長めですが、是非 ご確認お願い申し上げます。
私が小学4年にあがったばかりの時期だったと思います。
クラスでは左前あたりの席でした。
日本地図を習った次の授業で、紙に地図(海岸線)を写す練習をし、
「(次には)見ないでかいてもらうことになる」と
やんわり宿題がでます。
なかなか難しいことだな・・・とは思いましたが
実際にかく前に、「(先生本人もよく知らされていないけどのニュアンスで)これ(地図をかかせること)をするように言われてる」と。
かけるかけないは問われないんだな と、皆、肩の力が抜けます…
だいたい仕上げになると、傍らですでに先生が じっ。。。
私が内心まだまだだな の意味のことを軽く言いながら
また来てくれた先生に提出すると、
先生はそれを見ながら「いや、すごくかけてる」と
目の色を変えて、かいた地図を受け取りながら見入ってた。。。
ところが、なのに、
喜ばしくほめてくれるかな?と私自身の勝手な期待は…
もうひとつに うらぎられたかっこう😦
でも当時はふつーに、みんなにお披露め的なことはあったかな。
(同学年のその後では、社会教育ビデオを見せられて、その最初の1つなど、わざわざ日本から来ていたらしい3人くらいの人たちと先生がいる部屋に私1人3人目のさいごで呼ばれ、ビデオのことで質問に答えるという事も。当然のことをちょっと言った程度だけど、そのときは来ていた人の1人から「ちゃんと理解できてるな」と、私本人にではなく言って頷きあっている…すぐ解放されてお役ごめんだ とホッとしていたら…今になって、ありがた迷惑な関連性がでてきてる…)
そのとき驚いたのは、だれも、日本地図らしきさえ、かけていない事実。
「そりゃ、いくらなんでも😅」なものばかり。
ここで一つ、言えるのは、絵のようなものの場合、できない人から、自分よりもできる と思ってもらうのは、ある程度可能だということ。
写実の絵や、ポピュラー音楽などは、たいてい、正しいかそうではないかをわかってもらえる確率が上がる というわけ。
しかし、他の場合、劣っているほうから優れているほうは、優劣すらわからないケースが多く、つまるところ、断定的な評価資格を持たせてはいけないんですね。
でも、人間のできるだけ多くが、なんでもわかって評価できないと、とんでもないことになるんです。
これを補うのが、年月を連続的につなげる親身な対話や由緒ある教育というわけです。
この場合、カウンセリングという方法を安易にもってこないことが大切だったかもしれません。
ものごと、大事なところで正確にやらないと、たやすく人類の大間違いにひきずりこまれ、発展などまったく望めなくなるのです。
優れて正確を期したほうは、合っていくし、やるべき やらざるべきが見えて道を開きやすいし、虚偽や嘘の必要はまったく持ち合わせません。
虚実をはっきりできるから、優秀になりうるんです。
どうやら、人類が悪にそそのかされて次から次に優れた人を排除してきた結果、
社会は、日本国憲法に守られてきた者が憲法を破ろうとする、史上最悪の事態になっているのを、とりあえず交通費払えるような人々が見えなくされてきています。
また、うがったとらえかた を本来ならば避けるべきが、表層的に、うがち推進歓迎にもちこまれてきたこと、さらに それだけになってきたことを、全員に知っていただかなくては!であります。
前述のとおり 子供の早い時期から、正確な日本地図を覚えておくよう頼まれたようなことで、その後もちょっとはかいてみたり、意識したりしていました。
またもや、ここに書きながら、気付いたことが! 🐣 あれももしや!
もしや?が、やっぱり・・・だ! さすがに、ここでは略します。
さて、現在のいびつな日本列島に至る変遷、
書くのもつらいし、
昭和の長らくは大衆の目に入ることが
(バターのケースの北海道くらいで)意外に無かった
日本列島の地図が、
よりによってデザイン化されて目に入ることが増えました。
日本をうたってるのに、
本来の日本とはあんなに違うものを見せられるつらさも。
地図の場合と、
高松塚古墳の壁画(旧来は代表的な女人群像)の場合は、
デザインと 実際の変遷 との相関関係が、逆です。
地図の場合は、航空写真いや…結局同じ地上高度っぽい人工衛星写真の写しを、デザインのベースにしているようです。
身辺や情報により地球の欠落がわかるところ、あとでそれが示されることに。
それまでは、おそらくあえて 、そういうデザイン化はしなかったようです。
高松塚古墳の壁画、女人群像の場合は、早速の大きな変遷ついていて、
私を含め現地公開を長らく禁止している間(公開しても人員確認に限定的時間、大きな距離)、地図案内などに、簡略化した絵が載せられ、さっさとその次には(悪側がやったとわかる)ごそっと簡略、デフォルメユニーク化した、品位のかけらもない絵に変わっていました。ものすごくイヤな予感がしたのを覚えています。
今年になり案の定の(自称ならぬ物称、復元)を あるブログ写真で目にしたわけで、
デフォルメ デザインは、一種の犯罪予告の位置づけとなりました。
コロナ禍においては、現地写生といった絵画の主流方法を奪いましたが、
コロナ禍だけでなく、風景や古来のたたずまいを、その中にあって敬って写生する 我が幼少期からの日常を奪う、悪側からの残酷な汚染や冤罪があったと見ています。
伊能忠敬は、江戸時代のような昔にあって、全国を測量してまわり、地図を完成させ、
私は、それが本物であろうときに、その地図を一度 学校の授業で見て、驚きます。
ほぼ、私の確認当時と同じ。
何が違うかといえば、ほんの部分的に、伊能忠敬の地図には、ある場所に広めの線をとった違いが…
1つ2つの部分的以外同じで正確ということは、伊能忠敬の測量が部分的にだけ全然間違うということではなく、すべて見事に正確だったわけで、言い伝えにはない日本列島の欠損が、航空写真で確認できたそのときには すでに発生していたと見るのが 妥当です。
変化の激しかった昨今、昭和からの測量結果と合わないことが続出しても、昭和の測量技術をバカにすることで片づけさせているのです。
昭和の測量は、伊能忠敬の測量法は踏襲してあり、非常に正確なもので、航空写真とも常に照合していました。
(海水よりの塩の生産とも深い関わりがあったと思えてきました。)
が、平成にはいり現在に至るまでに、統一していた測量方法が 変わりきっており、昭和の正確さを伝承していない様子です。
陸海空の変容 激しく混沌のなかの間に合せ解釈では、現在の測量が昭和までほどに正しいかどうかを照合できもしないでしょうに。(図面は照合どころか悪都合に変わっていくだけですので)
おそらくは、測量もデジタル、レーザー、AI化の類におきかわってるはずで、それが常時正確に使えているかは、判断できていませんでした。判断の必要から目をそらせているようで、こんな事はすべてに起きてくるわけです。
そのデタラメ状態強要のなか誰がまず損害を見ることになるかといえば、人間にとって善い人、つまり悪側にとって都合の悪い人。昔から、しっかり当てはまっていますのに。
ちなみに、測量も犯罪予告ワードと知っていましたが、今初めてのぼせました。
まとめ
江戸時代の日本国の陸地と、昭和53年の日本国の陸地は、
ほぼ同じ。
対して、現在は、変わり果ててきた。
(もっと全然違う 遠くの島はのぞいて)
土地が変わるんですから、、、
半永久的だったはずの建造物も、
なんの利点も構造理学も無しの物質に、
人目意識に短期変容が進みました。
悪側の現象を
何でもかんでも不慣れや、記憶や、人のせいにしている人が 多くありませんか?
本当はすべて現在より人間力勝っていた 昔のせいに
させられていませんか?
* * *
■ 日本国憲法は、永遠に理にかなう最高法規
■ 絶対、制度 を存在させてはいけない!
(憲法下に 制度は 必要なく、存在が憲法の凌駕、無視、違反になる )
■ 納税は 国民の発言の立場 確保のため
(憲法政府は 正常な仕組みと日銀の紙幣発行権を有するが、
違憲の犯罪政府になると、 税金を上げたがり 違憲事への消失を隠し、だましとるようになる)
現代多発の個別症状様現象は、薬害でなければ、外部催眠術の作用によるものです。