古来、フィクションは どうやら、
現実を示していなくてもよい
という位置付けだったので、今に残ってこれたようです。
これが現実、本当のことですって言ってしまうと、とんでもないことが、
一個人だけの身にかかわらず起こってきたのは、
理をより解したこの立場にして、想像にかたくないです。
フィクションに事実を含めてはいけないという決まりはない 。
きっと 想像自由にしていたから、言い伝えとして残れたのです。
宗教裁判で、なぜものの動きを理解しやすい捉え方にすることに強い抵抗があったのかは、権威的な理由くらいで?と、私もとらえていたのですが、いにしえのそれは、必ずしもそれだけではない、重要なことが次に伝えていけなくなるというような深い理由、側面も無くはなかったのだろうと、今にしてみたら思えてきました。
NHKの大河ドラマは、昔は極力史実を違えない制約があり、おもしろさや感動や事実確認継承のない暗喩は、控えてありました。
ところが、現在 逆転のうえ、まったくの嘘をあたかも周知だったかのごとく北朝鮮テレビのごとく語ってた😨
万民にしっかりした認知、記憶教育ベースがないから改竄事を気付けていないし、
入る情報物はすべて悪の検定が入ったものしか世に存在しなくなったのだから、とんでもなく深刻なこと!
まあ、認知、記憶できているほうを逆に思わす圧力が懸念されるというか、もうそうなるから、誰も口が開けないのでしょう。
そうかと思うとで、
郵便物に異変が起きても、郵便物は絶対だと信じ込んでしまった親は、ろくでもない勘違い判断をしていました。
今ここでは前とは違う という話が通じないのは、灯台下暗しのまま、ブランドだけ信じ込んでいるありさま。
信じるべきは、現状に沿っている人のほうなのに。
改竄の起こり方は、必ずしも民営化等のオフレでかっきり区切られるわけではないけど、かこつけて起こることも多いから、やはり体制が変わるときの事務苦労だけではなく、以前の当然が確認できなくなるなど、後々に大きく響いていたのです。
消費税にしても黙ってやられるよりはマシとは言え、まさか強制で上げていくってわかってたら?
もっともっと、深刻な事は、音もなくやられてしまっている。
さて、歌曲で有名な魔王。
怖しすぎてあまり出したくはありませんが、あの子どもの気持は、同じ場面ではなくとも中学生の頃から真に迫って感じていました。
「あれは、ただの・・・」と言ってる のんきな父親。
でも最期のほうでは気づいたからまだマシ。
悪のやり方も、結構似ているのです。
最初は本人にも騙してくる(でも賢い子供は魔の出現と見抜いた)
他の人が見るときには分からず、
自分よりいいかげんに物を見ているのだろうとか幻影だろうとか
安易に思いつかせるものに当てはめて、子どもの危機を感じようとしない。
親の権威や風潮で事が済むという思い込みが、
マヒにつながっている。
フィクションでは、何もかも特定しているわけではないけど、
現実につながる意味もなければ面白くなく、示唆があるのです。
現在のフィクションは、昔の詩などのフィクションとは大きく異なり、
あたかもありそう設定こそが違ったりするということと、
未来形にしてある物事は、とうに過ぎ去っていることだったりで、
勘違いや思い込みを作らない強い意志が必要。
また、同じ映画名や戯曲でも、単に時代変換されたわけでもない、時代風潮に通じてしまう単純明快なものは、原形をとどめていない可能性が高そう。
私は、同じ映画のはずなのに、たまたま3回見て、3回ともまるで違っていた映画は複数ありました。
~論 は、前にも申した通り、現実を説明し、特定に近付ける段階のもの。
逆にフィクションの位置付けだと現実説明にそのままはめることはできないのに、
メディア然、書物然としたものなど、
どこかでかるーく、断定されてきて、逆にされるから、
あきれて困ってる。
歴史は、改竄証拠(銅鐸は、何千年と全国に片手に入るほどの出土だったのに、改竄が気になる頃、1年も経たないうちに2桁違いの数に増えたのだ、絶対改ざんでしかない)と、悪都合の仮説こじつけや、まるっきりの嘘が主流になっているようですね。
私は、多く細かくは、覚えていないけど、昔の義務教育で、正しく、自分で系統的に学んでるから、ここで言うことにも、引用の格好はつかないながら、間違いだけは起こしていません。
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造語 "裏金"の真相説明記事 そういうことか
指摘してきた改竄(原子移動的なもの)や催眠術(脳操作)は、
隠されてきた特殊方法で完全犯罪が可能とされた主要技術をいいます。
被害者側の立場で、真実を求めるたゆまぬ責任によって 実態と情報を見極め、
証明したものです。
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