もしかしたら憲法は悪の作用に対抗するためだったかもしれません。。。
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憲法ができるまでには 人知優れた高度な人間性があったし、
守っていくにはそれを理解していくくらいには本質的な教養がなくてはいけない
ただ、憲法の言葉が出るまでには
小さい子供でも
憲法の大切さを理解できるよう体得しておかねばならなかったので
共通の道徳の授業がきちんとあったのです。
ただ、学校で教えるだけでなく生活の場でのことも基本。
百も承知と思いこむ人、
あるいは利己的な人には週に一定時間がやや長く感じていたか
そして理解を確認する試験をやらない
(やらなくなったのも、どうも改竄事が発端だったよう)
悪は何でもかけちがいや偏重を作って割り込んでいきます。
道徳やったなら、
最後まですべてに互いを尊重して話し合いを成立させたり
人をキズつけないようにしたり
発言しようとする人を困らせないようにしたり
の基本(憲法が守れている事)はおさえていなければなりませんのに、
いったいなぜ、その基本の反対を公然と勧めてきているのでしょうか?
悪作用ごとがはいりだすと、
悪解釈はもちろん、
催眠術作用あってか 当然だったはずの基本道徳に立ち返ることを嫌がるよう。
憲法を守る方向を誤らないでさえすれば、最低でもまずまず誰もが満足に生きれる(生きれていた)のに、なぜ憲法が短命か・・・
昔から、人間の敵である、悪の力が強かったからでしょう。
疑心暗鬼を増長させ、
最後は力づくで、過去の良いところごと消してしまう。
各地、過去に、私も知らない良いところは まだまだたくさんあったのです。
人知の欠如が、
福利あずかれる可能性を奪い去っていくこととなってしまいます。
メディアに漏れてきたことのほうが、早く起こってきたことで、数も圧倒的です。
にもかかわらず、
テレビでも、過去の放映そのままの形で映像が掘り起こされているのを
少なくとも私は殆ど見たことがありませんし、
その時や場所、スポットで、生身の人間が操作して撮ってはいないものも
各所存在してきました。
事実上、メディアに残ってですら、悪の力(改竄)で、その後を強制されてきているのです。
皆がわかりにくいところで、世界中で実のところ
ものすごく低質化してしまいました。(ここでは挙げませんが。)
こういうのは、ただの損失ではなく、
方向性や人の幸福可能性の範囲を 失い、
尊重すべきことに備わっていた人命を
功績の否定で無視することになっていくので、
音に聞こえず知らずとも非常に重大な
人類が生きていくうえでの格下げ事なのです。
現在もてはやされて見えるのは結局、可能性を制限→滅亡させるような概念。
悪の造り事、事件で、
悪の用意していた結果に導かれてきてしまって
すっかり悪の構築段階。
つらい。つらくはありませんか?
* * *
指摘してきた改竄(原子移動的なもの)や催眠術(脳操作)は、
隠されてきた特殊方法で完全犯罪が可能とされた主要技術をいいます。
被害者側の立場で、真実を求めるたゆまぬ責任によって 実態と情報を見極め、
証明したものです。
現在、防御法は無いと考えるしかありませんが、今後は
対処を根本的に誤らないよう、社会的認知が急がれます。