っており、剣はチカラの象徴だ。目を隠しているのは偏見を避けるためである。テミスは「剣なき秤は無力、秤なき剣は暴力」だと訴えている。現在の民主党政権下における日本は外国に対しては「剣無き秤」であり、国内に対しては「秤無き剣」となってしまっている。目隠しされているのは国民だ。すなわち、民主党政権とは正義から最も遠いところにある。

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