前回のタイトル、白羽の矢というのは、記事を書いた後にタイトルを書き込もうとして、また記憶のよみがえりがあって だったんです。
こう見えて、昔の私は 記憶力も把握力も洞察力も忍耐力も、問題なくある自覚がありました。
姉妹で資質に差があるかといえば、一概には言えぬにしても、こういうことでは私は勝っていると思います。
姉の先駆者の立場からは、測りやすいので。
でも、能力や知識というのは、通常、劣っているほうからは ちゃんとしたほうを理解できないわけです。もう、まちがいなく。
そういう意味で、このような正しいことが置かれていない世(全地域、常時とは言い切れないかもしれませんが概ね)では、年配者や真の理解者が、非常につらい思いをする場面が増えてくるのです。
また悪にとってジャマになるので起こることも半端ありません。
(だから優生保護法ができたのですが、完全に違えられ、問題対処の必要概念ごと もがれてしまいました。)
小6の先生から、「このクラスで白羽の矢(本来良い意味)が立っている」と、まじまじと聞かされるときは、名指しではありませんでした。
でも、この名指しでは無かったことが、響いた・・・
母の世代に比べ、学力の優劣は、気づかいから表に出されることがほぼなくなっていた制限と、その後の弊害を心配したのでしょう。
なんか自分に言ってるなと思うところあっても、
当時は、名誉な喜ばしげに言っていても
どうも内容的な有利感が無いし
名指しも無いのに自分のことと受けとめてしまうのもどうかと思うし。
やはり、白羽の矢 とは、大勢の目にはっきりとわかってから効力が出ることなのに、学校側のやりかた選択ミスと、言わざるを得ません。
ただ、学力の優劣を表にしないような圧力が、地域的に特に大きかったとは、言い聞かされています。
半分以上わからされても、そこをうそぶいていってしまう自覚が勝ってしまいました。
さらに・・名誉なことどころかですよ!
けっこう後になってからでしたが、
白羽の矢ではなく、黒羽の矢に変わったと、予告者的な人物から聞かされてしまいました 💧💧
小6で、白羽の矢をもたらされたとて、逆に悪からのターゲットとされる影響がよりおもてに出てきた感も。
書こうとしていた記事(証人者とされた)の、大学卒業前(昭和から平成移行期)には、
社会の暗転事が多く、
「証人者は、身の安全が保証される」と習ったのにぃ!と、
白羽でなくもうかなり黒めの灰色に変わってきていたのです。
白でないってことは、危険でしかないのに。
だから、メッセンジャー(予告者)の言うことも、主旨ごと、脅し的に変わったのですね。(自問自答)
いやもう、本当、黒でしたし、全面アウトととらえざるを得ないことばかり。
でも、 ひーこら やってしまった あきらめないだけの私には、この何年かも 使命的なものをやる漠然意識しかなかったんです。
この歳になるまで、こんなに複雑困難不可能とは思いもしませんでした。
大学では学科の学年担任と、専攻して卒論をみてもらう担任の先生がいました。
今回の関係は後者の方で、幼少の頃から明日香の地で育った経験をもつ方。
大学の先生というと、もしかしたら机にかじりついてるイメージがあるかもしれませんが、各種開拓者の一面が強い。あ、それは置いといて。
歴史も深い場所では、若手として地域のことや学術的要人の機関運営を束ねておられました。
そこに、アルバイトとして数名がよばれました。当時、コンパニオンなお仕事が結構あったわけで、あれれ?
と、受けとめ まばらな中、でもなんかそのつもりで行けば どうも釈然としない指示。
今にして思えば、白羽の矢から続くことだったんです。
ここへきて年明けて、これまた、
影響力感じたブロガーさんが、このところバババッと😦🌀🌀🌀
おとりあげにならなければ、
私は、そのときのことを、証人者の使命どころか、
過去のこととして、そのままで、この世から立ち去る気満々
でいたことに、
1人気付かされてはウメキワメキな気分だったのです
あ、話戻ります。
ご存知の通り(知るか?)
私は外交的素養皆無なのに、先生(教授になられた)は、多少、人を覚えることを期待したのでしょうが、椅子を運ぶなどちょっとした力仕事のあとは参加者をそれとなく迎える指示。
はい、でくのぼうでした。(16:37思い出しますと、お二方くらい言葉を交わしてました。案内を求められるわけでもありませんし、初対面にしてはな内容で、でくのぼう決め込んだ割に私だけ仕事した気になったような記憶がうっすら…)
しかし、ここで書く必要を感じた「あれ、また!」が、
その後あったんです。
どうも、その筋(って、国か・・)の人物2,3人と打合せ結果を
先生が二段階くらいで伝達指示。
いつも皿洗い系は率先の私なのに、残される4人ていど以外の方々は、奥の仕事を手伝うために会場を離れていってしまいました。
さらに、私1人を残しそれぞれの立ち位置が決められると、
私はまた向かって右列の側で前のほう、発言者から最良の場所に立ちました。
先生から軽く会合の主旨を聞かされ、できれば聞いた発言を覚えといて
のようなことを言われて。
これが、もっと吸収力ある高校生までの時分なら、もっと情報量を得て、記憶もちこたえたかもしれませんが。
でも当時でもおおかたの話し手の内容は把握し、
会場を出るころには、二つの意義ある文を頭の中でまとめていました。
会場を出てすぐ、頭の中で復唱もしました。
いつまでなら、覚えていたのでしょう?
先生、皆々様方、たいへん申し訳ありませんが、もう出てきそうにありません。
部分記憶いったん(催眠術で)やられたことありますが、ある種の印象が単純に強めだとか、記憶反復できそうな経験があれば再現可能な定着するのですが、
どんなに覚えておこうと念じていても、どうにもダメになってしまうことがあります。
憲法の原文もなのですね。
今だって、私1人に頼らず、何とか他のやり方はなかったものかと思いますが、この、もはや期待もできないくらいの方法しか残ってこなかった、すでに深刻さを迎えていた状況が、今ならわかります。
あれ、美人だから目立つところ?って、本人も勘違いしない人物が選ばれたのも、どうかと思いますが、
まあ、過去からの類似経験があったのは大きい。
それでもやっぱ微妙な。。。。。。もう少し意図詳細にふれる単刀直入な伝えられ方や共有ができなかったものかと、苦しさからのウラメシ?
記録には残せないんだもんね。消されるかもだもんね。。。。
でももう、言うしかない段になって
こんな縮小荒れ世界になって
1人肩の荷か・・・
せっかくこれぞと まとめた二つの文が出てこないのは、
悔しいかぎりです!!
とても、大切なことであり、そのときのこと、そのときからだけでなく、現在も多分に重要なヒントになるはずのこと。
文の量のイメージしか残っていないとは😨
はっきり言えるのは、明るい場所で、明るく進行させようとしていても、隠しようのない深刻な発言が軒を並べていて、
現在、確認することになった残骸(情報なくし 意味 特徴 性質 価値 を逆にする改ざん後のもの)に対してほどではないにしても、(遺跡や記録の自動改竄やられる様子に)激しい憂慮や嘆きを持っていた方々の意見のほうを、当時の私は軽んじてしまったのだろうということ
その会合が、終わりにする予定にはしないけれど、崖っぷちのふんばりで集まったものであり、最後になってしまう見通しだということ
(知る者の有責者がこのとおり すべて高齢にさしかかった と聞きましたが、そのことで深刻なことは、何も残せないということだったのですね。)
そして、このブログ内で、その「変わりよう」の証人者の役目を、
あまりにも悲痛な思いで
経験することとなりました。
聞く機会、話す機会とれましたら、少々追加事項を後にまわしたいと思います。
古今東西、精神医学概念のもと はあっても、疾病としての精神病や~症は 本当は存在しません。
(遅くとも1970年代半ばまでには証明済)
現代多発の個別症状様現象は、薬害でなければ、外部催眠術の作用によるものです。
現代多発の個別症状様現象は、薬害でなければ、外部催眠術の作用によるものです。
これらも改ざんによって、野蛮な過ちが隠ぺい現存しており、悪意による強制収容に害悪薬量の洗脳強制、 正常な専門家や従事者が 攻撃的に排除されるなど、事態悪化(犯罪都合誘導)が進んでいました。
政治機構、一般教育同様、精神医療状況は、慎重な徹底改正が急務です。