シェルブールの雨傘 piano
ミシェル・ルグラン作曲 シェルブールの雨傘
home piano gf rec.2024.7.3
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私としては、事実をちゃんと知ったほうが、うそごとを信じ込まされるより
安心と思ってきました。
事実を、本当の事を知らねば
何も判断できなくなるし、
間違って誰かに迷惑を かける かけられるのが ぜったいイヤだから。
環境のせいもあったけど、
何事にも最善とベストを尽くす・・って、自分に課してきたりもして。
巻き込まされたら、 おかげでさらに
ずっと火事場のバカ力でしのごうとしたりして・・・
けっきょく一般的に思われ扱われている世ではなく、個人的には見た目よりずっと、(見た目に反してかな)散々なめに。
過去からの私の事をちゃんと知る人は、いろんな意味でもういなくなってきている
私程度には人間力として一般的な学のある人なら、科学の要素かじった人なら
とっくに、太陽、地球をはじめ、とんでもない巨大異変のあることを
少なくとも同じように示せるだろうし・・・
結局押さえ込まれてるんですよね・・・私と同じか何かで。
くりだされてきた攻撃かわすことなんて実質できないでいる以下、
やられよう(相手のやりよう)はいちいち分析できるので同じ轍を踏まぬよう
にしようとするけど、結局はむりやりひどくやられるばかり。
ロシアで戦争しかけるのに抗議しようとしたいかにも無抵抗の人が連れ去れる場面も最初だけ。あれが、日本ではもっと隠れて悪く起きてきてた・・・
どうも最近までの自分にふりかかってきたことって、やはりあれに勝るとも劣らない感覚あり。
あ、ここで書こうとしていたことですが、(グチ先行ですみません)
あるあるの1つ、理科の実験編。
各教科、全部異変あったわけですがここでは、
実際にやってみる、観察するといった場面の事。
よく似たところで家庭科でも異変ごとはありました・・・
(もちろん生活全般につながるのです)
超電導は、予告ワードで、こうやって出すのも躊躇したりはしますが
高校の授業で、先生が超電導の様子を見せる と、
意気揚々と、でもかなり慎重にセットして、いざ・・・
起こりません。
やり直すこと2,3回以上、いっきに先生の顔が曇っていき、
「これは、・・・おかしい」
結局はどう見ても同条件なのに今度はホツホツと光が見え始めました。
先生にしたら余計「おかしい」
のです。
生徒はどうも、時間かかったけど一応、目視できたなと思った程度。
でも先生はさらに「こんなもんじゃない」と、
再現の様子にも強く不満を見せ、相当不機嫌に終了しながら、
「これ、たいへんなことなんだ、覚えといて」と、
生徒に深刻さを伝えました。
のに、私にはもっと驚いたことがあります。
最初近くで盛り上がってた何人かはじめ、誰一人、先生の言っていることや様子を受けとめている人がいなかったのです。
大学の法学の異変のときは、不自然に現れた人物が「今、たいへんなことが起きました・・」
というのは、たしかに見るからに教授がふらふらだったのですが、どうも
その以前の物理化学の先生の言いようを模していたように思えなくもありません。
似ていると言えば、何か起きているときの、他の人々の超無関心のこともありますが、
これも高校のときに比べると雰囲気から誘導があったように思えるので、
絡む原因は同じでも、似て非なることなのかも。
政治になぜか意見成り立たない以上に、
隠れてやられることはだいたい、宣告的な事よりも、もっと前に始めていたようです。
それにしても、多くが
なぜ、非常に大変となった大前提をうやむやにしても何も感じずにいられるのか・・・
大前提がどう違うかふまえながら、
すべてを見直さなきゃダメじゃないの。。。
誘導空気に作りあげられた人々 なのでしょうか・・・
もとより釈迦に説法、すみません。
* * *
指摘してきた改竄(原子移動的なもの)やあい催眠術(脳操作)は、
隠されてきた特殊方法で完全犯罪が可能とされた主要技術をいいます。
被害者側の立場で、真実を求めるたゆまぬ責任によって 実態と情報を見極め、
証明したものです。
現在、防御法は無いと考えるしかありませんが、今後は
対処を根本的に誤らないよう、社会的認知が急がれます。