長くなりますが、お時間のある時にぜひ、お読みくださると、有難く思います。
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人が生きるために、罪は、意識できないといけません。
人に(各種 対価的にも)感謝しないことは、よくないことだけど、
さらに、人を脅(オビヤ)かすのは、罪です。
罪の中でも違憲 (基本的人権、長きに影響すること)は、大罪なのです。
罪に対応していない刑罰、刑罰的な事象を起こすのは、大罪。
悪がこのむ 見せしめごと も、悪がこのむ刑罰の一種。(学校で習った)
通信機能をダメにした第二次世界大戦中には発達していた
争いをさせる側の技術、自動改ざん(物質瞬間移動)や
脳操作の存在があって、
問題の本当を公(オオヤケ)にさせることが不可能で来ているのに、
見せしめのような人格 毀損ごとを目にさせられるとすれば、
本質(糸引き)はもう、マ逆
と思ったほうが、正解に近くなるはずです。
それまでの経緯を見れていれば、
見せしめに遭うような人などは、たいていもとは
社会に好影響をもたらしうる人や支援者、うまく国を繋げれる人
つまり、悪の対極だったので、
両面から確認できました。
取り沙汰される内実がどれほどかといえば、
種々の介入によって、ムリヤリ誘導があったり、
0.001%の失敗を認めて謝っている責任感のある人のことを
逆手にとって、虚実の罪のエサにされてしまうようなこと で
有耶無耶にされて、
とうぜん、善人ほどツラい冤罪に持ち込まれるのです。
刑罰的なものは、悪が誘導利用するもので、
刑罰的なありようでは、罪の重さはまったく見れていません。
圧倒的に強い悪は、けして、大衆にあらわにはされないことは、
おそらく永久的にのまざるを得ません。
脳操作でさらに一線を超えてきたタイミングで、
それが われぬように
裁きや 刑罰的なことに、改悪をさせてきたものと
見てとれます。
話は変わりますが、税金についても、目くらましにあってきました。
税金は、少数多数や弱肉強食ではない、公平性を持たすためのもので、
政府が国民に害を加える存在かを、見極めるためにあります。
憲法下の税は、種類も 考え抜かれた恒久的な率も、
各経済の足を引っ張るような負担として考えなくてもよいようにできていたわけです。
そうでない税、憲法の方針に従わない税は、公私で対価が得られない
奪われものです。
税の種類が増えたりするシンプルでないとり方になったり、
率が変わることは、
横並びや時系列の確認ができなくなり、
公平性の監視もできず、
個々人の経済計画も崩され、
悪政を養うことになるので、
存在してはいけない政府になったと、見ておかねばなりませんし、
むしろ、返してもらわねばなりません
が、税金の多くや、ダブル トリプルのピンハネの吸い込まれる先は結局、
正体を明かさない悪だったので、
できることは せいぜい、
日本国憲法の発布以降、初期の累進課税税率と階段数
のときに戻すべきです。
それ以降の税制は、ほぼ違憲でした。
政府は営利を求めてはいけないところ、つまり、
お金を要求しなくて済むところでした。
ぶっちゃけ、必要に応じて政府から独立的な行政判断ができた日銀が紙幣を発行していたからではないでしょうか?
国債は会計上、国の税金ですが、余裕のある人が、国に投資する応援の形で、
本来、国は 税や国債に資金をゆだねません。
変な政策さえなければ、お金を要求する必要はまったくありません。
国が窮乏するのは悪が活発になった表れだったのでしょう。
日銀というのは、銀行といっても民間とはまるで性質が違っていたわけで、
憲法が、法でありながら、法を監視し、人を縛らないことと似てますね。
悪政を遮る日銀を、悪が攻略するのは少々時間を要したようですが、
どうも、10年前頃には、日銀は悪側のテロか何かに崩されたようで
酷いことがあったとだけ、
(悪側の情報がある立場をとった予告者から)聞かされておりました。
市町村によって構成される都道府県は、構成される国がサポートしないといけない。
都道府県どうし、財政的には区切りはあるけれど、
国の後ろ盾があるから、自ずと困らない、市町村を困らせない
経済的弱者となる国民を支えるために。
ところが、悪によって各々の つなぎを腐らされてしまうと、
いきなり困る 地方自治体が 出てくる⋯。
こともあろうに、というかやはり、
憲法教育から逆本質憲法教育に移行されきって
しまった最初頃の学年の法律家が、
当時若い勢いとカラ威厳で、
国民(市民、府民)の成果を搾取する事が正義としてしまって、
反対する人々は酷い目にあい、
憲法を真剣に考えてこなかった意外にも大勢の人々や、賢くても若い世代が、
あっさり国民搾取に習ってみせることになってしまった裏には、
思ったより ひどい悪の洗脳教育が存在していたのだと
やっと、つながりました。
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事実に反することを教えられるくらいなら、青空教育のほうがマシです
と、いいたいところですが、
快適な気候を奪われ、
サニーサイド歩こうが、
おてんとさんの下で堂々と歩けるように生きてこようが、
熱中症を心配しないといけない。
コンクリート素材は、その名も半永久的な優れた構造物だったのに
悪のやり方では、入るわけのないひびが瞬時に入りまくってた⋯
厚みのあるコンクリートの覆いは、自然体では温度調節に優れ、
強い日射しの元でも実際、涼しかったのです。
水蒸気の噴射も、焼け石に水でもない、よい試みとは思いますが、
頭上をコンクリートで日差しをよけていたほうが、ずっといいんだな。
寒さの原因の一つの隙間風も、起きない。
未来永劫感謝されるはずの構造物のために、
せっせと働いてきた人たちがいたわけですが⋯
ずっと変わらずのコンクリートはコンクリート建造物より、
大衆の悪止まり脳に適用されちゃってたよ、、、
善いつながりは疎まれ、縦も横も時間軸も分断されてきたけど、
悪の計画的なつながりたるや⋯
もう、先は見たくない、見せたくないと・・・。
さっさと悪の根絶の反対で、来られてしまってるけど、
国民としてやはりなんとか、具体的に悪を止める形をとったほうが⋯
現状、よくて草の根にしかならないでしょうけど。
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指摘してきた改竄(原子移動的なもの)や催眠術(脳操作)は、
隠されてきた特殊方法で完全犯罪が可能とされた主要技術をいいます。
被害者側の立場で、真実を求めるたゆまぬ責任によって 実態と情報を見極め、
証明したものです。
現在、防御法は無いと考えるしかありませんが、今後は
対処を根本的に誤らないよう、社会的認知が急がれます。