忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

次からは気をつけましょう

2011年01月02日 | 過去記事
大晦日には風呂掃除をした。沸かして入ると、妻が日本酒を持ってきてくれる。なんというか、むふーという感じだ。さっぱりしてリビングに行けば「ちょっと贅沢な肴」で続きを飲る。倅にも「正月くらい」と日本酒を舐めさせる。とても不味そうな顔をするから妻も私も笑う。りーちゃんはぺちゃぺちゃと美味そうに飲む。私は今年「犬キャバ」を考案している。もちろん、ノータッチだ。

イイ感じで飲んで、仕上げは「年越し蕎麦」を啜る。私は「エビ天」よりも「ニシン」が好きだ。ネギを多めに盛ってアツアツを喰う。あとはテレビを見ながらゴロゴロしていると眠くなるから寝る。今年はまだ、諸事情から初詣ていない。まあ、5日までには家族で行くと思うが、ついでに書いておくと、今年の序盤は更新が滞るとお知らせもしておきたい。もちろん、これも「諸事情」からだ(笑)。

さて、元旦の朝といえば「おせち」である。子供頃は憧れだったあの「御節」が今年も喰える。ありがたい話である。妻は今「町の惣菜屋さん」に勤めているから、食材なんかもそこゲットしている(無料ではない)。ところで、その勤め先にはもう5年になる。京都府内にチェーン展開する会社で、食品工場からスーパーまで経営している「あそこ」だ。

妻はパートタイマーとして採用されたのだが、現在はそれら全ての業種に顔を出し、店舗と金庫の鍵を預かるまでになった。相変わらず、どこにいっても重宝される妻である。本来、我が妻を褒めるのは照れるところだが、私の場合は十数年前に「妻を採用した」ことがあるから言わせてもらう。私が食品スーパーで店長をしていた24歳のときに知り合った、というか面接したのだった。即採用、というか即惚れである(笑)。面接を終えたあと、いいじゃないすか!などと破廉恥な眼つきではしゃぐ男性スタッフに「手を出したら殺す」と宣言して、せめて首にするとかにしてください、と笑われたものだ。

そんな妻は店舗の品出しや加工だけでなく配達まで行っていた。教えれば仕入れから値付け、売り上げ管理やレイアウト作成、且つ、新人教育などの人材育成まで、およそ店長の仕事は全て奪われてしまったことだろう。はっきり言って、完全に私より有能である。

それは某大手百貨店に勤めていたときもそうだ。当初はサービスカウンターのようなところに立って、上等な制服を着て「いらっしゃいませ!」とやっているだけだったのが、最終的には飲食フロアを任されるまでになっていた。新卒の社員が数年かけて上り詰めるポジションだ。また、妻は基本的になかなか仕事を変わらない。15年で2度変わったが、それらも全て引っ越しなどが原因だった。いずれも惜しまれながら、涙ながらの送別会をしてもらったりしていた。ということはつまり、妻は職場内における人間関係を上手く捌いている、と思われる。せっかくだから、妻から聞いた「コツ」を紹介しておこう。私も随分参考にしたものだ。それは、

「年上と先輩と上司を尊敬する。年下と後輩と部下には優しくする」

というものだ。無論、これは妻の性格、というか人格がこれを可能にしている。良く言えば素直、悪く言えば単純なのだ。しかし嬉しいことに、妻はこれを「おとしゃんが教えてくれたんやンか!忘れたんか!アホと違うか!」 となぜだかキレ気味に持ち上げてくれるのである。相変わらず、妻は今年もややこしいのである。理解不能なのである。

っと、ここで「お客さん」が入っていないと気付く。妻も一応は「接客のプロ」である。是非とも聞いてみたい。顧客に対しては、どのような指針を持って接しているのか。

「ンッとな、これはな、ひとりずつ、ひとつずつヤンか!太ってるくせに無職!」

うむ、なるほど。最後に深刻な悪口が入っているが、妻には「おとしゃんの悪口はつまり、あんたの旦那さんの悪口」だと教えてあるから大丈夫だ。私に選挙権がないことを「非国民だから」という妻である。せめて外国人だから、と言って欲しい。非国民は嫌だ(笑)。

また、最近はとくに、私の本棚を物色して今更ながら「反支那朝鮮」だから困る。まさに10年遅い。そして私のことを指して「おとしゃんが朝鮮人やからキムチ買ってきたで♪」とか言うのである。自分も喰うくせに、である。妻には「ということは、あんたの旦那さんは朝鮮人。なんだこの朝鮮人の嫁のくせに」と返す。家庭内差別である。

しかも、である。つい先日、妻は「あんな韓国ってな植民地にされたとか言うてるけどな、あれはな違うで!日本はお金とかいっぱい使って損したんやで!」とか教えてくれる。あんたの旦那さんは「そんな話」をずっと数年間、ブログなどに書いてきたから、去年の年末も京橋で飲んだりしている。たくさんの同志が集って、あんたも何人かは会っているし、旅行に行ったときもある。昨年は「そんな話」をしに岡山まで行ったし、御蔭様で「テレビで見る顔」にも会ったことがあろう。というか、虹の会はなんだと思っていたのだろうw?「ハゲマン=ケーキくれる人」くらいの認識しかなかったかもしれない。「理事長=ケーキくれない人」という認識だったのかもしれない。ちなみに「し様&canako」に接するとき、キャラを変えずにナチュラルなのは「我が妻と鯛さん」だけだったかもしれない。恐るべし、鯛さん・・・・。私が適わぬはずだ。



ま、ところで、この「ひとりひとつずつ」というのは慧眼である。客の立場で考えるとすぐにわかる。これを私はずっと口にタコが出来るほど言ってきた。「店員が雑談している」のをみるとムカつくのは、そこに自分がいるからである。自分が客として存在している空間にて、従業者が仕事と関連しない話題に集中しているのは、自分の存在を認めていないわけだ。もちろん、これには「客がいるところで雑談はない」という社会常識がベースとなっている。これが壊れ始めると、もはや「腹が立つ」ということすらなくなる。

人は誰でも「存在否定」が最も癇に障る。人によっては落ち込む。また、いわゆる「流れ作業的」に捌かれるのも、軽く扱われていると感じれば不快である。これも己の存在否定を意味する。団塊世代がコンビニやファミレスで威張り、高級ホテルで大人しくなるのは、その権威に対する己の価値を推し計っているからだ。つまり、悪い意味で慣れてしまっている。自分は小さなその他大勢ではあるが、自分よりも存在位置が低いモノ(勝手に決めている節がある)にそれは認めない、という傲慢な価値観である。

また、自省の念を込めて言うが、そのちょっと後の世代もおかしいのがいる。現在の団塊世代の子に当たる世代だ。正月早々、ネットを中心に話題となっているが、なんでも「グル―ポン」と呼ばれる共同購入サイトで「おせち」を買ったら、まるで「ヨン様のレストランディナーセット」のような逸品が届いたとかで騒ぎになっている。私も画像を見たが、あれはもう笑う他ない。また、この辞任した水口憲治という社長さんは1968年生まれ、私の妻と同じ年だ。いわゆる「その年代」である。

一億総中流と言われた時代を創った「高度成長期」に頑張った人らはカラーテレビや冷蔵庫、それは自家用車から一戸建ての自宅へと夢を追えた。今日よりも明日が便利で豊かになる、という実感もあった。その中で落ちこぼれようとも、年功序列やら終身雇用が背中を支えたわけだ。ドロップアウトするには相当な理由があった。それは「喰えない」という深刻な理由に限られた。比して、その後の時代に生れ出た子供らは、私のような貧乏長屋の子倅でさえ「クーラー」の涼しさを知っていた。朝起きたらテレビでアナウンサーが「いってらっしゃい!」という時代だった。ファミコンは買ってくれなかったが肉も米も喰えた。銭湯に通うカネがないと草むらで洗われたりもしたが、それでもホースから出る水は清潔で飲める水だった。安モノだったかもしれないが、汚れていなくて破れていない服も着ていた。テレビではお笑い番組をやっていたし、ドラマや歌番組もやっていた。

つまり、我々の世代は「ある」というところからスタートした。だから「ない」は強烈な個性として取り上げられることにもなった。「家なき子」のブームは戦後初期ならドラマにならないほどありふれた話だった。「ある」ことが当然の家から出た子供らは、安易に市場原理主義に取り込まれた。「ある」からの個性とは「もっとある」しか用意されていないからだ。

例えば、我々世代の少し先輩の中には、記者から「法律内であれば(利益追求のためには)何をしても良いとお考えですか?」と問われただけで「金儲け、悪いことですか? みんなが一所懸命お金を儲けて・・ ルールの中で一生懸命に株取引をして儲ける・・ 何が悪いんですか?」と目を剥いていきり立ったが、逮捕後、ニッポン放送の193万株を買い付けたことについて「聞いちゃったかと言われれば・・・聞いちゃってるんですねぇ」と言ってしまった。インサイダー取引で懲役2年の実刑判決も前代未聞なら、追徴金の11億円強も異常な数字だった。つまり「ルールの中で一生懸命に株取引をして」いるわけではなかった。我々の同世代で国民的アニメキャラのような愛称で知られた人も「会社は株主のためにある」と太りながら言ったが、その後の「どこでもドア」のような名の会社の株は暴落して、どれほどの株主が迷惑を被ったのかは言うまでもない。


この正月早々、腐った御節を各家庭にばら撒いた社長さんも、以前のブログではこんな立派なことを書いていたりする。




http://ameblo.jp/gaishokubunka/entry-10112424042.html
2008年07月03日  理念に帰ろうテーマ:ブログ

親愛なる皆様

お元気さまです。

先週は「ブランド食品の産地偽装」の一週間でしたね。
ミートホープや、船場吉兆に始まり、まだまだこんな食品、外食
の信用を失う会社がでてきてしまうのかな~???
本当に残念だし、どこもやってると思われ、信用を失いかねない
状況は、ただ事ではないよね~
これらの会社の共通点は、利益のみを考えた自分がよければいい
という考えでしょ。
それに加えて当初「店長判断」「現場で起こったミス」
などと説明したが、同社従業員らが反論して、またまた重ねて謝罪する
始末。
その場しのぎで、言い逃れ・罪のなすりつけをしても、真実は一つ。
必ず、真実が残り、誤魔化しは人間を崩壊させます。
やはり「理念」がないということがすべての原因です。
悩んだり、苦しんだり、壁に当たっても進むべき正しい道
を示してくれるのが、理念。

今月もがんばりましょう! 水口 憲治





今ではもう、穴があったらキャビアでも詰めて2万円で売りたい心境ではなかろうか。この件を我が妻に言うと一笑に付された。その理由は「ネットで喰い物を買うな」という団塊世代的な古い発想ではない。妻はネット広告を見て「カニ買いたい」と我儘を言うほどである。妻は指摘したのは、それが「御節」だったからだ。曰く「3重でダメ」とのことだった。この腐ったおせちが「3重」だと知っての洒落かと思ったが、妻にはあっさりと「んあ?なにが?」と言われてしまった。今年最初の恥ずかしかった、である。

ま、ということで、その3重とはこうだ。


ひとつは「お客さんが正月から不愉快になる

もうひとつは「お客さんが恥をかく

最後は「他のお客さんが買わなくなる」というものだ。




言うまでもなく、正月の「御節」とは家族で喰うだけの晩飯ではない。客をもてなす場合もあろうし、こういう販売方法ならば実家に送ったり、世話になった人に送ったりという「気持ち」も台無しになる。また、これほど便利な「ネット販売」というジャンルの信頼性を壊す可能性もふんだんにある。相手が見えぬからこその「信頼&信用」とはネット販売業者の命綱である。他社とはいえ、こういう愚かな業者が蔓延ると一絡げに信用が失墜する場合もある。多大なる迷惑に他ならない。

金儲け悪いことですか?については悪くない、と言っておく。しかしながら、だからこその士魂商才である。法律的に悪くない、とは「道徳的に悪くない」とイコールしない。もうお気づきだろうが、つまり、これは1年半の民主党政権のことだ。考え方は同じなのだ。

この腐った御節は500セット売れたとのことだ。あの広告のサンプル画像を見て欲しくなるかどうかは別として、それくらい発注が来ても不思議ではない。しかも、広告文には厳選素材やら33品目やらと書いてあった。しかしながら、送られてきたものの蓋を開けると、中身はスカスカ、モノは腐っているし、数も足らないし、素材も支那産の惣菜パックレベルだった。まさに一昨年の夏、これと同じ「おせち料理」を日本の有権者は喰わされた。

もちろん、買った人には気の毒だとしか言いようがない。騙すほうが悪いに決まっているからだ、しかし、来年は是非とも気をつけたい。「次の機会には」是非とも気をつけたい。




ちなみに―――

今回、腐った御節を売り捌いたのは、株式会社外食文化研究所の「バードカフェ」というところだ。そういえば、前総理の公式ホームページは「鳩カフェ」だった。薄ら馬鹿は発想が似てくるのだろうか。「法的に問題ない」もつい先ごろからよく耳にするフレーズだが、これもまったく似ている。詐欺師の言い抜けとしては、あまりに情けないフレーズだ。


3 コメント

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栗羊羹 (恋患謄写堂)
2011-01-03 07:44:32
謹賀新年!
すんませんでした。今度から栗羊羹でも持参することにします!!
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おかあしゃんの旦那様 (Cloud)
2011-01-04 23:59:52
合点。

あけましておめでとうございます。
私、まだまだ未熟でございます。
本年もよろしくお願いいたします。
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Unknown (久代千代太郎)
2011-01-05 12:25:00
>りじちょ

最近その「恋煩い」しつこいですけど、もしかして、マジなんじゃ・・・・ww


>せんぱい


おめでとうございます。

とりあえず、新年会です。


また、仲良く遊んでください。ちんぐ。


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