人は常に騙されています。
でも、大きな流れや真理だけは極力、見失ってはいけなかったのに、気がつけば世界中でおおかた、悪から洗脳されてしまっていて、必要な基本、正しさ、アンテナを手放してしまってたんで
わざわざいうことでもないけど を、
ここで言おうと思います。
現代人それぞれが思い込まされている、
けして古来王道でも万人共通でもない悪の敷く社会通念に
当てはまらなくなる人(ターゲット)を、
けっこうな人までが否定してしまう。
噂流し、偽り文言、迷信づくり、社会通念操作は、
悪や悪人が非常に得意とするところ。
あいまいにしてよいのは、(人知を尽くしたうえでも断定できることは無いに等しいので、)人を責めたりするようなこと。
かたや
人知を尽くし、万人からの事実情報を無駄にしないことに関しては、
けしてあいまいになどしてはいけません。
そのあいまい支持は、人権無視の犯罪概念とその実行に通じてしまいますから。
たとえ悪から優遇され、自分への恨みは我慢させ、懲罰が発生しなくても、
人権無視をはじめ人権侵害は犯罪になるという、
道徳、憲法概念は持つ、人類、正常社会への義務があります。
そのうえで、いっけんささいな、でも深刻な事例を
挙げさせていただきます。
特段明瞭な根拠なく人を否定すること自体が人権無視なわけです。
それを、むりやり正当化させてしまうのが、偏見。
偏見は悪の創作、人類が欠かしてはいけない人々や物事が攻撃される仕組み。
脳がちゃんとしていることは、他に何も無いくらいの人間にとって欠かせないから、攻撃を受けてきて、
ついには政府の悪事を問題視できないような人ばかりになってきてました。
脳はいくら使ってもなくならない、衰えない、ヴィルスも入り込まない
と、旧来変わらない脳の性質を、理科の先生から教わりました。
だから、
違ってばかりの現代現象と区別する必要がありますが、その必要を知らない人が、多そう。
当り前は小学校で習っていたのに、
殆どの人が手放して今があります。
その浅はか、いいかげん には、即、偏見がすみつきます。
原子操作でできないことは無いから、
音声、目に映ること、証拠に仕向ける物事
すべては、脳操作も相まって、強烈な誤認へと導かれますし、
そこに持ってくる経緯まで謀られているんですから。
よほどあらかじめ悪の区別が分かっていないと、まんまと偏見を作らされるわけです。
でも、悪は、人間にも確信犯で加担させている性質があるので、
この記事で挙げたいのは、そちらのほう。
人権侵害するような人は、自分の思い通りにならないことを何につけ不満にし
あくまで(悪に仕込まれた)間違いを認めようとせず、悪から攻撃対象にさしだされた正しい事実を言ってる人を、押さえ込もうとしだす。
誤っている人は、正しい人を目の上のたんこぶにしている下地がある場合多く、むりやり「押さえ」込もうという欲求は、
相手を「抑える」 と言い替えての、正統化理由にすげかえている。
善悪通り超えてまで、目の上のタンコブとしたがるのも、私には今のところ理解できません。
目の上のタンコブって、たいていは自分を守ってくれている存在なのにで。
もしかしたらそこに至る催眠術に持ち込まれているから、
支配欲や上に立とうとする急進性を増すのかもしれません。
相手のほうが長じているのに、逆の立場をとるには、
相手をムリヤリ否定して変える、無視するという手段になるんですね。
音声にせよ、見た目にせよ、不快にさせられる突飛な物事は、悪の操作が多分にあり、当事者のせいではありません。センセーショナルだからこそ悪の関与怪しいの見極めは、求めます。
さらに、
悪がそんなことを起こさずともの、善悪のすげかえり・・
何にもしていない人を、ムリヤリ押さえつけたり縛ったりする暴挙を、
(何もしていない人なのに)「アバレタ」
に、すり替え、その状況を目にした人が、すり替わったほうになびいて見てしまっていたりするわけで、人間は実際、それを悪用していたのです。
悪いほうが怒鳴れば、よいほうが何か叱られているように見え
よいほうがたまりかねて声を出そうという状況にあれば、悪いほう、間違っているほうがそれを、意味なくわめいている怒鳴っていると片づけることに、悪や偏見から権限を持たされています。
正しいほうは けっきょく、誤っている相手のことを人としてあきらめるか、自分を偽って黙り込むしかないのです。それも簡単ではないことが多いかも。
こういったことに悪が悪用(そりゃそうか)するのが、隠された世界の病院。
悪の都合に合わない人の多くは、各種拘束によって社会からの隔絶をうけるわけで、その最たる世界です。
私への白羽の矢が、
実質の診断もなくの 病院潜入捜査させられたと受け止めるには⋯
この経緯は、悪のやりようなので非常に たいそうになるのでとりあえずおいといて、
ばくろすりゃ、
儲けに走り、間違ったことは絶対認めようとせず 騙しつけた保護者からこれ見よがしな感謝でもされて正当化したい病院で、被害者は最悪の苦しみと天秤にかけられるようなことをされる残酷を 期間段階的に押し付けられていくから、身体への蝕みごとと悪への妥協に耐えて沈黙を選択させられるか、苦しみながら最悪の環境で沈黙の死を迎えるかどちらかになる仕組みです。(言葉ではなかなか通じないのですが。)
たいてい、千差万別ながら、とんでもない強制ごとには、悪から投入された野蛮なでもあたかも正当ぶった迷信が、目一杯使われているし、増幅になるようで、悪事を悪事とわかっても何とも思わなくなるらしく、
もっか、思い出せばそんな人達がやはり怖しい存在なのです。
🗞️
元来、家族の中ではのんびり屋ではあるけど、
いやなことが及びかねないのに その関係がわからないようなモヤモヤがイヤな私。
実態がかなりわかってきても、こと自分に直接かかわってくるほど、そのときは何につけモヤモヤにされてしまう経験からかもくるのでしょう。
国側も親も知らない、私の幼少期からのいわれのない苦労の原因
それはつまり、
悪からとてつもなくひどい目にあわされていたことが
たーくさん あったわけで、
昭和のある時期までは何とかしっかりしていた国も、悪からすれば、歴史的にひよっこ。
かつての国(政府)も、ここまで私がひどい目にあって内包させられるとは、殆どわかっていなかったに違いない。。。
自分で物事が判明すること多々経験させられようとも、それをもって自分自身は救えるどころか。
悪からの千差万別被害者経験があまり無いような悪つごう幸運な方には、相当な洞察力でもなければやんわりとも知ってもらえない種類のこと。
私なんか、かなりの洞察力で、補う自信があったけど、まだでもの最悪の苦しみの立場でものを見る必要があったのだろうか?
白羽が黒羽と告げられたような時点で、私をわかってくれ、サポートするはずの人としての国は滅んだと見たほうがよいのでしょう。
ただ、実際のその境が、最後の最後まで あいまい。
あいまいは、悪の都合からくるものでもありつつ⋯⋯
と、あきらめ悪い私なのですが、
基本においては、自分が間違ってきていることはなかったし、
よりすべてを知らされているだけに、それだけは!
と、あきらめようもないところも。
というボヤキをこれまでにし、冒頭に戻って書きます。
* * *
■ 日本国憲法は、永遠に理にかなう最高法規
■ 絶対、制度 を存在させてはいけない!
(憲法下に 制度は 必要なく、存在が憲法の凌駕、無視、違反になる )
■ 納税は 国民の発言の立場 確保のため
(憲法政府は 正常な仕組みと日銀の紙幣発行権を有するが、
違憲の犯罪政府になると、 税金を上げたがり 違憲事への消失を隠し、だましとるようになる)
現代多発の個別症状様現象は、薬害でなければ、外部催眠術の作用によるものです。