忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

親の心子知らずvs親知らず

2011年02月04日 | 過去記事
業務用スーパーで買い物を済ませた妻は倅に電話した。倅はその日、もうすぐ会えなくなる高校の友人らと遊びに行っていた。「ボーリングしてメシ喰って帰る」とかだった。

妻が電話したのは買い物した荷物が多いからだった。時間は20:00頃だったので、自宅には私がいる可能性もあったが、慣れない職場で疲れているだろうと思い、帰る時間が倅の帰宅時間と重なるだろうから、という推測で電話をかけたとのことだった。妻が電話をかけたとき倅は出なかったが、すぐに折り返してきた。そのとき「わかった。いま最寄り駅にいるから、これから駐車場に向かう」と妻は聞いたのだという。しかし、21時を過ぎた頃、妻だけが自宅に戻って来てぷんすか怒っている。曰く「いくら待っても来ない」のだという。大量の買い物袋は何度かに分けて持って上がってきた。

私はとりあえず、怒っている妻を宥めてから考えてみた。「倅が来なかった」理由として考えられるのは次の通りだ。

1:邪魔臭くなった
2:忘れた
3:何かあった

時間は21時半を大きく回っている。駐輪場に倅の自転車はない、とのことだった。私は妻に問うた。なぁ?これって変じゃないか?―――――


2月3日は節分だった。私は施設で「鬼役」をやらされたが、自宅では「太巻き」を食べた。この日は節分であり、私が中学生の頃好きだった「みつきちゃん(※心の中では“みったん”と呼んでいた)」の誕生日でもあるが、1997年のこの日は「横田めぐみさんの拉致が初めて報道された日」でもある。

横田めぐみさんの誕生日は、私の娘の誕生日と同じ10月5日だ。めぐみさんは1964年生まれだから、私よりちょっぴりお姉さんで今年は47歳となる。北朝鮮に拉致されてから、実に34年間が経過する。少し前、堺市で行われた「拉致被害者奪還を訴える集会」で西村眞吾氏は壇上、拉致被害者家族の方々を前に詫びながら泣いた。「これは政治の責任である」として、申し訳ないと泣いた。日本で暮らす日本国民の子供が誘拐されて、34年間も取り返せないまま、日本は日本国として何もできずにいる。相手は北朝鮮という独裁軍事組織だ。日本の警察も事実上、何もできない。ならば、国が「実力組織」を使ってでも何とかしてくれるはずだが、この国は普通の国が出来ることをしない。

一昨年の夏、西村眞吾氏は「拉致被害者奪還」を挙げながらも落選した。「国防は最大の福祉である」と言った候補が落選して、子供手当やら高速道路無料化を言う詐欺師政党が政権を盗った。有権者は拉致被害者よりも、目の前の生活が第一を選んだ。これが日本だった。

政治経済やら歴史などに疎い我が妻も拉致だけは別だ。拉致被害者奪還デモには参加もした。その理由はイデオロギーでもなく、右も左もなく、子を持つ親としては当然の「怒り」である。多くの人が「拉致だけは許してはならない」という所以だ。

辛光洙は1973年に能登半島から日本国内に侵入した。「立山富蔵」と名乗り工作活動を行った。辛はこの4年後に新潟県新潟市で13歳の女子中学生を拉致する。めぐみさんだ。

日本の警察は2006年に「国外移送目的略取」と「国外移送」の疑いで逮捕状を取り、ICPOを通じて辛を国際指名手配している。つまり、この国の総理大臣やら国務大臣は「自国の警察が国際指名手配している犯罪者の釈放嘆願書に署名した人物」が坐している。こんな国があり得るだろうか。北朝鮮は辛の身柄引き渡しなど応じるどころか、英雄として記念切手まで販売している始末であるが、コレでは北朝鮮を非難しても日本が笑われるだけだ。北朝鮮でなくとも、その前に日本人が忘れているじゃないかと、日本人が許しているじゃないかと言われたら、いったい、日本人は何と反論するつもりなのか。




22時を過ぎても倅からは何の連絡も無い。携帯電話は留守番電話になる。さっきまで通じていたのに、である。私は妻を車に乗せて駅周辺に向かった。いくつかの知っていることも確認した。いままで、こんなことはあったか?(すっぽかされる)妻の答えは「ない」である。倅は18歳だが、いまでも妻の買い物袋が重そうだとして駐車場まで降りて待つ。「邪魔臭くなったから」として、妻を寒空の下、ずっと待たせるはずがない。

「駅近くの公園に変なのが屯しているとか言ってた・・・」

妻の情報によると「からまれたこともある」とのことだ。倅は貧弱が制服を着て歩いているように見えるし、どことなくカネ持ってそうな顔をしている(かもしれないw)。駅の近くには大きい公園がある。池もあって、私も犬を連れて散歩したこともある。しかも、夜になれば街灯も無いから真っ暗になる。また、倅は自宅までの道をショートカットするため、その公園内を自転車で走り抜けるか、これまた薄暗い団地の中を帰ってくるという。

パトカーのパトライトが心配を煽る。妻も「事故とかなら、もう、どっかで見つかってるはず」などと縁起でもないことを言う。しかし、それを笑って否定できる余裕はなくなってきた。私は公園の横に車を停め、車内に妻を残して捜索に出た。妻には、

「お父さんが1時間以内に戻らなければ、そのまま警察に行くこと」

と告げていた。妻からは怒りが消え去った。私は携帯電話の時計で時間を確認してから、公園内を歩いて探した。公園の端から端まで流れている小川の中も見た。そこに「自転車の残骸」などが見つかれば・・と不安になりながら、真っ暗の公園内を素足に草履で歩き回った。18歳の男の子なのに、という声もあろう。私もそう思う。しかし、我が倅は良くも悪くも草食系だ。また、誰に似たのか知らないが、妙に頑固で正義感も強い。不良にからまれて、逃げるが勝ちと流せる器量があるかどうか、我ら夫婦はとても不安であった。

それよりも、電話で「荷物を持つから待っていて」と言った倅が、いつまで経ってもやってこない、という事実が信じられなかったのだ。「うちの子に限って」ではなく、あくまでも「あいつに限って」という客観的根拠があった。

自宅に戻っているかも、として何度も電話をした。倅の携帯電話にもダメ元で何度もした。しかし、出ない。公園内を屯するチンピラに敵意剥き出しの視線を投げかけながら、私は数十分間、公園内を歩き回った。

いない――――私は妻の待つ車に戻り、現状を報告してから「自宅に戻って、団地内を探す。それでもいなければ警察に行こう」と告げて走りだした。助手席で不安そうな顔を隠す妻の気を紛らわせようと、出る可能性の低い自宅の電話を鳴らすよう言った。妻は無言で携帯のボタンを押している。すると、

「もしもし!!??あんた!なにやってんの!!!」

という妻の怒声が車内に響いた。いた――――。倅の無事を確認した妻は怒りが甦ったのか、電話口でボロクソに言っていたが、あんた!お父さんも怒ってるからな!今日は絶対にどつかれるで!と倅を絶望的に脅した後、電話を切ると安堵感から泣いていた。


自宅玄関のドアを勢いよく開けた妻は、リビングにいた倅をみつけると怒鳴りあげた。すると、なんと倅も泣いた(笑)。私は本気で驚いて、そして心底、引いた(大笑)。

倅は駅でずっと待っていた。携帯は充電が切れていた。いつまで経っても「駅に来ない」妻を心配して、とりあえず自宅に戻ると、今度は「妻の車」がない。お父さんもいない。

お父さんがお母さんの車で一緒に行動するとは思えない。ならば、お父さんはまだ仕事なのかと、お母さんは「あんな性格」であるから、自分が自宅に戻っていれば、また、電話して「下まで荷物を取りに来い」と言うだろうと、呑気に待っていたら、怒髪天を突いたお母さんから怒号を浴びせられ、しかも、お父さんも一緒だというから、倅はもう、何が何だかわからなくなっていたのである。

私は自宅に戻るとすぐに台所に向かい、フライパンを振って「豚キムチ」を作った。大きめに切ったキャベツをたくさん入れる特製だ。怒りが収まらぬ妻には、とりあえず、私の部屋にある「白いパイプの本棚」の上から何段目かにある「戦後史開封」という分厚い本の「第二巻」を抜いた「奥」を調べてくるように言った。しばらくすると、私の部屋のほうから「わぁ~♪」という歓声があった。「ぷっちょ」を隠しておいてよかった。




親は子供が1時間と少し、どこに行ったかわからなくなるだけで死ねる。

北朝鮮は断じて許してはならぬし、その実行犯を釈放するよう嘆願書に署名した人間も許せない。「よく知らなかった」とか「後で調べたらわかった」など聞きたくもない。しかも、それが日本国の政治家、あまつさえ、総理大臣や国務大臣を担っているなど、いったい、なんの冗談なのか。

私は今回、倅を殴らなかったが、その理由は「心配をかけた」という自覚があったからだ。自分のことを心配する親という存在を「ありがたい」と感じていたからだ。




ま――――

それと、妻のコミュニケーション力にも疑問があったからだ(笑)。

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown ()
2011-02-06 14:50:10
子供が産まれてから、拉致問題をさらに真剣に考えるようになりました。

おかしゃんの気持ち、リアルにわかります。
返信する
Unknown (久代千代太郎)
2011-02-11 12:35:43
>しさま

ンだね。リアルな問題だよね。


北朝鮮シンパには子供がいないのだろうかね。

返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。